2016年08月22日

エレミヤ書71 国の崩壊を見る王たち3(エレミヤ書22章8節〜12節)



 「廃墟」は悲しみです。廃墟は、その場所に、かつて「繁栄があった」のを思い出させます。たとえ、森や山が自然発火で燃え広がり、焼け野原になっても「廃墟」とは言いません。人のわざのその跡地に、それがなんだったのかと気付かせる光景こそが、廃墟です。

 かつてアメリカの西部劇によくあった「ゴーストタウン」。住む人がいなくなった古城や館も、廃墟と言われるかもしれません。日本的な感覚なら「強者(つわもの)どもが夢のあと」です。城が落城する時、戦いに生きて来た武将たちは何を思ったのでしょう。彼らの多くが、城に火を放って自殺をするのは、「正視に耐えないから」ではないでしょうか。
 自分が生涯を賭けて得た領地や城が、無意味だと知る瞬間なのです。そして、そのあとを見る者も、大いに人生の意味や、この世の存在について問い直すのです。
 太平洋戦争で、国土の多くが焦土と化した日本で、生き残った多くの人は問い返したと言います。
「いったい、あの戦いは何だったのか」

 エルサレムが廃墟となった時、人々は次のように言うだろうと、神は仰せです。

 多くの国々の民がこの町のそばを過ぎ、彼らが互いに、『なぜ、主はこの大きな町をこのようにしたのだろう。』と言うと、(エレミヤ書22章8節)
 人々は、『彼らが彼らの神、主の契約を捨て、ほかの神々を拝み、これに仕えたからだ。』と言おう。」(9節)

 エルサレムは、ダビデがエブス人から攻め取って本拠地としたところです。(Uサムエル記5章6節〜9節) 神の「エル」平和「シャルム」と言う意味だと解説書にあります。ここの本拠地を置くことで、ダビデの王国は盤石なものとなりました。ダビデはまた、エルサレムに、「神の箱」を迎え入れるのです。(Uサムエル記6章12節)、ダビデはまた、神の箱をお入れする神殿の建設を計画するのですが、それは神によって止められてしまいます。(Uサムエル記7章5節〜16節)
 神殿はソロモンが即位してから、7年の歳月と莫大な費用をかけて、建設されるのです。

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  死んだ者のために泣くな。
  彼のために嘆くな。
  去って行く者のために、大いに泣け。
  彼は二度と、
  帰って、故郷を見ることがないからだ。(10節)

 エルサレムの崩壊は、ヨシヤ王の死とともに決定的になりました。続く王たちが「主の前の前に悪を行なった」からです。
 ここでは、だからと言って、ヨシヤの死を悲しんでも仕方がない。ほんとうに泣くべきは、生きていて連れ去られ二度とエルサレムに戻って来ることができない王のことを「泣け」と言われています。

 父ヨシヤに代わって王となり、この所から出て行った、ヨシヤの子、ユダの王シャルムについて、主はまことにこう仰せられる。「彼は二度とここには帰らない。(11節)
 彼は引いて行かれた所で死に、二度とこの国を見ることはない。」(12節)

 シャルムとは、ヨシヤのあとを継いだエホアハズのことです。パロ・ネコによって、ヨシヤの死後王位につけてもらい、エルサレムで三カ月間だけ王だったのです。(U列王記23節30節〜33節)








posted by さとうまさこ at 10:49| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする