2016年10月01日

エレミヤ書110 ゆれ動くゼデキヤ(エレミヤ書37章1節〜10節)



 ヨシヤの子ゼデキヤは、エホヤキムの子エコヌヤに代わって王となった。バビロンの王ネブカデレザルが彼をユダの国の王にしたのである。(エレミヤ書37章1節)
 彼も、その家来たちも、一般の民衆も、預言者エレミヤによって語られた主のことばに聞き従わなかった。(2節)

 ユダ王国がいよいよ崩壊します。ヨシヤの死後王は四代替りました。
 ヨシヤの子エホアハズ、エホヤキム、エホヤキムの子エホヤキン、そのあと、バビロン王がヨシヤの子ゼデキヤをユダの王に立てました。
 ユダ王国最後の王ゼデキヤの時代は、当然、ユダ王国の断末魔です。
 
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 ゼデキヤ王は、シェレムヤの子エフカルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤを預言者エレミヤのもとに遣わして言った。「どうか、私たちのために、私たちの神、主に、祈ってください。」(3節)
 ――そのとき、エレミヤは民のうちに出入りしていて、まだ獄屋に入れられていなかった。(4節)
 パロの軍勢がエジプトから出て来たので、エルサレムを包囲中のカルデヤ人は、そのうわさを聞いて、エルサレムから退却したときであった。――(5節)

 ゼデキヤは、バビロンによって立てられた王でした。バビロンの傀儡だったので、ある意味で彼の立場は決まっていたのに、エジプトの軍勢が攻め上って来たときに、バビロンが退却して行くと、たちまち気持ちが揺れるのです。
 バビロンにしたら、一時的に撤退しても、留守をするエルサレムのゼデキヤは自分達の味方だと思っていたはずです。
 しかし、国内には親エジプト勢力が残っており、新興国のバビロンを警戒する者たちは、エジプトを頼ろうとしていました。ゼデキヤは、それらの「世論」に揺れるのです。
 エジプトが攻め上って来るとバビロンが撤退して行ったのですから、ゼデキヤはなお、心が揺れたのです。それで、エレミヤに、主のことばを求めたのです。

 そのとき、預言者エレミヤに次のような主のことばがあった。(6節)
 「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。『わたしに尋ねるために、あなたがたをわたしのもとに遣わしたユダの王にこう言え。見よ。あなたがたを助けに出て来たパロの軍勢は、自分たちの国エジプトへ帰り、(7節)
 カルデヤ人が引き返して来て、この町を攻め取り、これを火で焼く。』(8節)
 主はこう仰せられる。『あなたがたは、カルデヤ人は必ず私たちから去る、と言って、みずから欺くな。彼らは去ることはないからだ。(9節)

 神の預言は、容赦のないものでした。一度は撤退して行ったように見えるバビロンが、かならず戻って来て、「エルサレムを攻め取り、火で焼く」というのです。

 たとい、あなたがたが、あなたがたを攻めるカルデヤの全軍勢を打ち、その中に重傷を負った兵士たちだけが残ったとしても、彼らがそれぞれ、その天幕で立ち上がり、この町を火で焼くようになる。』」(10節)

 エルサレムが崩壊するのは、どのようにも動かしがたいという預言です。
 これほどのことばを聞いても、ゼデキヤはゆれ動きつづける王でした。







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2016年10月02日

エレミヤ書111 ゆれ動くゼデキヤ2(エレミヤ書37章11節〜16節)



 カルデヤの軍勢がパロの軍勢の来るのを聞いてエルサレムから退却したとき、(エレミヤ書37章11節)
エレミヤは、ベニヤミンの地に行き、民の間で割り当ての地を決めるためにエルサレムから出て行った。(12節)


 エレミヤがベニヤミンの地に行ったのは、エルサレムを囲んでいたカルデヤ(バビロン)の軍勢が包囲を解いて退却したからでした。その理由は、エジプトのパロの軍勢が上ってきたからでした。戦にはいろんなアヤがあるでしょうから、この撤退は、バビロンがエジプトに怖気づいて逃げたわけではないでしょう。無意味な血を流したくなかっただけかもしれません。デテールについては、二千五百年も昔の戦の内情を調べ直すのは大変です。あるいは、そのような専門書があるかもしれませんが、さとうは手に入れることができません。

 ただ、このあとの話から推測すると、エジプト軍が出て来たのは、ユダの要請があったためと思われます。この時の王ゼデキヤは、バビロンが立てたバビロンの傀儡なのですから、どうして、エジプトにも内通するのか不思議です。それだけ、ユダの中が一枚岩ではなかったということでしょう。あるいは、ヨシヤ王の直系のエホヤキンは十八歳で王位に就き、わずか三カ月でバビロンに連れ去られるのです。彼のおじのゼデキヤには最初から王としての人望や政治力がなかったとも考えれれます。

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 ともあれ、ユダの人々はこのような短い「平和の期間」にエルサレムを出て、領地に戻って必要な仕事をしていたようです。
 エレミヤも、この時に自分の領地に戻ろうとするのです。ところが、これが、咎めを受けます。
 かねてから、バビロンの投降するようにと預言しているエレミヤを、悪く思うエジプト派の者たちにスパイの疑いをかけられるのです。エルサレムに連れ戻されて、牢に入れられます。

 彼がベニヤミンの門に来たとき、そこにハナヌヤの子シェレムヤの子のイルイヤと言う名の当直の者がいて、「あなたはカルデヤ人のところへ落ちのびるのか。」と言って、預言者エレミヤを捕えた。(13節)
 エレミヤは、「違う。私はカルデヤ人のところに落ちのびるのではない。」と言ったが、イルイヤは聞かず、エレミヤを捕えて、首長たちのところに連れて行った。(14節)
 首長たちはエレミヤに向かって激しく怒り、彼を打ちたたき、書記ヨナタンの家にある牢屋に入れた。そこを獄屋にしていたからである。(15節)
 エレミヤは丸天井の地下牢に入れられ、長い間そこにいた。(16節)

 丸天井の地下牢と、もともとは飲料水を貯めるために掘られた穴(新実用聖書注解・いのちのことば社)だそうで、当然ながら体は水につかっていたかもしれません。ひどく劣悪なところへ、投げ込まれていたということになります。エレミヤが、いかにエルサレムの人々の反感を買っていたかがわかるところです。(同注解書)

 悲惨な状態のエレミヤをあわれに思ったのか、あるいは、国の進路についての迷いが大きかったのか、ゼデキヤは、そのようなエレミヤを召し出し、「主からのことば」を聞きだそうとするのです。
 








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2016年10月03日

エレミヤ書112 神の言葉に従うということ(エレミヤ書37章17節〜21節)



 私たちの教会では、もうクリスマスの準備が始まっています。ここ数年、さとうはクリスマス劇の台本に関わらせていただいています。テーマは四年連続で降誕劇になっています。聖書からの劇は、すべて自分の独創でもなく、すでに神様がお書きになった聖書に埋め込まれた物語から書くのです。さらに劇は演出や役者とともに作り上げていく過程が、大きなウエイトを占めています。ある意味で、そんなに自分が気負う必要もないのです。

 とはいえ、同じ降誕劇を毎年少しずつ場面や演出を変えて出しながら、改めて聖書を読み足りないことに気が付きました。
 イエス様がお生れになった時、赤子の救い主を訪問するのは、羊飼いと博士たちです。産屋になった家畜小屋にいるのは、マリヤ、ヨセフ、羊飼い、博士となるでしょう。イエス様懐妊の場面にまで遡れば、バプテスマのヨハネの母エリザベツも「証人」だと言えます。
 しかし、一番大切なものを見過ごしていました。

 それは、神様の意思です。神様が、なんとしても救い主を送って来られようと決めておられ、「その時」に至って、御子を下されたのです。
 
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マリヤの懐妊について、神様はヨセフとマリヤに御使いを送って、それが、しっかりと神様の意思によるもの(聖霊によると)であると伝えておられます。それに対し、多少の驚きはあるもののマリヤもヨセフも、救い主の両親の役割を引き受けるのです。

 聖書では、神の御計画は、いつも必要な人に伝えられてきたと思います。アブラハム、イサク、ヤコブへの明快な言葉とお約束。モーセを召された時の、ほとんど強引とも思える(人間側からみると)話しかけ。ヨシュアや士師期の時代のリーダーたちへの特別な語りかけ。サムエルもサウルもダビデも主が召し出されたのです。

 王国時代に至っては、神の預言を受けるだけの多くの預言者が輩出し、彼らは神の授けられたことばのために、ときに身の危険にさらされても預言を語るのです。
 偽預言者が偽(にせ)であるのは、そもそも神が彼らに語っておられないということでしょう。召されもしないのに召されたと自称する者がいる一方、真実な預言者は神に従ったのかと思います。

 マリヤとヨセフに「主の使いが」現れました。およそ主の御告げを聞くことができる者なら、それがどれほど重いことかと改めて考えるのです。たとえ、羊飼いでも同じです。神は教育レベルや社会的立場で人をお選びになるとは限らないのだと言われています。
 そのようなわけで、家畜小屋にきた人たちは、神様の御告げによって集められた人たちです。東の国の博士が星によって知らされたというのも同じ意味です。

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ゼデキヤ王は人をやって彼を召し寄せた。王は自分の家でひそかに彼に尋ねて言った。「主から、みことばがあったか。」エレミヤは、「ありました。」と言った。そして「あなたはバビロンの王の手に渡されます。」と言った。(エレミヤ書37章17節)
エレミヤはゼデキヤ王に言った。「あなたや、あなたの家来たちや、この民に、私が何の罪を犯したというので、私を獄屋に入れたのですか。(18節)
あなたがたに『バビロンの王は、あなたがたと、この国とを攻めに来ない。』と言って預言した、あなたがたの預言者たちは、どこにいますか。(19節)
今、王さま、どうぞ聞いてください。どうぞ、私の願いを御前にかなえて、私を書記ヨナタンの家へ帰らせないでください。そうすれば、私はあそこで死ぬことはないでしょう。」(22節)
そこでゼデキヤ王は命じて、エレミヤを監視の庭に入れさせ、町からすべてのパンが絶えるまで、パン屋街から、毎日パン一個を彼に与えさせた。こうして、エレミヤは監視の庭にとどまっていた。(21節)

 いま、エレミヤ書を読み進めながら、滅びを目前にしたユダ王国の王や首長たちの信仰と、救い主が来られた紀元前後のユダの人たちの信仰を、思わず比べてみたのです。







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2016年10月04日

エレミヤ書113 エレミヤを守れない王、(エレミヤ書38章1節〜14節)


 
 さて、マタンの子シェファテヤと、パシュフルの子ゲダルヤと、シェレムヤの子ユカルと、マルキヤの子パシュフルは、すべての民にエレミヤが次のように告げていることばを聞いた。(エレミヤ書38章1節)
 「主はこう仰せられる。『この町にとどまる者は、剣とききんと疫病で死ぬが、カルデヤ人のところに出て行く者は生きる。』そのいのちは彼の分捕り物として彼のものになり、彼は生きる。』(2節)
 主はこう仰せられる。『この町は、必ず、バビロンの王の軍勢の手に渡される。彼はこれを攻め取る。』」(3節)
 そこで、首長たちは王に言った。「どうぞ、あの男を殺してください。彼はこのように、こんなことばをみなに語り、この町に残っている戦士や、民全体の士気をくじいているからです。あの男は、この民のために平安を求めず、かえってわざわいを求めているからです。」(4節)

 エレミヤの預言が受け入れられなかった理由は、何よりも第一に、それが「降伏勧告」だったからです。
 たしかに、私たちが一番受け入れがたいのは、「負けを認める」ことかもしれません。人がなかなか謝罪ができないのは、負けを認められないからです。やっと物心がつき始めた子どもから、いくらか痴呆と言われるようなお年寄りまで、プライドは人を、「終生」引き回します。でも、神様は、時として「負けを認めよ」と仰せなのでしょうね。神のご命令なら時には敗北も認めるべきなのでしょうね。

 選びの民イスラエルに取って、「他民族に攻め取られる」から、「攻め取られてバビロンに下れ」というメッセージは屈辱以外のなにものでもありませんでした。神がそんなむごいことを言われるはずがない。
 神は自分達の神――「アブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神」「万軍の主」なのだから、かならず自分たちは誇り高く生きる道があるはずだという気分が、大勢を占めていたのではないでしょうか。そのような気分に合わせた預言をする偽預言者がたくさんいたのは当然でした。
 希望的な見方をする人たちが、王に、「エレミヤを殺して下さい」というのも自然でした。

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 そこで、エレミヤに反対する人たちは、王がかくまっているエレミヤを、自分たちに渡してほしいと強要するのです。王は、エレミヤをかばい通すことができず引き渡してしまいます。その結果、またエレミヤは穴の中に投げ込まれるのです。

 するとゼデキヤ王は言った。「今、彼はあなたがたの手の中にある。王は、あなたがたに逆らっては何もできない。」(5節)

 それにしても、王のこの優柔不断な態度はどうしたことでしょう。エレミヤを本物の預言者だと思っている様子でもあり、同時に、家臣の顔色も気にしています。言われるままエレミヤを引き渡してしまうのです。

 そこで彼らはエレミヤを捕え、監視の庭にある王子マルキヤの穴に投げ込んだ。彼らはエレミヤを綱で降ろしたが、穴の中には水がなくて泥があったので、エレミヤは泥の中に沈んだ。(6節)

 この穴も、飲料水を溜める井戸でした。水が涸れていて泥だけなんてかえってひどい場所ですね。「ああ、かわいそうなエレミヤ!」と胸が痛みます。もちろん、同情する人もいたのです。それが宦官のエベデ・メレクです。

 王宮にいたクシュ人の宦官エベデ・メレクは、エレミヤが穴に入れられたこと、また王がベニヤミンの門にすわっていることを聞いた。(7節)
 そこでエベデ・メレクは、王宮から出て行き、王に告げて言った。(8節)
 「王さま。あの人たちが預言者エレミヤにしたことは、みな悪いことばかりです。彼らはあの方を穴に投げ込みました。もう町にパンはありませんので、あの方は、下で、飢え死にするでしょう。」(9節)
 すると、王は、クシュ人エベデ・メレクに命じて言った。「あなたはここから三十人を連れて行き、預言者エレミヤを、まだ死なないうちに、その穴から引き上げなさい。」(10節)

 宦官からエレミヤの様子を聞いた王は、びっくりしてもう一度エレミヤを助け出します。
 心の底ではエレミヤを真実の預言者だと知っているようです。





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2016年10月05日

エレミヤ書114 エレミヤを守れない王2(エレミヤ書38章11節〜28節)




 エベデ・メレクは人々を率いて、王宮の宝物倉の下に行き、そこから着ふるした着物やぼろ切れを取り、それらを綱で穴の中のエレミヤのところに降ろした。(11節)
 クシュ人エベデ・メレクはエレミヤに、「さあ、ふる着やぼろ切れをあなたのわきの下にはさんで、綱を当てなさい。」と言ったので、エレミヤがそのとおりにすると、(12節)
 彼らはエレミヤを綱で穴から引き上げた。こうして、エレミヤは監視の庭にすわっていた。(13節)
 ゼデキヤ王は人をやって、預言者エレミヤを自分のところ、主の宮の第三の入口に召し寄せた。(14節)

 宦官は、王の身の回りの世話をする係なのでしょう。それにしてもこの宦官は優しい人ですね。王にエレミヤ救出を願うときにも、「エレミヤが井戸の中で飢え死にするかもしれない」と、その痛ましい状況を適切に説明しています。エレミヤを井戸から引き揚げる際にぼろ布や着物を下ろして、エレミヤにそれをわきにあてがうようにと、アドバイスしている。ほんとに人の痛みがわかる人です。クシュ人の宦官が一番良い人なんて、聖書らしいですね。さげすまれている人を通して神の愛を伝えられています。

 クシュ人はエチオピア人だと言われています。シェバの女王が同じ血筋ではないかと推測されています。外国人ではあってもイスラエルの神を信じている人たちだから、宮廷で働くことができたのでしょうが、宦官という職業はイスラエル人には禁じられています。(申命記23章1節)

 ゼデキヤ王は、もう一度エレミヤの預言を聞こうとしています。

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 エレミヤはゼデキヤに言った。「もし私があなたに告げれば、あなたは必ず、私を殺すではありませんか。私があなたに忠告しても、あなたは私の言うことを聞きません。」(15節)
 そこで、ゼデキヤ王は、ひそかにエレミヤに誓って言った。「私たちのこのいのちを造られた主は生きておられる。私は決してあなたを殺さない。また、あなたのいのちをねらうあの人々の手に、あなたを渡すことも絶対にしない。」(16節)
 するとエレミヤはゼデキヤに言った。「イスラエルの神、万軍の神、主は、こう仰せられる。『もし、あなたがバビロンの王の首長たちに降伏するなら、あなたのいのちは助かり、この町も火で焼かれず、あなたも、あなたの家族も生きのびる。(17節)
 あなたがバビロンの王の首長たちに降伏しないなら、この町はカルデヤ人の手に渡され、彼らはこれを火で焼き、あなたも彼らの手からのがれることができない。』」(18節)
 しかし、ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「私は、カルデヤ人に投降したユダヤ人たちを恐れる。カルデヤ人が私を彼らの手に渡し、彼らが私をなぶりものにするかもしれない。」(19節)

 王は、エレミヤの預言に従ってバビロンの王に降伏してもよいとも思っているのです。
 しかし、彼は、その場合、同じイスラエル人が王を怒って「なぶり殺しにする」かもしれないと恐れているのです。
 臆病な王に、エレミヤは、「あなたは降伏してバビロンに行っても、イスラエル人によって殺されることはない」と説いて聞かせなければなりませんでした。

 エレミヤは言った。「彼らはあなたを渡しません。どうぞ、主の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちはぜ助かるのです。(20節)
 しかし、もしあなたが降伏するのを拒むなら、これが、主の私に示されたみことばです。(21節)
 『見よ。ユダの王の家に残された女たちはみな、バビロンの王の首長たちのところに引き出される。聞け。彼女らは言う。――あなたの親友たちが、あなたをそそのかし、あなたに勝った。彼らはあなたの足を泥の中に沈ませ、背を向けてしまった。(22節)
 あなたの妻たちや、子どもたちはみな、カルデヤ人のところに引き出され、あなたも彼らの手からのがれることができずに、バビロンの王の手に捕えられ、この町も火で焼かれる。』」(23節)

 王は、あくまで自分の身の安全が第一の心配事でした。エレミヤを守ってやろうというような余裕はありませんでした。
 むしろ、エレミヤに、王に知らせた預言を他言してはならないと口止めするのです。エレミヤのいのちは、エレミヤ自身に守らせようというのです。そこで、エレミヤはとりあえず、監視の庭にとどまることができました。

 ゼデキヤはエレミヤに言った。「だれにも、これらのことを知らせてはならない。そうすれば、あなたは殺されることはない。(24節)
 もし、あの首長たちが、私があなたと話したことを聞いて、あなたのところに行き、あなたに『さあ、何を王と話したのか、教えてくれ。私たちに隠すな。あなたを殺しはしない。王はあなたに何を話したのだ。』と言っても、(25節)
 あなたは彼らに、『私をヨナタンの家に返してそこで私が死ぬことがないようにしてくださいと、王の前に嘆願していた。』と言いなさい。」(26節)
 首長たちがみなエレミヤのところに来て、彼に尋ねたとき、彼は、王が命じたことばのとおりに、彼らに告げたので、彼らは黙ってしまった。あのことはだれにも聞かれなかったからである。(27節)
 エレミヤは、エルサレムが攻め取られる日まで、監視の庭にとどまっていた。彼はエルサレムが攻め取られたときも、そこにいた。(28節)






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