2016年09月09日

エレミヤ書89 偽預言者への宣告――あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。(エレミヤ書28章1節〜11節)



 預言者ハナヌヤが預言者エレミヤの首からかせを取ってこれを砕いて後、エレミヤに次のような主のことばがあった。(エレミヤ書28章12節)
 しかし預言者ハナヌヤは、預言者エレミヤの首から例のかせを取り、それを砕いた。(10節)
 そしてハナヌヤは、すべての民の前でこう言った。「主はこう仰せられる。『このとおり、わたしは二年のうちに、バビロンの王ネブカデネザルのくびきを、すべての国の首から砕く。』」そこで、預言者エレミヤは立ち去った。(11節)


 この箇所は、説明するまでもないかもしれません。エレミヤが木の首かせを付けた姿から、それをハナヌヤが壊す場面まで。危険を感じてエレミヤがいったん神殿から出て行くところまでが、映像のように見えます。
 そのエレミヤに、すぐに、神が言葉を授けられるのです。

「行って、ハナヌヤに次のように言え。『主はこう仰せられる。あなたは木のかせを砕いたが、その代わりに、鉄のかせを作ることになる。(13節)

 自分の望まない未来や、聞きたくない忠告を聞かされると、「カッとなって」怒るのは人の性質ですね。すぐさま相手に平手打ちを食わせる者、突き付けられた忠告の文書、悪い知らせの手紙などを破るシーンを映画などで一度は見たことがあるのではないでしょうか。
 強く反応することで、ハナヌヤはエレミヤの預言を打ち砕いたつもりだったのでしょう。
 しかし、預言は神から来ているのですから、かせを打ち砕いてもビクともしないのです。
 それどころか、「鉄のかせをつくることになった」と神が仰せなのです。

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 まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。わたしは鉄のくびきをこれらすべての国の首にはめて、バビロンの王ネブカデネザルに仕えさせる。それで彼らは彼に仕える。野の獣まで、わたしは彼に与えた。』」(14節)

 もともと神が意図されているのは、「鉄のくびきをすべての国の人の首にはめて、ネブカデネザルに仕えさせること」だと、言うのです。神が、この時、ネブカデネザルに、野の獣まで与えたと決めておられるのです。

 こんなことがあるのでしょうか。ネブカデネザルは異教徒です。イスラエルは神の選びの民です。神がご自分の民を捨てて――それどころか、鉄のかせを付けて、そっくり異教徒の王に渡すなどということがあるのでしょうか。
 当時のイスラエル民がハナヌヤの預言を受けいれたのは、このような、きわめて単純な前提があったのだと思います。仮にどんなにユダの王が罪を犯していても、偶像礼拝で道を誤っていたとしても、神様は、過去に、イスラエルの過ちを、それこそ、数えきれないほど赦して下さったではないか。

 ハナヌヤは、世論の希望を読んだのでしょう。いわゆる「空気を読む」ですね。これは人の社会で、人しか見ていないとだれでも陥る間違いです。かく言うもちろん、さとうも、人の顔色ばかり見ていると思うことがあります。
 その先に、美しい音楽や花々や笑顔や御馳走があふれ、みんなが幸せそうに見える、そんな道が見えたりするのです。いえ、そういう安全と安逸の果実を求める本能が、人にはあるのかもしれません。
 たとえ、今はあらしでも、目をつむって耐えていれば、やがてすぐに雲が切れ日が差してくる――。
 かつて、荒野で、モーセからカナン偵察に送られた12人の斥候のうち、10人は悲観的な報告をし、ヨシュアとカレブは、「カナンに入れる」と楽観的な報告をしました。(民数記13章14章)この時は、「カナンに入れる」と言うのが神の御心でしたから、それを、率直に「見ることができた」ヨシュアとカレブは、カナンに入ることができました。

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 そこで預言者エレミヤは、預言者ハナヌヤに言った。「ハナヌヤ。聞きなさい。主はあなたを遣わされなかった。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。(15節)
 それゆえ、主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたを地の面から追い出す。ことし、あなたは死ぬ。主への反逆をそそのかしたからだ。』」(16節)
 預言者ハナヌヤはその年の第七の月に死んだ。(17節)

 大切なのは、神の御心を『聞く』ことであって、『明るい未来を見たい』という欲望に従うことではない」のでしょう。
 偽預言者の問題は、かなり根源的です。








posted by さとうまさこ at 10:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする