2016年08月02日

Coffee Breakエレミヤ書51、わたしはユダとエルサレムの大きな誇りを腐らせる。(エレミヤ書13章1節〜9節)




 主は私にこう仰せられた。「行って、亜麻布の帯を買い、それを腰に締めよ。水に浸してはならない。」(エレミヤ書13章1節)
 私は主のことばのとおり、帯を買って、腰に締めた。(2節)

 聖書を初めて読むときには、どの箇所もとても難解な感じがするのですが、それは神が難しいことをおっしゃっているからではないようです。そのたとえ話や表現形式が、日本人にはなじみのないものだったりするからです。帯と一口にいっても、私たちの頭に浮かぶ帯と、ここで指し示されている帯では、色も形も材質も、使用目的も異なっています。
 当時の、ユダの人々なら、エレミヤのこの帯のたとえ話を理解できたことでしょう。

 亜麻布の帯を締めるのは祭司でしたから、神が祭司の家出身のエレミヤにそれを命じられるだけで、これが、祭司と神との対話の始まりだと理解できたでしょう。「水に浸してはならない」の意味は、洗濯をしてはならない。(新実用聖書注解・いのちのことば社P1032)
 神は大切な場面では、新品を要求されます。初子の羊をささげるとか、まだくびきを追ったことのない牛をささげる。水で身をきよめる。など、枚挙にいとまがありません。この時に使う帯も、大切な命令なので、新品でなければならなかったのでしょう。

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 すると、私に次のような主のことばがあった。(3節)
 「あなたが買って腰に着けているその帯を取り、すぐ、ユーフラテス川へ行き、それをそこの岩の割れ目に隠せ。」(4節)
 そこで、主が私に命じられたように、私は行って、それをユーフラテス川のほとりに隠した。(5節)
多くの日を経て、主は私に仰せられた。「すぐ、ユーフラテス川へ行き、わたしが隠せとあなたに命じたあの帯を取り出せ。」(6節)
 私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。(7節)

 帯をユーフラテス川のほとりに隠すのは、これまた「たとえ」ではないかと解説にあります。(新実用聖書注解)ユーフラテス川はユダからは100キロ以上もあるので、当時としては大旅行になってしまいます。
 要点は、帯を、どこかの水辺の岩の割れ目に隠しなさいという命令です。かなりの日時が経ってからエレミヤは、隠した帯を取りに行きました。とうぜんながら、麻の布(自然素材の布)は腐って、ボロボロになっていたのでしょう。

 それを見たエレミヤに、主は仰せられるのです。

 すると、私に次のような主のことばがあった。(8節)
 「主はこう仰せられる。わたしはユダとエルサレムの大きな誇りを腐らせる。(9節)

 恐いことばですね。たんに滅ぼされると言うより、容赦のない処罰ではないでしょうか。「腐っても鯛」という慣用句があります。たとえ腐って食べられなくなっても、鯛は鯛です。ですが、鯛であるはずの魚が、イワシに過ぎなかったら、「なあんだ」と嘲笑されます。神の民であると思い込んでいる人々も同じです。どんな苦境に見舞われようと、「神の民である」と誇りに思っていました。しかし、その神ご自身が、「彼らの誇りを腐らせる」と宣告しています。

 たいへんなことになりました。








posted by さとうまさこ at 09:41| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする