2016年09月11日

エレミヤ書91 偽預言者のたくらみ――シェマヤの手紙(エレミヤ書29章15節〜32節)



 きょうも、エレミヤがバビロンにいる人たちに送った預言は続きます。

 あなたがたは、「主は私たちのために、バビロンでも預言者を起こされた。」と言っているが、(エレミヤ書29章15節)
 まことに、主は、ダビデの王座に着いている王と、この町に住んでいるすべての民と、捕囚としてあなたがたといっしょに出て行かなかったあなたがたの兄弟について、こう仰せられる。(16節)

 「捕囚として出て行かなかった者」とは、エルサレム陥落の時に、エジプトなどにいち早く逃げた者のことです。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
 いずれにせよ、この時代のような混迷時には、多くの預言者が出て来て、その中には相当の偽預言者がふくまれていたのです。ハナヌヤはエルサレムにいて、偽預言を語ったのですが、バビロンでも預言者と名乗る者がいたのです。そこで、主は仰せになります。

 万軍の主はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らの中に、剣とききんと疫病を送り、彼らを悪くて食べられない割れたいちじくのようにする。(17節)
 わたしは剣とききんと疫病で彼らを追い、彼らを、地のすべての王国のおののきとし、わたしが彼らを追い散らしたすべての国の間で、のろいとし、恐怖とし、あざけりとし、そしりとする。(18節)
 彼らがわたしのことばを聞かなかったからだ。――主の御告げ――わたしが彼らにわたしのしもべである預言者たちを早くからたびたび送ったのに、あなたがたが聞かなかったからだ。――主の御告げ――(19節)

 主は偽預言に希望を託す人たちを罰すると言われています。「飢饉と疫病、悪くて食べられないいちじく」「わたしが彼らを追い散らした国の間で、のろい、恐怖、あざけり、そしりとする」とは、なんと痛ましい預言でしょう。
 
 わたしがエルサレムからバビロンへ送ったすべての捕囚の民よ。主のことばを聞け。」(20節)

 バビロンで活躍する偽預言者その人への罰は、もっと具体的です。

 イスラエルの神、万軍の主は、わたしの名によってあなたがたに偽りを預言している者であるコラヤの子アハブと、マアセヤの子ゼデキヤについて、こう仰せられる。「見よ。わたしは彼らを、バビロンの王ネブカデレザルの手に渡す。彼はあなたがたの目の前で、彼らを打ち殺す。(21節)
 バビロンにいるユダの捕囚の民はみな、のろうときに彼らの名を使い、『主がおまえをバビロンの王が火で焼いたゼデキヤやアハブのようにされるように。』と言うようになる。(22節)

 彼らは偽預言をしただけではなく、生活も相当乱れていたようです。

 それは、彼らがイスラエルのうちで、恥ずべきことを行ない、隣人の妻たちと姦通し、わたしの命じもしなかった偽りのことばをわたしの名によって語ったからである。わたしはそれを知っており、その証人である。――主の御告げ――」(23節)

★★★★★

 バビロンにいる政治指導者ネヘラム人シェマヤは、エレミヤを迫害する手紙をエルサレムに送って来たようです。
 それに対する、主の預言がエレミヤに下っています
 
 あなたはネヘラム人シェマヤに次のように言わなければならない。(24節)
 「イスラエルの神、万軍の主は、次のように仰せられる。あなたは、あなたの名によって、エルサレムにいるすべての民と、マアセヤの子、祭司ゼパニヤ、および、すべての祭司に次のような手紙を送った。(27節)
 『主は、祭司エホヤダの代わりに、あなたを祭司とされましたが、それは、あなたを主の宮の監督者に任じて、すべて狂って預言をする者に備え、そういう者に足かせや、首かせをはめるためでした。(26節)
 それなのに、なぜ、今あなたは、あなたがたに預言しているアナトテ人エレミヤを責めないのですか。(27節)
 それで、彼はバビロンの私たちのところに使いをよこして、それは長く続く。家を建てて住みつき、畑を作ってその実を食べなさいと、言わせたのです。』」(28節)

 バビロンで楽観的な預言をしている者たちは、エルサレムから手紙を送って来るエレミヤに腹を立てて、エルサレムにいる主の宮の監督者にエレミヤを攻めるよう催促しているのです。

 ――祭司ゼパニヤがこの手紙を預言者エレミヤに読んで聞かせたとき、(29節)
 エレミヤに次のような主のことばがあった――(30節)
 「すべての捕囚の民に言い送れ。主はネヘラム人シェマヤにこう仰せられる。わたしはシェマヤを遣わさなかったのに、シェマヤがあなたがたに預言し、あなたがたを偽りに拠り頼ませた。(31節)
 それゆえ、主はこう仰せられる。『見よ。わたしはネヘラム人シェマヤと、その子孫とを罰する。彼に属する者で、だれもこの民の中に住んで、わたしがわたしの民に行なおうとしている良いことを見る者はいない。 ――主の御告げ――彼が主に対する反逆をそそのかしたからである。』」(32節)

 もとより、偽預言者で、ホンモノの預言者エレミヤを迫害するシェマヤに対して、神の厳しい罰が下るのです。






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2016年09月12日

エレミヤ書92 解放の宣言・「わたしがあなたに語ったことばをみな、書物に書きしるせ。」(エレミヤ書30章1節〜8節)



 主からエレミヤにあったみことばは、次のとおりである。(エレミヤ書30章1節)
 イスラエルの神、主はこう仰せられる。「わたしがあなたに語ったことばをみな、書物に書きしるせ。(2節)
 見よ。その日が来る。――主の御告げ――その日、わたしは、わたしの民イスラエルとユダの捕われ人を帰らせると、主は言う。わたしは彼らをその先祖たちに与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」(3節)

 これは、捕囚から帰還できるという神の宣言です。それをエレミヤの口から民に告げさせるだけでなく、書き記せとの御命令です。

 「書き記す」のは、確実性を保障していることでしょう。もちろん、神のことばに間違いはありえないのですが、それを聞く人間の側に記憶違いや解釈の違いが起きます。
 聖書の歴史で、「書き記された」物といえば、「十戒の石の板」が、まず、思い起こされます。シナイ契約に当たって、イスラエルの民が守るべきおきてを、神ご自身が書いて下さったのです。(出エジプト記32章18節)
 しかも、二回も書いて下さったのです。いかに書き記すことが重要だったかわかります。(同34章1節)

★★★★★

 主がイスラエルとユダについて語られたことばは次のとおりである。(4節)
 まことに主はこう仰せられる。「おののきの声を、われわれは聞いた。恐怖があって平安はない。(5節)
男が子を産めるか、さあ、尋ねてみよ。
  わたしが見るのに、
  なぜ、男がみな、産婦のように
  腰に手を当てているのか。
  なぜ、みなの顔が青く変わっているのか。(6節)
  ああ。
  その日は大いなる日、比べるものもない日だ。
  それはヤコブにも苦難の時だ。
  しかし彼はそれから救われる。(7節)

 これは捕囚の苦しみです。捕虜といえば、たとえば、第二次大戦中のシベリヤへの捕虜の苦しみなどが語られましたが、それでもまだ、近代の戦時捕虜には希望がありました。いつか帰国できるかもしれないからです。戦争終結の条約の中で、捕虜の処遇が語られ、開放されるに決まっているからです。しかし、捕囚は、兵士だけでなく、いわば敗戦国の住民すべてをとりこにすることです。子どもや年寄りや病人は除外されたかもしれませんが、それは幸いではなく、家族すべてが連れ去られるのに置き去りにされるのは、また、死を意味していました。
 まだ見ぬ地、敵の土地で暮すのは、今日の難民よりはるかに厳しいかもしれません。
 行く先々で、だれが彼らに食事を支給したのでしょう。疲れて横になりたい時、移動病院はあったのでしょうか。ことばは? 習慣は? 家族がバラバラにされたり、妻や娘が連れ去られそうなときはどうすればいいのでしょう。

 相続地にいるときは、いくらか苦労はあっても、男たちは家族や氏族、部族のきずなの中で生きているという実感もあったでしょう。けれども、捕囚では、どこに自分のアイデンティティを求めればよいのでしょう。

 だから、男たちも、女の産みの苦しみのように「声を上げ、みもだえした」のです。

 その日になると、――万軍の主の御告げ――わたしは彼らの首のくびきを砕き、彼らのなわめを解く。他国人は二度と彼らを奴隷にしない。(8節)

 さいわい、その苦しみは「期間限定」なのだと、主は告げて下さるのです。
 万軍の主が、くびきを砕いて、縄も解いて下さるというのです。その後は、二度と捕囚生活、奴隷生活はないと宣告して下さるのです。







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2016年09月13日

エレミヤ書93 解放の宣言・「あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」(エレミヤ書31 章1節〜8節)



 その日になると、――万軍の主の御告げ――わたしは彼らの首のくびきを砕き、彼らのなわめを解く。他国人は二度と彼らを奴隷にしない。(エレミヤ書30章8節)
 彼らは彼らの神、主と、わたしが彼らのために立てる彼らの王ダビデに仕えよう。(9節)
  わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。――主の御告げ――
  イスラエルよ。おののくな。
  見よ。わたしが、あなたを遠くから、
  あなたの子孫を捕囚の地から、救うからだ。
  ヤコブは帰って来て、平穏に安らかに生き、
  おびえさせる者はだれもいない。(10節)

 神は、「捕囚からの帰還の日がくる」と宣言しています。その後は、二度と奴隷にされることはなく、ダビデ王朝を中心にヤコブとして存在できると仰せなのです。
 ここでヤコブと言われているのは、先に滅んだ北王国イスラエルの民をも含めているからです。もともと、イスラエル王国はヤコブの12人の息子の子孫・イスラエル12部族のものでした。帰還後に国を再建する者
に、アッシリヤ捕囚になった北イスラエルの民も加わるとの含みがあるのでしょう。

  わたしがあなたとともにいて、
  ――主の御告げ――
  あなたを救うからだ。
  わたしは、あなたを散らした先の
  すべての国々を滅ぼし尽くすからだ。
  しかし、わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。
  公義によって、あなたを懲らしめ、
  あなたを罰せずにおくことは決してないが。」(11節)

 アッシリヤ、バビロン、エジプトなどは、罰を受け、ヤコブもその罪により神の罰を受ける。けれども、ヤコブを苦しめた大国が全部滅びるのに対し、イスラエルは生きのびると仰せです。

★★★★★

  まことに主はこう仰せられる。
  「あなたの傷はいやしにくく、
  あなたの打ち傷は痛んでいる。(12節)
  あなたの訴えを弁護する者もなく、
  はれものに薬をつけて、
  あなたをいやす者もいない。(13節)
  あなたの恋人はみな、あなたを忘れ、
  あなたを尋ねようともしない。
  わたしが、敵を打つようにあなたを打ち、
  ひどい懲らしめをしたからだ。
  あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いために。(14節)

 苦しみを譬える聖書特有の表現が連なります。「傷、うち傷、弁護してくれる者がいないような訴え(非難中傷)、薬を付けてくれる者もなく、親しく愛し合った相手にさえ忘れられる。このような中にいる者は、涙、悲しみ、孤独に沈んでいるのです。

  なぜ、あなたは自分の傷のために叫ぶのか。
  あなたの痛みは直らないのか。
  あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いため、
  わたしはこれらの事を、あなたにしたのだ。(15節)

 しかも、神は、「自分で転んだのだ。自分で痛みを作ったのだ」とは言われていません。聖書の神のすごいところは、「あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いため、私がこれらのことをした」と言われます。
 ただ、神は、決して「打ちっぱなし」にはなさいません。愛する子を懲らしめた後には、フォローする親のように振る舞って下さるのです。

  しかし、あなたを食う者はみな、かえって食われ、
  あなたの敵はみな、とりことなって行き、
  あなたから略奪した者は、略奪され、
  あなたをかすめ奪った者は、
  わたしがみな獲物として与える。(16節)
  わたしがあなたの傷を直し、
  あなたの打ち傷をいやすからだ。
  ――主の御告げ――
  あなたが、捨てられた女、
  だれも尋ねて来ないシオン、と呼ばれたからだ。」(17節)

  主はこう仰せられる。
  「見よ。
  わたしはヤコブの天幕の捕われ人を帰らせ、
  その住まいをあわれもう。
  町はその廃墟の上に建て直され、
  宮殿は、その定められている所に建つ。(18節)
  彼らの中から、感謝と、喜び笑う声がわき出る
  わたしは人をふやして減らさず、
  彼らを尊くして、軽んじられないようにする。(19節)
  その子たちは昔のようになり、
  その会衆はわたしの前で堅く立てられる。
  わたしはこれを圧迫する者をみな罰する。(20節)
  その権力者は、彼らのうちのひとり、
  その支配者はその中から出る。

★★★★★

  わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。
  わたしに近づくためにいのちをかける者は、
  いったいだれなのか。――主の御告げ――(21節)

 捕囚からの帰還、元の生活の回復、圧迫者たちへの罰は、すべて人間の思いと力を超えた出来事です。しかし、万軍の主、全能の神は、約束をたがえる方ではないのです。お約束が実現する時、イスラエルはふたたび神様に近づくのですが、それは「わたしが彼を近づけ」られたからです。

 つぎの言葉は、イスラエルの民と神との契約関係を示す常套句です。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
 
  あなたがたはわたしの民となり、
  わたしはあなたがたの神となる。」(22節)

 さらに力強く約束が繰り返されています。

  見よ。主の暴風、――憤り――
  吹きつける暴風が起こり、
  悪者の頭上にうずを巻く。(23節)
  主の燃える怒りは、
  御心の思うところを行なって、成し遂げるまで
  去ることはない。
  終わりの日に、あなたがたはそれを悟ろう。(24節)



      ★聖書は新改訳聖書を使っています。





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2016年09月14日

エレミヤ書94 解放の宣言・「――主の御告げ――」(エレミヤ書31章1節〜8節)



 捕囚からの帰還、イスラエルの回復のメッセージは、力強く続きます。

 「その時、――主の御告げ――わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ書31章1節)
  主はこう仰せられる。
  「剣を免れて生き残った民は
  荒野で恵みを得た。
  イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」(2節)

  主は遠くから、私に現われた。
  「永遠の愛をもって、
  わたしはあなたを愛した。
  それゆえ、わたしはあなたに、
  誠実を尽くし続けた。(3節)
  おとめイスラエルよ。
  わたしは再びあなたを建て直し、
  あなたは建て直される。
  再びあなたはタンバリンで身を飾り、
  喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。(4節)
  再びあなたはサマリヤの山々に
  ぶどう畑を作り、
  植える者たちは植えて、
  その実を食べることができる。(5節)
  エフライムの山では見張る者たちが、
  『さあ、シオンに上って、
  私たちの神、主のもとに行こう。』と
  呼ばわる日が来るからだ。」(6節)

 イスラエル王国は、ソロモンの子レハブアムの時に、南北に分裂しました。北王国の王となったヤロブアムは、民がエルサレム神殿を慕うのを恐れて、金の小牛をダンとベテルに置き、神殿礼拝の代わりと定めました。しかし、これがどれほど大きな過ちであったかは,自明のことです。「手で刻んだ物」を拝むことは十戒の第二戒で厳しく禁じられているのです。
 ですから、北イスラエルはつねに謀反や暗殺で王家が交代し、エリヤやエリシャのような預言者の活躍があったにもかかわらず、アッシリヤに攻められて滅亡しました。南王国の滅亡(BC586年)に先立つ150年程も前のことです。(BC723年〜722年)

 エレミヤに授けられた預言のよれば、捕囚から期間後の民は、南ユダ王国の民も北イスラエル王国の民も、回復されるのです。北王国の首都だったサマリヤで、もう一度人々は喜んでぶどうを作り、「エルサレムに礼拝に行こう」と言うようになるのです。

★★★★★

  まことに主はこう仰せられる。
  「ヤコブのために喜び歌え。
  国々のかしらのために叫べ。
  告げ知らせ、賛美して、言え。
  『主よ。あなたの民を救ってください。
  イスラエルの残りの者を。』(7節)
  見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、
  地の果てから彼らを集める。
  その中には目の見えない者も足のなえた者も、
  妊婦も産婦も共にいる。
  彼らは大集団をなして、ここに帰る。(8節)
  彼らは泣きながらやって来る。
  わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。
  わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、
  彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。
  わたしはイスラエルの父となろう。
  エフライムはわたしの長子だから。」(9節)

 この段落は、北イスラエル王国の民について語られているようです。
 エフライムは、エフライム人ヤロブアムが立てた国でした。相続地もカナンの中央にありました。ヤコブの一族をエジプトに移住させたヤコブの11番目の息子ヨセフは、神の民の育成のために大きな功績がありました
 そのためでしょうか。ヨシュアが相続地の分配をするとき、ヨセフ族のエフライムとマナセは、イスラエルの中央部分の良い土地を引き当てました。
 サムエルの父エルカナもエフライムの出身であり、サウルもエフライム人であることを、考えても、彼らが神のご計画の中で、ユダの次に大きな重荷を持つ部族であったのはわかります。
 ですから、北イスラエルの民のことを、ここで、エフライムと呼んでいるのです。

  諸国の民よ。主のことばを聞け。
  遠くの島々に告げ知らせて言え。
  「イスラエルを散らした者がこれを集め、
  牧者が群れを飼うように、これを守る。」と。(10節)
  主はヤコブを贖い、
  ヤコブより強い者の手から、
  これを買い戻されたからだ。(11節)
  彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、
  穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、
  羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。
  彼らのたましいは潤った園のようになり、
  もう再び、しぼむことはない。(12節)
  そのとき、若い女は踊って楽しみ、
  若い男も年寄りも共に楽しむ。
  「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、
  彼らの憂いを慰め、楽しませる。(13節)
  また祭司のたましいを髄で飽かせ、
  わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。
  ――主の御告げ――」(14節)

 ヤコブ(イスラエル)がこのように回復されるなどという預言を、この時、捕囚の民は信じたでしょうか。
 たぶん、不信の民や偽預言者の惑わしが、せっかくの預言をさえぎっていたことでしょう。ですから、この箇所には、何度も、「――主の御告げ――」が繰り返されています。













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2016年09月15日

エレミヤ書95 「ラケルがその子らのために泣いている」(エレミヤ書31章15節〜20節)



  主はこう仰せられる。
  「聞け。ラマで聞こえる。
  苦しみの嘆きと泣き声が。
  ラケルがその子らのために泣いている。
  慰められることを拒んで。
  子らがいなくなったので、
  その子らのために泣いている。」(エレミヤ書30章15節)

 ラケルは、ヤコブの四人の妻の一人です。聖書にあるように、ヤコブは兄エサウと父イサクを裏切って家から逃げ、叔父ラバンの家にやってきたのです。ヤコブは妹娘ラケルに恋をしました。ラケルが美しかったからです。(創世記29章17節)

 ラケルのために七年間、ただ働きをしたのち、ラケルと結婚式を上げたのですが翌朝になってみると、それはレアでした。ヤコブはもう七年をラケルのために働くと約束し、結局二人の妻を娶ったのです。しかし、彼は生涯、レアよりラケルを愛していました。残念ながら、レアが次々と子供を産むのに対し、ラケルは「不妊の女」でした。レアに嫉妬したラケルは、自分の奴隷女をヤコブに差し出して、子供をもうけたのです。

 ラケルに彼女自身の子どもが与えられたのは、レアが六人の息子を産み、レアとラケルの女奴隷がそれぞれ二人ずつヤコブの息子を産んだ後でした。

 神はラケルを覚えておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。
 彼女はみごもって男の子を産んだ。そして「神は私の汚名を取り去ってくださった」と言って、
 その子をヨセフと名づけ、「主がもうひとりの子を私に加えて下さるように」と言った。 
                         (創世記30章22節〜24節)

 待ちに待ったラケルの子ヨセフ、その二人の子どもがエフライムとマナセでした。彼らは、のちにイスラエルの二つに部族になり、北王国の主要メンバーとなりました。

★★★★★

 ラケルの泣き声は、エフライムを含む北イスラエル王国の惨状を悼む神の御思いを表わしているのでしょうか。

  主はこう仰せられる。
  「あなたの泣く声をとどめ、
  目の涙をとどめよ。
  あなたの労苦には報いがあるからだ。
  ――主の御告げ――
  彼らは敵の国から帰って来る。(16節)
  あなたの将来には望みがある。
  ――主の御告げ――
  あなたの子らは自分の国に帰って来る。(17節)

 ここでの「あなた」は、ラケルを指しているのは明らかです。

  わたしは、エフライムが嘆いているのを
  確かに聞いた。
  『あなたが私を懲らしめられたので、
  くびきに慣れない子牛のように、
  私は懲らしめを受けました。
  私を帰らせてください。
  そうすれば、帰ります。
  主よ。あなたは私の神だからです。(18節)
  私は、そむいたあとで、悔い、
  悟って後、ももを打ちました。
  私は恥を見、はずかしめを受けました。
  私の若いころのそしりを
  負っているからです。』と。

 北王国は、偶像礼拝にまみれたひどい行状の王ばかりが出て来ました。
 預言者アヒヤを通じて、神が北の10部族をヤロブアムにお与えになったのに、彼らは神の期待にお答えできる国を立てることができませんでした。
それでも、アッシリヤに連れ去られ、さんざん辱めを受けるなかで、主に立ち返った者たちがいたのです。

  エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。
  それとも、喜びの子なのだろうか。
  わたしは彼のことを語るたびに、
  いつも必ず彼のことを思い出す。
  それゆえ、わたしのはらわたは
  彼のためにわななき、
  わたしは彼をあわれまずにはいられない。
  ――主の御告げ――(20節)









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