2016年08月04日

Coffee Breakエレミヤ書53、日照りのことについて、エレミヤにあった主のことば。 (エレミヤ書14章1節〜9節)



  日照りのことについて、エレミヤにあった主のことば。(エレミヤ書14章1節)
  ユダは喪に服し、その門は打ちしおれ、
  地に伏して嘆き悲しみ、
  エルサレムは哀れな叫び声をあげる。(2節)
  その貴人たちは、召使を、水を汲みにやるが、
  彼らが水ためのほとりに来ても、
  水は見つからず、からの器のままで帰る。
  彼らは恥を見、侮られて、頭をおおう。(3節)

 太古の時代から、人間を一番苦しめて来たのは、天変地異ではないでしょうか。戦争は人間同士が起すものです。不注意なための災難もあります。けれども、地震や雷、あらし、大雨、ひでりによる災害は、人の力ではどうにもなりません。
 現代は、気象予知も進み、衛星で地球上の「今」の、気象地図が即座に作れるほどです。台風は太平洋のどこかで発生した時から追跡され、成長と軌跡が観察されています。エルニーニョや豪雨、干ばつ、豪雪、竜巻などが、どこを襲っているのかもわかります。地震や火山噴火の速報も、すぐ地球上をまわります。
 問題は、どれほど、情報が多くなっても、完全な予知ができないこと、そうであれば、結局、異常気象は人を苦しめることです。

 ほん100年前までは、日本でも、夏の日照りと秋の台風は、稲作にとって脅威でした。米が経済の基礎であった時代には、不作は、百姓だけでなく、一般民衆も支配者も苦しめたのです。
 2500年前のパレスチナでは、とりわけ、干ばつが恐れられたのです。もともと雨の少ない中東では、干ばつは、時に何年も続いたからです。

  国に秋の大雨が降らず、地面が割れたため、
  農夫たちも恥を見、頭をおおう。(4節)
  若草がないために、
  野の雌鹿さえ、子を産んでも捨てる。(5節)
  野ろばは裸の丘の上に立ち、
  ジャッカルのようにあえぎ、目も衰え果てる。
  青草がないためだ。(6節)

 イスラエル経済は、農業と牧畜で成り立っていました。日照りが続くと、木の新芽や雑草もなくなるわけですから、野生の鹿も自分が生きのびるのがやっとになります。
 犬の仲間は、少し走ると口を開けて舌を出し,ハアハアと喘いで体温調節をします。ジャッカルは犬の仲間なので、喘いでいる姿がよく見られたのでしょう。
 けれども、ろばや鹿などが喘ぐときは、飢えや渇きで苦しんでいるときです。

★★★★★

  私たちの咎が、私たちに不利な証言をしても、
  主よ、あなたの御名のために事をなしてください。
  私たちの背信ははなはだしく、
  私たちはあなたに罪を犯しました。(7節)
  イスラエルの望みである方、
  苦難の時の救い主よ。
  なぜあなたは、この国にいる在留異国人のように、
  また、一夜を過ごすため立ち寄った旅人のように、
  すげなくされるのですか。(8節)

 イスラエルに大きなわざわい――さばき――がもたらされると聞いたエレミヤは、神に取り成そうとします。

  なぜ、あなたはあわてふためく人のように、
  また、人を救うこともできない勇士のように、
  されるのですか。 
  主よ。あなたは私たちの真中におられ、
  私たちはあなたの御名をもって、
  呼ばれているのです。
  私たちを、置き去りにしないでください。(9節)

 自分達イスラエルの背信や罪はよくわかっています。でも、神様、だからと言って異邦人に降すようなさばきを下さないでください。私たちは一夜を通りかかった旅人ではありません。アブラハム以来、あなたの民として養われてきたあなたのしもべではありませんか。あなたは私たちの主です。私たちはみなを呼び求めます。ですから、「私たちを、置き去りにしないでください」
 
 このようにとりなしの祈りをするエレミヤに、神様はなんとお答えになるのでしょうか。







posted by さとうまさこ at 10:54| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする