2016年06月29日

Coffee Breakエレミヤ書17、あなたがたに、わたしの心にかなった牧者たちを与える。 (エレミヤ書3章11節〜18節)


 
 主はまた、私に仰せられた。「背信の女イスラエルは、裏切る女ユダよりも正しかった。(エレミヤ書3章11節)

 聖書は、情緒――人の悲しみや喜びの流れ――に物事の判断のベースを置く日本人には、「きついなあ」と思えるような発想が展開されるところが、たくさんあります。
 この箇所も、そう思われないでしょうか。ひどい罪を犯したイスラエルが、少ない罪であったはずのユダより「正しかった」と、神は仰せなのです。
  南王国ユダの預言者エレミヤに、「だから」、北へ行って神のことばを伝えよと言うわけです。

  行って、次のことばを北のほうに呼ばわって言え。(12節)
  背信の女イスラエル。帰れ。
  ――主の御告げ――
  わたしはあなたがたをしからない。
  わたしは恵み深いから。
  ――主の御告げ――
  わたしは、いつまでも怒ってはいない。
  ただ、あなたは自分の咎を知れ。
  あなたは自分の神、主にそむいて、
  すべての茂った木の下で、
  他国の男とかってなまねをし、
  わたしの声を聞き入れなかった。
  ――主の御告げ――(13節)

 すでに離縁状を渡されてしまった北イスラエルに対し、「わたしはあなたがたを叱らない」「わたしはいつまでも怒っていない」。だから、帰ってきなさいと仰せなのです。
 泣きながら家を追い出された子供たちなら、そのような呼びかけに,感極まって反省するはずですが、イスラエルはどうだったのでしょう。

★★★★★

 しかし、神は、イスラエルだけに呼びかけているのではないことは、つぎにはっきりします。
 
 背信の子らよ。帰れ。――主の御告げ――わたしが、あなたがたの夫になるからだ。わたしはあなたがたを、町からひとり、氏族からふたり選び取り、シオンに連れて行こう。(同3章14節)

 ここでは、「背信の子ら」と複数で呼ばれています。この呼びかけは、イスラエルとユダに告げておられるのです。神の御許に帰りさえすれば、神は彼らの氏族の代表をシオン(エルサレム)に連れて行ってくださるのです。

 また、あなたがたに、わたしの心にかなった牧者たちを与える。彼らは知識と分別をもってあなたがたを育てよう。(15節)

 イスラエルの民を導くのが、「牧者」となっているのに注目です。イスラエルは王制の国ですから、すでに民を統べる権威を与えられた「王」がいるのですが、神はここでは、それは「牧者」だと仰せです。新約の民には、それは当然、救い主キリストであるとわかりますが、当時の、イスラエルの人たちにわかったでしょうか。全部理解できなくてもよいということでしょう。預言なのですから、未来に属することまで示されているのです。
 大切なのは、預言が預言者のアイディアや分別から出て来た言葉ではないことです。
 神が、この言葉をエレミヤの口に授けられたという事実です。

 その日、あなたがたが国中にふえて多くなるとき、――主の御告げ――彼らはもう、主の契約の箱について何も言わず、心にも留めず、思い出しもせず、調べもせず、再び作ろうともしない。(16節)

 神が与えて下さる牧者のもとでは、契約の箱はかつての意味を失うのです。これは、旧い契約が意味を失うことでしょう。新しい契約が訪れ、人は新しい契約のもとに本当の救い、最終的な救いを得るのですからとうぜんです。

 そのとき、エルサレムは『主の御座』と呼ばれ、万国の民はこの御座、主の名のあるエルサレムに集められ、二度と彼らは悪いかたくなな心のままに歩むことはない。(17節)
 その日、ユダの家はイスラエルの家といっしょになり、彼らはともどもに、北の国から、わたしが彼らの先祖に継がせた国に帰って来る。」(18節)

 ここで、「万国の民」と示されていることこそ、瞑目すべきことです。救いがユダとイスラエルから出て、全世界に広げられること、それこそが、最初から神様の願っておられたことだからです。エレミヤは、恐るべき神のことば、とうてい当時のイスラエル人たちが理解できないことばを、「呼ばわれ」と命じられた稀有な預言者だったのですね。








posted by さとうまさこ at 10:54| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする