2016年09月14日

エレミヤ書94 解放の宣言・「――主の御告げ――」(エレミヤ書31章1節〜8節)



 捕囚からの帰還、イスラエルの回復のメッセージは、力強く続きます。

 「その時、――主の御告げ――わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ書31章1節)
  主はこう仰せられる。
  「剣を免れて生き残った民は
  荒野で恵みを得た。
  イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」(2節)

  主は遠くから、私に現われた。
  「永遠の愛をもって、
  わたしはあなたを愛した。
  それゆえ、わたしはあなたに、
  誠実を尽くし続けた。(3節)
  おとめイスラエルよ。
  わたしは再びあなたを建て直し、
  あなたは建て直される。
  再びあなたはタンバリンで身を飾り、
  喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。(4節)
  再びあなたはサマリヤの山々に
  ぶどう畑を作り、
  植える者たちは植えて、
  その実を食べることができる。(5節)
  エフライムの山では見張る者たちが、
  『さあ、シオンに上って、
  私たちの神、主のもとに行こう。』と
  呼ばわる日が来るからだ。」(6節)

 イスラエル王国は、ソロモンの子レハブアムの時に、南北に分裂しました。北王国の王となったヤロブアムは、民がエルサレム神殿を慕うのを恐れて、金の小牛をダンとベテルに置き、神殿礼拝の代わりと定めました。しかし、これがどれほど大きな過ちであったかは,自明のことです。「手で刻んだ物」を拝むことは十戒の第二戒で厳しく禁じられているのです。
 ですから、北イスラエルはつねに謀反や暗殺で王家が交代し、エリヤやエリシャのような預言者の活躍があったにもかかわらず、アッシリヤに攻められて滅亡しました。南王国の滅亡(BC586年)に先立つ150年程も前のことです。(BC723年〜722年)

 エレミヤに授けられた預言のよれば、捕囚から期間後の民は、南ユダ王国の民も北イスラエル王国の民も、回復されるのです。北王国の首都だったサマリヤで、もう一度人々は喜んでぶどうを作り、「エルサレムに礼拝に行こう」と言うようになるのです。

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  まことに主はこう仰せられる。
  「ヤコブのために喜び歌え。
  国々のかしらのために叫べ。
  告げ知らせ、賛美して、言え。
  『主よ。あなたの民を救ってください。
  イスラエルの残りの者を。』(7節)
  見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、
  地の果てから彼らを集める。
  その中には目の見えない者も足のなえた者も、
  妊婦も産婦も共にいる。
  彼らは大集団をなして、ここに帰る。(8節)
  彼らは泣きながらやって来る。
  わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。
  わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、
  彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。
  わたしはイスラエルの父となろう。
  エフライムはわたしの長子だから。」(9節)

 この段落は、北イスラエル王国の民について語られているようです。
 エフライムは、エフライム人ヤロブアムが立てた国でした。相続地もカナンの中央にありました。ヤコブの一族をエジプトに移住させたヤコブの11番目の息子ヨセフは、神の民の育成のために大きな功績がありました
 そのためでしょうか。ヨシュアが相続地の分配をするとき、ヨセフ族のエフライムとマナセは、イスラエルの中央部分の良い土地を引き当てました。
 サムエルの父エルカナもエフライムの出身であり、サウルもエフライム人であることを、考えても、彼らが神のご計画の中で、ユダの次に大きな重荷を持つ部族であったのはわかります。
 ですから、北イスラエルの民のことを、ここで、エフライムと呼んでいるのです。

  諸国の民よ。主のことばを聞け。
  遠くの島々に告げ知らせて言え。
  「イスラエルを散らした者がこれを集め、
  牧者が群れを飼うように、これを守る。」と。(10節)
  主はヤコブを贖い、
  ヤコブより強い者の手から、
  これを買い戻されたからだ。(11節)
  彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、
  穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、
  羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。
  彼らのたましいは潤った園のようになり、
  もう再び、しぼむことはない。(12節)
  そのとき、若い女は踊って楽しみ、
  若い男も年寄りも共に楽しむ。
  「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、
  彼らの憂いを慰め、楽しませる。(13節)
  また祭司のたましいを髄で飽かせ、
  わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。
  ――主の御告げ――」(14節)

 ヤコブ(イスラエル)がこのように回復されるなどという預言を、この時、捕囚の民は信じたでしょうか。
 たぶん、不信の民や偽預言者の惑わしが、せっかくの預言をさえぎっていたことでしょう。ですから、この箇所には、何度も、「――主の御告げ――」が繰り返されています。













posted by さとうまさこ at 10:40| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする