2016年08月10日

エレミヤ書59 それゆえ、見よ、その日が来る。――主の御告げ――(エレミヤ書16章14節〜21節)



 神から、妻を娶るな、子供を持つなと命じられているエレミヤは、かつてなく、私生活を犠牲にしなければならない預言者だったかもしれません。
 モーセは民をエジプトから連れ出して、荒野を行かせるために、晩年の40年をささげましたが、妻も子供もいました。詳しくは書かれていませんが、妻は二人以上いた可能性もあります。最初の妻チッポラは、ミデヤン人の祭司の娘でしたから異教徒でした。後にミリアムとアロンが非難したモーセの妻もクシュ人(エチオピア人)の女です。(民数記12章) けれども、その場合でさえ、神ご自身が、モーセの家族を非難されたとは書かれていません。
 士師記の時代の、預言のできる士師たちも家族をもっていました。ギデオンは、最終的に多くの妻をもって、70人の子どもがいたと記されています。(士師記8章30節)
 サムエルは、王制を確立する働きをした偉大な預言者でしたが、二人の息子は、父親の志を行なわない不肖の息子でした。(Tサムエル記8章1節〜3節)
 エリヤとエリシャの妻についてはわかりませんが、少なくとも、神から妻帯を禁じられた様子はありません。
 イザヤは、女預言者の妻との間に子供がいました。(イザヤ書8章3節)

 言えることは、家族が社会の単位であったイスラエルで、妻帯を禁じられるのは過酷なことだったのです。
 しかし、神がエレミヤに、そのような命令を下されたのは、イスラエルとユダが崩壊し民は捕囚として連れ去られ、外国に散らされる運命にあったからです。

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 それでは、イスラエル民族の未来は、真っ暗だったのでしょうか。神の選びの民も結局、国を保てないとしたら、「神の救いのご計画」はどうなってしまうのでしょう。

 かりにも祭司の家に生まれたエレミヤには、「選びの民イスラエル」の自覚はあったのではないでしょうか。もし、神がイスラエルを見捨ててしまわれるなら、いったい人びとの反感を買ってまで「預言をする」ことにも意味がなくなってしまいます。エレミヤがそのような煩悶を抱いたとしても自然でしょう。

 もとより、神は、エレミヤの心など読んでおられます。神はエレミヤに一転、「希望の預言」を授けるのです。

 それゆえ、見よ、その日が来る。――主の御告げ――その日にはもはや、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる。』とは言わないで、(14節)
 ただ『イスラエルの子らを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる。』と言うようになる。わたしは彼らの先祖に与えた彼らの土地に彼らを帰らせる。(15節)
 見よ。わたしは多くの漁夫をやって、――主の御告げ――彼らをすなどらせる。その後、わたしは多くの狩人をやって、すべての山、すべての丘、岩の割れ目から彼らをかり出させる。(16節)

 散らされた民は、かならず神が連れ戻して下さると約束されるのです。海底の砂の中にいても、岩穴に隠れていても、神は漁師や狩人――あらゆる手段を使って、人々を探しだっし、返して下さるというのです。
 同時に、「選びの民」を連れ去り、虐待した民には報復してくださるのです。

 わたしの目は彼らのすべての行ないを見ているからだ。彼らはわたしの前から隠れることはできない。また、彼らの咎もわたしの目の前から隠されはしない。(17節)
 わたしはまず、彼らの咎と罪に対し二倍の報復をする。それは彼らがわたしの国を忌むべきもののしかばねで汚し、忌みきらうべきものを、わたしの与えた相続地に、満たしたからである。」(18節)

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 このような神の約束を聞いて、エレミヤは神を褒めたたえます。

  主よ、私の力、私のとりで、
  苦難の日の私の逃げ場よ。
  あなたのもとに、
  諸国の民は地の果てから来て言うでしょう。
  「私たちの先祖が受け継いだものは、
  ただ偽るもの、
  何の役にも立たないむなしいものばかりだった。(19節)
  人間は、自分のために神々を造れようか。
  そんなものは神ではない。」と。(20節)

 神もエレミヤの喜びに応答なさいます。

  だから、見よ、わたしは彼らに知らせる。
  今度こそ彼らに、
  わたしの手と、わたしの力を知らせる。
  彼らは、わたしの名が主であることを知る。」(21節)

 捕囚から帰還できた暁には、道を迷い、国を失うほどだったイスラエルの民も、今度こそ、「主こそ神」と崇めるようになると断言されるのです。







posted by さとうまさこ at 09:24| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする