2016年09月22日

エレミヤ書102 わたしは、わたしのしもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人とをふやす。(エレミヤ書33章15節〜26節)



 その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽生えさせる。彼はこの国に公義と正義を行なう。(エレミヤ書33章15節)
 その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの町は、『主は私たちの正義』と名づけられる。」(16節)
 まことに主はこう仰せられる。「ダビデには、イスラエルの家の王座に着く人が絶えることはない。(17節)
 またレビ人の祭司たちにも、わたしの前で全焼のいけにえをささげ、穀物のささげ物を焼き、いつもいけにえをささげる人が絶えることはない。」(18節)

 この預言そのものは、ある程度聖書を読んできた人なら、「救い主預言」だと考えます。ダビデの若枝、公儀と正義を行なう人、ダビデの王座が永遠に保たれる約束。それは、ダビデ家の末から生まれる救い主キリストを置いては、考えられません。

 エレミヤに次のような主のことばがあった。(19節)
 「主はこう仰せられる。もし、あなたがたが、昼と結んだわたしの契約と、夜と結んだわたしの契約とを破ることができ、昼と夜とが定まった時に来ないようにすることができるなら、(20節)
 わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ、彼には、その王座に着く子がいなくなり、わたしに仕えるレビ人の祭司たちとのわたしの契約も破られよう。(21節)
 天の万象が数えきれず、海の砂が量れないように、わたしは、わたしのしもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人とをふやす。」(22節)

 神は、創造のみわざのはじめに、光を生じさせ、光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられたのです。(創世記1章3節4節)これは、神の万物を治める法則でした。
 この創造の初めにおいて、神は全地の存在について、すべての権能をお持ちになることを示されたと言えます。
 ですから、人に対する契約――、ノアに対する契約、アブラハムに対する契約、シナイ山での契約、ダビデへの契約なども、すべて動かしがたいのです。その神が、ダビデの子孫とレビ人を増やすと約束しています。

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 エレミヤに次のような主のことばがあった。(23節)
 「あなたは、この民が、『主は選んだ二つの部族を退けた。』と言って話しているのを知らないのか。彼らはわたしの民をもはや一つの民ではないと見なして侮っている。」(24節)
 主はこう仰せられる。「もしわたしが昼と夜とに契約を結ばず、天と地との諸法則をわたしが定めなかったのなら、(25節)
 わたしは、ヤコブの子孫と、わたしのしもべダビデの子孫とを退け、その子孫の中から、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ばないようなこともあろう。しかし、わたしは彼らの捕われ人を帰らせ、彼らをあわれむ。」(26節)

 にもかかわらず、ユダとイスラエルの民は、絶望のあまり、「主は、選んだ二つの部族を退けた」と言っていたのでしょう。その不信仰にたいして、神は注意を喚起しているように思います。
 昼と夜を創った神が、それを動かしがたいものとして定められたように、神は、神の権能をもって、「捕らわれ人を帰らせる。彼らをあわれむ」と言われます。

 このような約束の結果、私はイエスさまに祈り、イエスさまに救われ、さらにあわれんで下さるように祈っていると確信できます。「捕らわれ人である」私が帰る所は、おのずと、明らかだと喜んでいます。








posted by さとうまさこ at 10:50| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする