2016年08月12日

エレミヤ書61 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。(エレミヤ書17章5節〜13節)



  主はこう仰せられる。
  「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、
  心が主から離れる者はのろわれよ。(エレミヤ書17章5節)
  そのような者は荒地のむろの木のように、
  しあわせが訪れても会うことはなく、
  荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。(6節)

 イスラエルの民がなぜ偶像礼拝の罪を犯すのか、それは、人間を、より恃(たの)みに思うからだと、主は仰せです。
 もちろん、主が望んでおられるのは、主を信頼し恃みとする態度です。

  主に信頼し、
  主を頼みとする者に
  祝福があるように。(7節)
  その人は、水のほとりに植わった木のように、
  流れのほとりに根を伸ばし、
  暑さが来ても暑さを知らず、
  葉は茂って、
  日照りの年にも心配なく、
  いつまでも実をみのらせる。(8節)

 これは言い換えれば詩篇1章に歌われているような人です。

   幸いなことよ。
   悪者のはかりごとに歩まず、
   罪人に道に立たず、
   あざける者の座につかなかったその人。(詩篇1章1篇)
   まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
   昼も夜もその教えを口ずさむ。(2篇)
   その人は、
   水路のそばに植わった木のようだ。
   時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
   その人は、何をしても栄える。(3篇)

★★★★★

  人の心は何よりも陰険で、
  それは直らない。
  だれが、それを知ることができよう。(エレミヤ17章9節)
  わたし、主が心を探り、思いを調べ、
  それぞれその生き方により、
  行ないの結ぶ実によって報いる。(10節)

 私たちが主に信頼し、恃みとしなければならないのは、ありのままの私たち人間は、陰険で、それは自分の力では矯正しがたいほど根深いのです。
 そのことをよくご存じの主は、私たちの弱さや員検査のすべてを探り、調べていて、私たちが主により頼みさえすれば、良い報いを下さると言われるのです。
  
  しゃこが自分で産まなかった卵を抱くように、
  公義によらないで富を得る者がある。
  彼の一生の半ばで、
  富が彼を置き去りにし、
  そのすえはしれ者となる。」(11節)

 しゃこは、お寿司屋さんにあるエビに似たネタではなく、鳥のことです。広辞苑にはつぎのようにあります。
 しゃこ、キジ目キジ科の鳥の内、ウズラとキジの中間の体形をもつ一群。アフリカから中国南部にかけて多くの種がある。(広辞苑)

 しゃこが自分で生まなかった卵も抱くというのは、たんなる「習性」だと思いますが、人間に適用するなら、これは正しくないことなのでしょう。「公義によらないで」とありますから、神の正義に通らないやり方、いわば不正によって富を得ることに譬えられているのでしょう。そのように神から離れた者は、得た財産も頼りにならず、やがて衰亡するということでしょう。

 けっきょく、イスラエル人である限り、頼りになるのは主なのです。
 エレミヤはそのことを改めて確認しています。

  私たちの聖所のある所は、
  初めから高く上げられた栄光の王座である。(12節)
  イスラエルの望みである主よ。
  あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。

 エレミヤの叫びに、主は答えて言われます。

  「わたしから離れ去る者は、
  地にその名がしるされる。
  いのちの水の泉、主を捨てたからだ。」(13節)







posted by さとうまさこ at 10:02| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする