2016年06月22日

Coffee Breakエレミヤ書10、あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦々しいことか。(エレミヤ書2章6節〜19節)




  キティムの島々に渡ってよく見よ。
  ケダルに人を遣わして調べてみよ。
  このようなことがあったかどうか、よく見よ。(エレミヤ書2章10節)
  かつて、神々を神々でないものに、
  取り換えた国民があっただろうか。
  ところが、わたしの民は、その栄光を、
  無益なものに取り換えた。(11節)

 〈キティムの島々〉・西キプロス島と地中海西方の島々、〈ケダル〉・東のアラビヤ地方で、この2つで東から西までの意。(新実用聖書注解・いのちのことば社p1019)

 イスラエルの神(全能の神)が、自分を偶像(力をもたない神々)に取り換えた話しなど、世界中でも前代未聞だと言っておられるのです。このことが、どれほど深刻なことか・・・。

  天よ。このことに色を失え。
  おぞ気立て、
  ――主の御告げ――(12節)
  わたしの民は二つの悪を行なった。
  湧き水の泉であるわたしを捨てて、
  多くの水ためを、
  水をためることのできない、こわれた水ためを、
  自分たちのために掘ったのだ。(13節)

★★★★★

 イスラエルは、その始まりは一人の遊牧民アブラハムでした。その孫のヤコブの時代には、多くの子どもと財産をもつ族長になっていましたが、「国」をもつ王ではありませんでした。
 飢饉に際して、エジプトに逃れてそこに住みつくことになりましたが、ヤコブの11番目の息子ヨセフが数奇な巡り合いでエジプトに売られていて、その地で出世し、その地の宰相になっていたからです。この時移住したイスラエル一族はエジプトでは、名誉ある客人でした。
 しかし、移住後、エジプトの王朝が代るうちに、彼らの立場は奴隷となってしまったのです。奴隷を、いろいろに定義できるでしょうが、基本的には「自分の生存権、自分自身の決定権、自分の身の処し方の自由を、一切持っていない者」と、考えられます。ひとたび、奴隷になってしまえば「モノ」と同じです。そのからだは金銭に換算され、どのような仕事につくか、何を任せられるか、どの主人を仕えるかさえ、主人の裁量なのです。
 
 エジプトで、奴隷の境涯に堕ちたイスラエルは、生まれてくる子供のいのちさえ、パロに奪われるありさまでした。(出エジプト記1章1節〜22節)
 それ以上の苦しみは我慢できないと「叫んだとき」、神がその声をお聞きになって、モーセを召し出されたのです。それは、イスラエルを「奴隷の境涯から救い出す、ためです。(出エジプト記2章23節25節、同3章4節〜)
 エレミヤの時代のイスラエル人に、神が以下のように問いかけられるのは、当然なのです。

  イスラエルは奴隷なのか。
  それとも家に生まれたしもべなのか。
  なぜ、獲物にされたのか。(14節)
  若獅子は、これに向かってほえたきり、
  叫び声をあげて、その地を荒れ果てさせ、
  その町々は焼かれて住む者もいなくなる。(15節)

 〈若獅子〉、アッシリアの記章、〈ノフ〉カイロ付近にある下エジプトの都市。〈タフパヌヘス〉、ナイル川のデルタ東部の要塞都市。(新実用聖書注解)
 つまり、この頃、イスラエルはエジプトとアッシリヤに挟まれて苦しみ悶えていたのです。その理由が、以下の預言です。

  ノフとタフパヌヘスの子らも、
  あなたの頭の頂をそり上げる。(16節)
  あなたの神、主が、あなたを道に進ませたとき、
  あなたは主を捨てたので、
  このことがあなたに起るのではないか。(17節)
  今、ナイル川の水を飲みに
  エジプトの道に向かうとは、
  いったいどうしたことか。
  ユーフラテス川の水を飲みに
  アッシリヤの道に向かうとは、
  いったいどうしたことか。(18節)
  あなたの悪があなたを懲らし、
  あなたの背信があなたを責める。
  だから、知り、見きわめよ。
  あなたが、あなたの神、主を捨てて、
  わたしを恐れないのは、
  どんなに悪く、苦々しいことかを。
  ――万軍の神、主の御告げ――(19節)

 






posted by さとうまさこ at 10:59| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする