2016年09月19日

エレミヤ書99 土地を買い戻す理由、(エレミヤ書32章24節〜44節)



 ご覧ください。この町を攻め取ろうとして、塁が築かれました。この町は、剣とききんと疫病のために、攻めているカルデヤ人の手に渡されようとしています。あなたの告げられた事は成就しました。ご覧のとおりです。(エレミヤ書32章24節)
 神、主よ。あなたはこの町がカルデヤ人の手に渡されようとしているのに、私に、『銀を払ってあの畑を買い、証人を立てよ。』と仰せられます。」(25節)

 おじさんの畑を買い戻して法的手続き――証人を立てよとのご命令は、戦いが負け戦であると預言を受けたエレミヤにとっては、承服しがたいことでした。
 今の時代にたとえれば、核戦争で日本が滅びるとわかっている時に、土地を買っておくのと同じです。りっぱな業者を仲介者にし、法的手続きを完ぺきなものにしても、国が崩壊してしまったら、何の意味があるのか、です。

 エレミヤの問いに神は答えて下さいます。

 エレミヤに次のような主のことばがあった。(26節)
 「見よ。わたしは、すべての肉なる者の神、主である。わたしにとってできないことが一つでもあろうか。」(27節)
 「それゆえ、主はこう仰せられる。見よ。わたしはこの町を、カルデヤ人の手と、バビロンの王ネブカデレザルの手に渡す。彼はこれを取ろう。(28節)
 また、この町を攻めているカルデヤ人は、来て、この町に火をつけて焼く。また、人々が屋上でバアルに香をたき、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いで、わたしの怒りを引き起こしたその家々にも火をつけて焼く。(29節)
 なぜなら、イスラエルの子らとユダの子らは、若いころから、わたしの目の前に悪のみを行ない、イスラエルの子らは、その手のわざをもってわたしの怒りを引き起こすのみであったからだ。――主の御告げ――(30節)
 この町は、建てられた日から今日まで、わたしの怒りと憤りを引き起こしてきたので、わたしはこれをわたしの顔の前から取り除く。(31節)

 神は、すぐには、エレミヤが「ホッとする」ような答えを下さいません。
 エルサレムは滅びるのです。ネブカデレザルの部下であるカルデヤ人がエルサレムを占領し、町に火を付けるのです。それは、同時にバアルの神殿をも焼き尽くすことになります。そのようにして神は、イスラエル子らが繰り返してきた、神に対する不義を取り除くと仰せなのです。

 それは、イスラエルの子らとユダの子らが、すなわち彼ら自身と、その王、首長、祭司、預言者が、またユダの人もエルサレムの住民も、わたしの怒りを引き起こすために行なった、すべての悪のゆえである。(32節)

 神に不義をしていたのは、誰か一人ではありません。じつに、王から首長、祭司、預言者、庶民に至るまですべてのイスラエル人が、神に叛いていたのです。

 彼らはわたしに、顔ではなくて背を向け、わたしがしきりに彼らに教えるが、聞いて懲らしめを受ける者もなく、(33節)
 わたしの名がつけられている宮に忌むべき物を置いて、これを汚し、(34節)
 わたしが命じもせず、心に思い浮かべもしなかったことだが、彼らはモレクのために自分の息子、娘をささげて、この忌みきらうべきことを行なうために、ベン・ヒノムの谷にバアルの高き所を築き、ユダを迷わせた。」(35節)

 ★★★★★

 エルサレムは、剣と飢饉と疫病に苛まされています。その上、敵バビロン軍によって最終的に、「焼かれる」のです。

 それゆえ、今、イスラエルの神、主は、あなたがたが、「剣とききんと疫病により、バビロンの王の手に渡される。」と言っているこの町について、こう仰せられる。(36節)

 次からは、回復の預言です。どのように荒廃したとしても、エルサレムは神の都です。最初から、神は回復を意図されていたのでしょう。

 「見よ。わたしは、わたしの怒りと、憤りと、激怒とをもって散らしたすべての国々から彼らを集め、この所に帰らせ、安らかに住まわせる。(37節)

 一度は捕囚に連れ去られ、相続地を完全に失ったように見える人々も、戻ってくると約束して下さるのです。もう一度、安らかに住まわせて下さるというのです。

 彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。(38節)
 わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、(39節)
 わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。(40節)

 「契約を結ぶ」が繰り返されます。新しい契約です。

 わたしは彼らを幸福にして、彼らをわたしの喜びとし、真実をもって、心を尽くし思いを尽くして、彼らをこの国に植えよう。」(41節)

 本来、私たちが「心を尽くし、思いを尽くして」神を愛するように命じられていたのです。(申命記6章5節)、ところが、ここで、神は神ご自身がその愛を示して下さると預言しています。

 まことに、主はこう仰せられる。「わたしがこの大きなわざわいをみな、この民にもたらしたように、わたしが彼らに語っている幸福もみな、わたしが彼らにもたらす。(42節)

 イスラエルの人たちが願っている「幸せな生活」が回復するのです。とうぜん、畑が耕され、売買が復活します。

 あなたがたが、『この地は荒れ果てて、人間も家畜もいなくなり、カルデヤ人の手に渡される。』と言っているこの国で、再び畑が買われるようになる。(43節)
 ベニヤミンの地でも、エルサレム近郊でも、ユダの町々でも、山地の町々でも、低地の町々でも、ネゲブの町々でも、銀で畑が買われ、証書に署名し、封印し、証人を立てるようになる。それは、わたしが彼らの捕われ人を帰らせるからだ。――主の御告げ――」(44節)

 エレミヤが買い戻したおじさんの土地、その証書が生きて意味を持つ日がやってくるというのです。

 アーメン!





span>
posted by さとうまさこ at 09:56| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする