2016年06月17日

Coffee Breakエレミヤ書5、「わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出す。」(エレミヤ書1章117節〜19節)



 さあ、あなたは腰に帯を締め、立ち上がって、
 わたしがあなたに命じることをみな語れ。
 彼らの顔におびえるな、
 さもないと、
 わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く。(エレミヤ書1章17節)

 「腰に帯を締める」は、外出準備、戦いのための身支度を表した言葉でしょう。日本の戦国時代の侍なら「かぶとの緒を締めること」「鉢巻を締め直すこと」、現代のビジネスマンなら「ネクタイを締め直す」ことでしょうか。
 ユダの人々は、神様からさばきが下されようとしているのです。彼らが、他の神々に走っているからです。このままでは、ユダ王国は、外国に侵略、占領されてしまうから、神様は、エレミヤを召して、民に警告する預言者として活動せよと仰せなのです。
 神様がエレミヤの口に授けることば(1章9節)をみな語れと命じておられるのです。
 
 たしかに神様からことばを授けられて、それを語ることができるのは、神の民にとって誉れです。イスラエルは神様の選びの民で、イスラエルでは神様が最高権威のある方なのです。
 イスラエルの民だけではありません。私たちキリスト者でも、神様のことばを語りたいと願っているのです。牧師の説教の前に、「あなたのことばを語らせて下さい」などと祈るのはそのためです。牧師が、神様のことばを正しく「取り次ぐ」ことができるように、長老などが「かげの祈り」を行なっている教会もあります。牧師や伝道師、長老などになんらの権威があるとしたら、それはその立場に「神の油注ぎ」を認めるからです。

 神のことばを語るのだから、みんな平身低頭で喜んで聞いてくれそうに思います。ところが、神は仰せなのです。「彼らの顔におびえるな」。もしひるむようなことがあったら、神様が、エレミヤを打ち砕くと言われるのです。
 大勢の人の前で正しいことを主張して笑われたり、非難されたら、だれだってひるむでしょう。そんな時は出来るなら、神様が、そのような「群衆」の上に石つぶてでも降らせて下さったら納得、と、私たちは思いたいのです。

 ところが、やじられてオタオタしてしまう預言者(ここではエレミヤ)のほうを神は打ち砕くと仰せなのです。何という容赦のなさでしょう。

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 もっとも、神様は厳しいだけの方ではありません。どしゃぶりの中に、傘一つもたずに出て行けと言われているのではないのです。

 見よ。わたしはきょう、あなたを、
 全国に、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、
 この国の人たちに対して、
 城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした。(18節)

 このフル装備は、町々の事ではありません。エレミヤをこの鉄壁の町のようにして下さるというのです。誰かが、石を投げても、弓で射ようとしても、刃で打ちかかって来ても、「城壁のある町、鉄の柱」のある町なら、容易に打ち取れないでしょう。
 
 だから、彼らがあなたと戦っても、
 あなたには勝てない。(19節a)


 さらに心強いのは、つぎの言葉です。

 わたしがあなたとともにいて、
 ――主の御告げ――
 あなたを救い出すからだ。」(19節b)

 「わたしがあなたとともにいて」と、神様がおっしゃって下さる時、じっさい、恐れるものなど、この世にあるでしょうか。
 この言葉は、創世記から聖書に何度も出てきます。

 神様が共にいてくださって、いざとなったら救い出して下さる、これは、今日の私たちにとっても信仰の大きな希望です。







posted by さとうまさこ at 11:47| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする