2016年09月06日

エレミヤ書86 あなたはなわとかせとを作り、それをあなたの首につけよ。{エレミヤ書27章1節〜11節)



 ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの治世の初めに、主からエレミヤに次のようなことばがあった。(エレミヤ書27章1節)

 エレミヤ書27章は、ユダ最後の王ゼデキヤへの預言になっています。ですから、一節のユダの王エホヤキムは間違いではないかと言うのが、いろいろな方の意見です。いきなり引用で恐縮ですが、空知太キリスト栄光教会の銘形牧師は次のように書いておられます。

 ##27章の時代背景は1節に記されていますが、新改訳では「ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの治世の初めに」とあります。しかし内容的には明らかに、ユダの最後の王となったゼデキヤの治世の初めなのです。口語訳、新共同訳は「ユダの王ヨシヤの子ゼデキヤの治世の初めに」と訳しています。新改訳の脚注によると、シリヤ語訳は「ゼデキヤ」となっていることを記しています。
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 主は私にこう仰せられる。「あなたはなわとかせとを作り、それをあなたの首につけよ。(2節)
そうして、エルサレムのユダの王ゼデキヤのところに来る使者たちによって、エドムの王、モアブの王、アモン人の王、ツロの王、シドンの王に伝言を送り、(3節)
 彼らがそれぞれの主君に次のことを言うように命じよ。『イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。あなたがたは主君にこう言え。(4節)

 主の預言を取り次ぐ預言者に、扮装をさせるという箇所はほかにもありますが、あまりに具体的で、今の私たちにはちょっと不思議ですね。首にかせを付け、縄でつないだエレミヤを見て、王や民は預言の意味をより深刻に受け取ったのでしょうか。

 わたしは、大いなる力と、伸ばした腕とをもって、地と、地の面にいる人間と獣とを造った。それで、わたしの見る目にかなった者に、この地を与えるのだ。(5節)

 これぞ神・主のことばですね。神以外の誰がこのような大それたことを言えるでしょう。聖書読者ならだれでも、「ははーっ」と平伏してしまいそうな天地を創造された方のことばです。この神は同時に天地のすべてに主権をお持ちであることも、キリスト者は知っています。私たちが今この世界に存在して、自由に地上の物を享受しているのも、神が「それを許して下さった」からです。ただ、ここで意味しているのは、地上の支配権です。

 今、わたしは、これらすべての国をわたしのしもべ、バビロンの王ネブカデネザルの手に与え、野の獣も彼に与えて仕えさせる。(6節)

 「ええ、なぜ、バビロンの王なんですか」と思わず、聞き返したくなります。「だって、彼は異教徒でしょう。神様は、私たちアブラハムの子孫を星の数のようにして下さり、この地を与えると約束して下さったのではないのですか。どうして、ここで先祖伝来のこの地までバビロン王に支配されなければならないのですか」

 もちろん、主のことばには但し書きがついていました。

  ――彼の国に時が来るまで、すべての国は、彼と、その子と、その子の子に仕えよう。しかし時が来ると、多くの民や大王たちが彼を自分たちの奴隷とする――(7節)

 バビロンの支配は、「時が来ると」終わるのです。

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 バビロン王の世界支配は限定的なものであると主は仰せなのです。しかし、今、ユダは、主の御命令に従うのです。そうしない場合は、戦争、飢饉、疫病とあらゆる災難が襲い、結局、皆殺しの目に遭うのです。

 バビロンの王ネブカデネザルに仕えず、またバビロンの王のくびきに首を差し出さない民や王国があれば、わたしはその民を剣と、ききんと、疫病で罰し、――主の御告げ――彼らを彼の手で皆殺しにする。(8節)

 ところが、正反対の預言をしている者がいるようです。
 
 だから、あなたがたは、バビロンの王に仕えることはない、と言っているあなたがたの預言者、占い師、夢見る者、卜者、呪術者に聞くな。(9節)
 彼らは、あなたがたに偽りを預言しているからだ。それで、あなたがたは、あなたがたの土地から遠くに移され、わたしはあなたがたを追い散らして、あなたがたが滅びるようにする。(10節)

 偽預言をする者は、結局、神によって追い散らされ、滅ぼされるのです。
 国の進路のような大きな問題では。どんなに議論をしても正しい答えに到達できないことが多いのです。完全に安全で、決して損をしない政治的解決などそもそもありません。政治は力関係で、交渉ごとは力を背景に行なわれ、弱い国は容赦なく追い散らされ潰されてきたというのが、歴史の興亡です。
 それだけに、最終的には神のことばが必要なのではないでしょうか。

 さいわい、主がエレミヤに授けられた預言には、希望があります。
 たとえ、縄とかせを首に付けられ、バビロンに引かれても、そうせよと主の御命令であるなら従いなさい。エレミヤは、そう告げたのです。

 しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたしはその土地にいこわせる。――主の御告げ――こうして、その土地を耕し、その中に住む。』」(11節)








posted by さとうまさこ at 10:43| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする