2016年09月02日

エレミヤ書82 この憤りのぶどう酒の杯をわたしの手から取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々に、これを飲ませよ――神の怒り、2{エレミヤ書25章15節〜35節)



 まことにイスラエルの神、主は、私にこう仰せられた。「この憤りのぶどう酒の杯をわたしの手から取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々に、これを飲ませよ。(エレミヤ書25章15節)
 彼らは飲んで、ふらつき、狂ったようになる。わたしが彼らの間に送る剣のためである。」(16節)
 そこで、私は主の御手からその杯を取り、主が私を遣わされたすべての国々に飲ませた。(17節)

 聖書の引用箇所を少し戻しました。「神の怒りの杯(さかずき)」という激烈な表現を噛みしめたいと思ったからです。さらに前の箇所で、神は、罪を犯すユダを、バビロンを使って罰せられると仰せです。そこでユダ王国は、領土を荒され、人はバビロン捕囚として連れ去られ、国が崩壊してしまうことになるのです。いわば、神はバビロンをユダへの剣として用いておられるのです。
 ですが、結局、バビロンもバビロンの同盟国も、バビロンの敵対国エジプトも、地中海の国々も、神によって罰せられるのです。
 その罰を、彼らに預言するよう、エレミヤは神から命じられています。

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 怒りの杯とは、ぶどう酒のことではありません。悪い酒が苦痛と狂気と混乱をもたらすように、これらの国々が混乱の中で苦しむのです。

 エルサレムとユダの町々とその王たち、つかさたちに。――彼らを今日のように廃墟とし、恐怖とし、あざけりとし、のろいとするためであった――(18節)
 エジプトの王パロと、その家来たち、つかさたち、すべての民に、(19節)
 すべての混血の民、ウツの地のすべての王たち、ペリシテ人の地のすべての王たち――アシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドデの残りの者――に、(20節)

 まず南の国から名前が挙がっています。地中海沿いの町々を北上し、やがて、死海の東の国、エドム、モアブ、アモンが名指しされています。

 エドム、モアブ、アモン人に、(21節)
 ツロのすべての王たち、シドンのすべての王たち、海のかなたにある島の王たちに、(22節)

 ツロは、ダンより北の国です。ツロとシドンは地中海に面した港町でした。その海のかなたの国とは、地中海沿岸の国々、のちに来るギリシャでしょうか。後のローマでしょうか。

 デダン、テマ、ブズ、こめかみを刈り上げているすべての者に、(23節)
 アラビヤのすべての王たち、荒野に住む混血の民のすべての王たちに、(24節)
 ジムリのすべての王たち、エラムのすべての王たち、メディヤのすべての王たちに、(25節)

 地名は、しだいに北上し最後にバビロンが上げられています。

 北国のすべての王たち、近い者も遠い者もひとりひとりに、地上のすべての王国に飲ませ、彼らのあとでバビロンの王が飲む。(26節)
 「あなたは彼らに言え。『イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。飲んで酔い、へどを吐いて倒れよ。起き上がるな。わたしがあなたがたの間に剣を送るからだ。』(27節)

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 もし、彼らが、あなたの手からその杯を取って飲もうとしなければ、彼らに言え。『万軍の主はこう仰せられる。あなたがたは必ず飲まなければならない。(28節)
 見よ。わたしの名がつけられているこの町にも、わたしはわざわいを与え始めているからだ。あなたがたが、どんなに罰を免れようとしても、免れることはできない。わたしが、この地の全住民の上に、剣を呼び寄せているからだ。――万軍の主の御告げ――』(29節)

 エレミヤの預言はどこの国も受け入れないと、神は、ご存知なのです。それゆえ、「万軍の主」は念押ししています。

 あなたは彼らにこのすべてのことばを預言して、言え。『主は高い所から叫び、その聖なる御住まいから声をあげられる。その牧場に向かって大声で叫び、酒ぶねを踏む者のように、地の全住民に向かって叫び声をあげられる。(30節)
 その騒ぎは地の果てまでも響き渡る。主が諸国の民と争い、すべての者をさばき、悪者どもを剣に渡されるからだ。――主の御告げ――(31節)

 言葉を変え、表現を変えて、主の宣告は続きます。

 万軍の主はこう仰せられる。見よ。わざわいが国から国へと移り行き、大暴風が地の果てから起こる。(32節)
 その日、主に殺される者が地の果てから地の果てまでに及び、彼らはいたみ悲しまれることなく、集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。』」(33節)

 戦乱の果てに廃墟となり、死体が累々と地に放置されている光景が思い浮かびます。「主の憤りのぶどう酒の杯」がもたらす結果です。

  牧者たちよ。泣きわめけ。
  群れのあるじたちよ。灰の中にころげ回れ。
  あなたがたがほふられ、
  あなたがたが散らされる日が来たからだ。
  あなたがたは美しい雄羊のように倒れる。(34節)
  逃げ場は牧者たちから、
  のがれ場は群れのあるじたちから消えうせる。(35節)

 ここでの「牧者」は、群れのあるじ、すなわち、王や長老など国々の指導者です。神の怒りの剣は、このように上の者にたいしてより厳しく振るわれるのです。
 だれが指揮をしたのか、だれが責任を取るべきか、主の目からは明快なことだからでしょう。

  聞け。牧者たちの叫び、
  群れのあるじたちの泣き声を。
  主が彼らの牧場を荒らしておられるからだ。(36節)
  平和な牧場も、
  主の燃える怒りによって荒れすたれる。(37節)
  主は、若獅子のように、仮庵を捨てた。
  主の燃える剣、主の燃える怒りによって、
  彼らの国が荒れ果てるからだ。(38節)









posted by さとうまさこ at 09:33| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする