2016年08月24日

エレミヤ書73 神・預言者・王――国の崩壊を見る王たち5(エレミヤ書22章20節〜30節)



 エホヤキム王に対する預言は続きます。

  レバノンに上って叫び、
  バシャンで声をあげ、アバリムから叫べ。
  あなたの恋人はみな、砕かれたからである。(エレミヤ書22章20節)

 レバノンは、もともとのイスラエルの北端ダンよりさらに北の地です。パシャンは、ヨルダン川東岸のマナセ半部族の相続地でしたが。じっさいにはヤルムク川以北に住んだかどうか疑わしいのです。(新改訳聖書付録地図参照) ですから、ここではレバノンと同じように外国の意味でしょう。アバリムはネボ山を含む地域ですが、この時代、モアブの地になっていました。(同地図)
 じつは、これらの地域の国々とユダ王国は同盟関係にありました。しかし、彼らもまた、バビロンに敗北し、捕囚になる運命でした。(新実用聖書注解・いのちのことば社p1042)
 つまり、恋人だと思っていた相手は砕かれるのです。 

  あなたが繁栄していたときに、
  わたしはあなたに語りかけたが、
  あなたは『私は聞かない。』と言った。
  わたしの声に聞き従わないということ、
  これが、若いころからのあなたの生き方だった。(21節)
  あなたの牧者はみな風が追い立て、
  あなたの恋人はとりこになって行く。
  そのとき、あなたは自分のすべての悪のゆえに、
  恥を見、はずかしめを受ける。(22節)

 偶像を拝む国々と同盟して、エジプトや バビロンとの関係を政略(人間の知恵)で乗り切ろうとすることに、主は預言者エレミヤを通して警告を発してつづけたのですが、王は聞き従わなかったのです。

  レバノンの中に住み、
  杉の木の中に巣ごもりする女よ。
  陣痛があなたに起こるとき、
  産婦のような苦痛が襲うとき、
  あなたはどんなにうめくことだろう。」(23節)

 ここでの、レバノンは「王宮」の意味です。高価な杉材に囲まれた宮殿に住んで、あれこれ人間的な知恵をめぐらせているだけの王の末路を、預言者は容赦なく描写しています。

★★★★★

 24節からはエホヤキムの次の王エホヤキンについての預言です。
 最後の四人の王たちの中でも、エホヤキンは数奇な生涯をたどったようです。十八歳で即位し、間もなく侵攻して来たバビロンに降伏することになります。この時バビロン王は、ユダの人たちをごっぞりとバビロンに引いて行くのです。(U列王記二十四章14節〜16章)この第二回捕囚で、ほぼユダ王国は、崩壊したと言えます。
 もっとも、エホヤキンは、バビロンに捕え移されてから37年も捕虜として生き残り。最後は、許されてバビロン王の前で食事をする待遇を与えられたと記されています。(同25章27節〜30節) そうであったとしても、彼がユダの王としては、「罰せられている」のに変わりありません。

 「わたしは生きている、――主の御告げ――たとい、エホヤキムの子、ユダの王エコヌヤが、わたしの右手の指輪の印であっても、わたしは必ず、あなたをそこから抜き取り、(24節)
 あなたのいのちをねらう者たちの手、あなたが恐れている者たちの手、バビロンの王ネブカデレザルの手、カルデヤ人の手に渡し、(25節)
 あなたと、あなたの産みの母を、あなたがたの生まれた所ではないほかの国に投げ出し、そこであなたがたは死ぬことになる。(26節)
 彼らが帰りたいと心から望むこの国に、彼らは決して帰らない。」(27節)

 エホヤキンの母に言及があるのは、若い王の後ろ楯として、母が「主の前に悪を行なった張本人」だったからでしょう。

 このエコヌヤという人は、さげすまれて砕かれる像なのか。それとも、だれにも喜ばれない器なのか。なぜ、彼と、その子孫は投げ捨てられて、見も知らぬ国に投げやられるのか。(28節)
  地よ、地よ、地よ。主のことばを聞け。(29節)
 主はこう仰せられる。「この人を『子を残さず、一生栄えない男。』と記録せよ。彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ。」(30節)

 エホヤキンに子どもがいなかったのではなく、ユダ王朝をひきついだ子がいなかったという意味です。仮に悪を行なわせたのが彼の母であっても、王座についた者の責任が、神から問われているのです。王の施政権を意味する指輪を神が「必ず抜く」と仰せなのです。

 主の意思は固いのです。預言は神が下さるもので、預言者は神の言葉を取り次ぐ者で、王は神からこの世を治める権限を委託された者、この順序を思い起こさせられます。





posted by さとうまさこ at 09:57| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする