2016年08月28日

エレミヤ書77 ――主の御告げ告げ――偽預言者は罰せられる。エレミヤ書23章25節〜32節)



 「わたしの名によって偽りを預言する預言者たちが、『私は夢を見た。夢を見た。』と言ったのを、わたしは聞いた。(エレミヤ書23章25節)
 いつまで偽りの預言が、あの預言者たちの心にあるのだろうか。いつまで欺きの預言が、彼らの心にあるのだろうか。(26節)
 彼らの先祖がバアルのためにわたしの名を忘れたように、彼らはおのおの自分たちの夢を述べ、わたしの民にわたしの名を忘れさせようと、たくらんでいるのだろうか。(27節)
 夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。――主の御告げ――(28節)

 預言者が偽りの預言者かどうか、真実わかるのは神さまだけではないでしょうか。正しい桝でなければ正しい量を計れないように、正しいメジャーでなければ、正しいサイズが計測できないように、神様でなければ「預言」の真贋(しんがん)はわからないのでしょう。

 これは、今日にも通じる悩ましい問題です。預言者に、評論家や教育家やアナリストの機能もあるからと言って、人間社会での「予想屋」なら、間違いがあっても仕方がないのです。同じように教育のある専門家がおなじ問題に対して、正反対の意見を出すことは珍しくありません。人間が人間の代表として語るときは、特定の人や集団の利益や立場を代弁しているのですから、それで良いとも言えます。
 けれども、目を高く、もっと高いところから、つまり神の視点で物を言えるのは、当然、神だけなのです。 そこに預言者の神秘があり、人間の目で見ると悩ましい問題が起きるのです。

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 本当の預言かどうか見抜く方法が、私たち人間にあるでしょうか。すでに、それについても語られています。昨日の引用から、再録します。

  もし彼らがわたしの会議に連なったのなら、
  彼らはわたしの民にわたしのことばを聞かせ、
  民をその悪の道から、その悪い行ないから
  立ち返らせたであろうに。(エレミヤ書23節22節)

 ホンモノの預言は、民を悪の道から立ち返らせる、つまり、悔い改めさせる者であると仰せなのです。
 表現は違っても、同じ趣旨が繰り返されています。

 わたしのことばは火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか。――主の御告げ――(29節)


 本物の預言は、衝撃を人に与えるのです。人がただ安逸をむさぼっていること、自己満足の中で、それゆえ楽観的であること、そうして、結局神から離れていることに厳しい警告を発しているものだと、主は仰せです。
 もちろん、罰はあるのです。かならず、主は、神の言葉であると偽りの預言をする者の敵となると、宣言しておられるのです。

 それゆえ、見よ、――主の御告げ――わたしは、おのおのわたしのことばを盗む預言者たちの敵となる。(30節)
 見よ。――主の御告げ――わたしは、自分たちの舌を使って御告げを告げる預言者たちの敵となる。(31節)
 見よ。わたしは偽りの夢を預言する者たちの敵となる。――主の御告げ――彼らは、偽りと自慢話をわたしの民に述べて惑わしている。わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかった。彼らはこの民にとって、何の役にも立ちはしない。――主の御告げ――(32節)









posted by さとうまさこ at 08:06| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする