2016年08月30日

エレミヤ書79 バビロン捕囚がもたらすもの、悪いイチジクと良いいちじく、{エレミヤ書24章1節〜10節)



 バビロンの王ネブカデレザルが、エホヤキムの子、ユダの王エコヌヤと、ユダのつかさたちや、職人や、鍛冶屋をエルサレムから捕え移し、バビロンに連れて行って後、主は私に示された。見ると、主の宮の前に、二かごのいちじくが置かれている。(エレミヤ書24章1節)

 これは、前597年の第2回バビロン捕囚を指しています。新実用聖書注解・いのちのことば社、U列王記24章10節〜17節) 
 聖書を読むと、末期のユダ王国は、新興の大国バビロンにつかみ掛られて内臓までむしられる小さな獲物のようです。父エホヤキムがエジプトとバビロンの間で、何とか生き残ろうといろいろな策を弄したことはすべて無駄になり、結果的には、カルデヤ人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アモン人の略奪隊に攻められて国を弱体化させてしまったのです。(同24章1節2節)
 エホヤキムの子エホヤキンは、攻め上って来たバビロン軍に町を包囲され、すぐに降伏したのですが、彼と彼の母、家来、高官、宦官などといっしょにバビロンに引いて行かれます。(同15節) この時、主の宮の財宝と王宮の財宝もことごとく運び出され持ち去られた(同13節)のですから、国は事実上骨抜きになってしまったのです。

 このような情勢のなかで預言者であるエレミヤは、主からの託宣を受けるのです。
 まず、二つのかごの幻が現れます。それぞれにいちじくが入っています。
 
 一つのかごのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものである。」(2節)
 そのとき、主が私に、「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」と言われたので、私は言った。「いちじくです。良いいちじくは非常に良く、悪いのは非常に悪く、悪くて食べられないものです。」(3節)

「何を見ているのか」と言うのは、エレミヤの召命の時にも、使われた言葉です。
 神は、預言者が確かに幻を見ているか確認しておられるのです。(エレミヤ書1章11節)もとより、エレミヤは神が見せておられるものを、正しく見ています。
良いイチジクと悪いイチジクは、一目瞭然だったのでしょう。

 すると、私に次のような主のことばがあった。(4節)
 「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。このいいイチジクのように、私は、この所からカルデヤ人の地に送ったユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。(5節)
 わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。(6節)
 また、わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである。(7節)

 これは、バビロン捕囚の間に、イスラエルの民が信仰を取り戻していく事実を預言しています。異国に捕囚になって、すぐれた預言者や学者や指導者が輩出されました。神殿礼拝に代る礼拝として、会堂が各地に建てられ、そこで律法の書が読まれるような「原点に返る」信仰が生まれたのです。
 そのように主に、立ち返った者たちは、「国に帰らせる」「国を建てなおさせる」「その後は二度と彼らを引き抜かない」と約束して下さるのです。

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 しかし、悪くて食べられないあの悪いいちじくのように、――まことに主はこう仰せられる。――わたしは、ユダの王ゼデキヤと、そのつかさたち、エルサレムの残りの者と、この国に残されている者、およびエジプトの国に住みついている者とを、このようにする。(8節)

 しかし、この期間にも神に立ち直れなかった者たち、目先の益を思ってエジプトに逃げた者たちについては、悪いイチジクのようにすると仰せなのです。
 捕囚期を経験しても、造り替えられなかった人たちには恐ろしい結果が待っています。

 わたしは彼らを地のすべての王国のおののき、悩みとし、また、わたしが追い散らすすべての所で、そしり、物笑いの種、なぶりもの、のろいとする。(9節)
 わたしは彼らのうちに、剣と、ききんと、疫病を送り、彼らとその先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」(10節)







posted by さとうまさこ at 11:11| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする