2016年06月20日

 Coffee Breakエレミヤ書8、救いのご計画の三段階



 私は、このエッセイをスタートさせた初めの頃に、神様の「救いのご計画」は二段階あると考えてみました。
 最初が「箱舟方式」で、次が「救いの民方式」です。私のこの見方は、今も変わっていません。聖書が、私たち人類への神様のラブレターだとしたら――この考え方は、牧師や伝道者の文章にもけっこう散見するのです。――、それがイスラエル民族へのラブレターになったのは、少なくとも、アブラハムの召命以降です。

 アブラハムを召命された理由は、じっさいのところ読者である私たちには、わからないのです。ノアが「正しい人」とはっきり定義されているのとは対照的です。ノアの場合、「洪水を起こすから、箱舟を造ってその中に避難しなさい」と、その目的も明示されているのです。
 一方、アブラハムは、「あなたの父の家を出て、わたしの示す地に行きなさい」(創世記12章1節)と、ハランを出てカナンに行くように、いわば「あてどない旅」を促されているのです。彼が導かれるまま出て来た土地カナンには「先住民」がいました。

 そこで主がアブラハムに仰せになったのは、「この地ですぐに放牧をして暮らしなさい」と言うような、「現物支給」ではありません。「わたしはあなたを大いなる国民とし、祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。(創世記12章2節)」「あなたの子孫にこの地を与える」と言う「お約束」です。しかし、「アブラハムは自分に現れて下さった主のために祭壇を築いた(同7節)」のです。神の声を聞くことができたアブラハムは、目の前の土地がいま自分のものではない、神様のお答えは、まだ先にあると認めたうえで、神様を礼拝し、先に進んでいくのです。

 アブラハムは、妻と甥のロトを連れてカナンを放浪します。飢饉になり、エジプトにも行きます。いつも正しい選択ができるのではなく、エジプトでは、妻を妹と偽ってパロの怒りを買います。けれども、そのようなアブラハムの弱さや過ちに神様は「富」を与えて下さるのです。豊かになり、ロトと牧草を争うようになると、アブラハムは、「良い地を」を先にロトに取らせます。ロトは栄えていたソドムの地を取り、結果的に、滅びの地ソドムから逃げ、妻を失います。

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 アブラハムの祝福と繁栄は、人間の目から見ると「結果的」なものです。彼自身の成功願望やその道筋を示す記述はありません。彼の希望は、神から示された土地で安定した遊牧生活をすることだったかもしれませんが、実際に記されているのは、アブラハムの信仰――神との交わり――だけだったように見えます。そこで、読者は神がアブラハムを召された理由を知ることになるのです。

 ヤコブは、ヤコブの望んだわけではない形での結婚から、結果的に十二人の息子が与えられます。また、神様からイスラエルという名前をいただきます。(創世記32章28節)、彼らがエジプトに入り、後にそこから導き出され、シナイで神と契約を結ぶ・・・。(出エジプト記20章〜)このように、ごくしぜんに、聖書の物語は、イスラエル民族にフォーカスされていくのです。

 たしかにイスラエルの歩みは困難を極めていると思いますが、同時に、神はこのイスラエルだけを愛して、特別に肩入れしておられるのも事実です。たとえば、出エジプト時における十の奇蹟です。また、マナやウズラなどの食料,民が渇いたときに与えられる水。カナン攻めの時のヨルダン川での奇蹟、じっさいのカナンの七部族と戦いにおける神の後押しなど、これは、神の「依怙贔屓」と言われても仕方がないほど、神はヨシュアを導いて、カナンを取らせるのです。
 これは、イスラエルから見ると「誇らしい」歴史的事実かも知れないけれど、イスラエル以外の国から見ると、とくに、二十一世紀の今見ると「神の不公平な采配」に見えるかもしれません。ところが、読み進めていくと、聖書はまったく異なった内容の物語であると気づかされてしまいます。

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 イスラエルは神の救いのご計画の2幕目の主人公です。それは、やがて、3幕目「救い主の到来」によって明らかになります。
 神ご自身の別の形(第二格)でもあられるイエス・キリストとメッセージは、すでに、全人類に向けられています。神ご自身の選びの民が、神ご自身を十字架に付けることになる「救いの完成」は、ある意味、イスラエルの民の役割の大きさ重さを示しています。このパラドックスは、すばらしい祝福であると同時に、苦い祝福ではないでしょうか。
  
 ハランからカナンに出て来たアブラハムに神は仰せになりました。

 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
 あなたをのろう者をわたしはのろう。
 地上のすべての民族は、
 あなたによって祝福される。(創世記12章3節)

 いま、この大きな祝福に、一番驚いているのは、天国の(このような通俗的な表現をおゆるしください)アブラハムではないでしょうか。
 



 

posted by さとうまさこ at 09:57| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする