2016年06月23日

Coffee Breakエレミヤ書11、盗人が、見つけられたときに、はずかしめられるように、 イスラエルの家もはずかしめられる。 (エレミヤ書2章20節〜28節)



 実に、あなたは昔から自分のくびきを砕き、
 自分のなわめを断ち切って、
 『私は逃げ出さない。』と言いながら、
 すべての高い丘の上や、
 すべての青々とした木の下で、
 寝そべって淫行を行なっている。(エレミヤ書2章20節)

 イスラエルは、南のユダ王国、北のイスラエル王国ともに結局、神の怒りと罰を免れませんでした。王国の根を腐らせて崩壊に導いたのは、彼らが、自分たちを救い出して契約を与えて下さった彼らの主を「捨てて、ほかの神々に走った」からでした。「淫行を行なう」とまがまがしいたとえになっているのは、イスラエルが神と交わした契約は、結婚契約のように見なされていたからです。結婚したかぎり、たがいに貞節を守るのは当然のことです。契約の祖の初めに、主は、「わたしはねたむ神」(出エジプト記20章5節)と仰せです。夫が妻の姦淫を妬むのは当然です。いや、愛し合う中では、嫉妬は当たり前のことです。

 ひとたび、傷つけられた夫(妻)は、割り切って離婚すればよいという風潮が、最近の結婚観の中にはあります。嫉妬や独占欲は、マイナス思考と見なす人さえいます。
 しかし、割り切れるような関係は、そもそも深いところで結ばれていないのでしょう。

 まして、神様は、花嫁自身をもお造りになったのですから、まだ、虫に食われていない悪に染まっていない純白の布のような花嫁と契約されたのですから、彼女が自ら身を汚すした姿など、見るに堪えなかったことでしょう。
 
 わたしは、あなたをことごとく
 純良種の良いぶどうとして植えたのに、
 どうしてあなたは、わたしにとって、
 質の悪い雑種のぶどうに変わったのか。(21節)
 たとい、あなたがソーダで身を洗い、
 たくさんの灰汁を使っても、
 あなたの咎は、わたしの前では汚れている。
 ――神である主の御告げ――(22節)

 しかも、この花嫁は、自分の過ちを認めて悔い改め、赦しを請うのではありません。

 どうしてあなたは、『私は汚れていない。
 バアルたちには従わなかった。』と言えようか。
 谷の中でのあなたの道を省み、
 何をしたかを知れ。
 あなたは、道をあちこち走り回る
 すばやい雌のらくだ、(23節)
 また、荒野に慣れた野ろばだ。
 欲情に息はあえぐ。
 そのさかりのとき、だれがこれを静めえようか。
 これを捜す者は苦労しない。
 その発情期に、これを見つけることができる。(24節)

★★★★★

 はだしにならないよう、
 のどが渇かないようにせよ。
 しかし、あなたは言う。
 『あきらめられません。私は他国の男たちが好きです。
 それについて行きたいのです。』と。(25節) 

 きちんと悔改めないのですから、同じ過ちを繰り返します。そうして、けっきょくは開き直るのです。

 盗人が、見つけられたときに、
 はずかしめられるように、
 イスラエルの家もはずかしめられる。
 彼らの王たち、首長たち、
 祭司たち、預言者たちがそうである。(26節) 

 主が怒っておられるのは、たんに弱い一人のイスラエルのことではありません。イスラエルを主と契約を結んだ国家として、愛を注いでこられたのです。
 その国家には、民を正しく導く責任がある王、首長、祭司、預言者がいたのです。この制度は二重三重の垣根に等しいものです。誰かが、間違っても誰かが正せばいいのです。
 しかし、そのような神の配慮も機能しなくなっていたのです。

 彼らは木に向かっては、『あなたは私の父。』、
 石に向かっては、『あなたは私を生んだ。』と
 言っている。
 実に、彼らはわたしに背を向けて、
 顔を向けなかった。
 それなのに、わざわいのときには、
 『立って、私たちを救ってください。』と言う。(27節)
 では、あなたが造った神々はどこにいるのか。
 あなたのわざわいのときには、
 彼らが立って救えばよい。
 ユダよ。あなたの神々は、
 あなたの町の数ほどもいるからだ。(28節)









posted by さとうまさこ at 10:56| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする