2016年10月06日

エレミヤ書115 「負けを選ぶチャンス」を失ったゼデキヤ(エレミヤ書39章1節〜9節、ヨシュア記9章15節〜27節)



 エレミヤ書39章は、エレミヤの預言が実現したことが書かれています。バビロン軍によって二年半包囲されていたエルサレムが崩壊し、火で焼かれ、ゼデキヤ王は、一度は家臣たちと逃げ出すのですが、捕えられてバビロンにつれて行かれるのです。

 ユダの王ゼデキヤの第九年、その第十の月に、バビロンの王ネブカデレザルは、その全軍勢を率いてエルサレムに攻めて来て、これを包囲した。(エレミヤ書39章1節)
 ゼデキヤの第十一年、第四の月の九日に、町は破られた。(2節)
 そのとき、バビロンの王のすべての首長たちがはいって来て、中央の門に座を占めた。すなわち、ネルガル・サル・エツェル、サムガル・ネブ、ラブ・サリスのサル・セキム、ラブ・マグのネルガル・サル・エツェル、およびバビロンの王の首長の残り全員である。(3節)
 ユダの王ゼデキヤとすべての戦士は、彼らを見て逃げ、夜の間に、王の園の道伝いに、二重の城壁の間の門を通って町を出、アラバへの道に出た。(4節)
 しかし、カルデヤの軍勢は彼らのあとを追い、エリコの草原でゼデキヤに追いつき、彼を捕えて、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王ネブカデレザルのもとに連れ上った。そこで、王は彼に宣告を下した。(5節)

 この悲惨な結末は、どんな場合も起るうる預言として語られたのではありません。ゼデキヤがバビロンの王に降伏すれば、覆されるはずでした。エレミヤは、38章で、ゼデキヤに次のように告げています。

 「イスラエルの神、万軍の神、主はこう仰せられる。『もし、バビロンの王の首長たちに降伏するなら、あなたのいのちは助かり、この町も火で焼かれず、あなたもあなたの家族も生きのびる。(エレミヤ書38章17節)
 あなたがバビロンの王の首長たちに降伏しないなら、この町はカルデヤ人の手に渡され、彼らはこれを火で焼き、あなたも彼らの手からのがれることができない。(18節)』」

 残念ながらゼデキヤは、エレミヤの預言、つまり神のことばにしたがうことができなかたのです。
その結果は、悲惨なものでした。

★★★★★

 バビロンの王はリブラで、ゼデキヤの子たちをその目の前で虐殺し、またユダのおもだった人たちもみな虐殺し、(6節)
 ゼデキヤの両眼をえぐり出し、彼を青銅の足かせにつないで、バビロンに連れて行った。(7節)
 カルデヤ人は、王宮も民の家も火で焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。(8節)
 侍従長ネブザルアダンは、町に残されていた残りの民と、王に降伏した投降者たちと、そのほかの残されていた民を、バビロンへ捕え移した。(9節)

 Coffee Break27 ヨシュア記で、私は「負けを選ぶチャンス」という文章を書いています。カナンに侵入してきたイスラエル軍が連戦連勝する中で、小さな部族ギブオン人は戦うことを諦め、苦心してイスラエル軍に近づき、盟約を結んでもらうことに成功するのです。盟約とはいえ不平等条約で、彼らは最初からイスラエルに投降して「奴隷となる」道を選ぶのです。
 なぜ、そんな卑屈な道を選んだのかと、ヨシュアに聞かれて彼らは答えています。

 「あなたの神、主がそのしもべモーセに、この全土をあなたがたに与え、その地の住民のすべてをあなたがたの前から滅ぼしてしまうようにと、お命じになったことを、このあなたのしもべどもは、はっきり知らされたのです。ですから、あなたがたの前で私たちのいのちが失われるのを、非常に恐れたので、このようなことをしたのです。(24節)
 ご覧ください。私たちは今、あなたの手の中にあります。あなたのお気に召すように、お目にかなうように私たちをお扱いください。」(25節)


 ギブオンが恐れたのは、イスラエルという民族(人間)ではなく、イスラエルに使命を与えてカナンを取らせようとしておられる全能の、力ある神なのです。
 ヨシュア記27、http://joshuacanan.seesaa.net/article/226866538.html?1475667199
 
 彼らは負けが神の御心なら、「負けを選択できた」のです。
 ところが、ゼデキヤやユダの首長たちはそれができませんでした。

 力ある預言者のはっきりした預言があってもできなかったのです。そうして、「負けを選ぶチャンス」を失うのです。






posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

エレミヤ書116 「あなたのいのちはあなたの分捕り物」(エレミヤ書39章10節〜18節)




 しかし侍従長ネブザルアダンは、何も持たない貧民の一部をユダの地に残し、その日、彼らにぶどう畑と畑を与えた。(エレミヤ書39勝10節)
 バビロンの王ネブカデレザルは、エレミヤについて、侍従長ネブザルアダンに次のように命じた。(11節)
 「彼を連れ出し、目をかけてやれ。何も悪いことをするな。ただ、彼があなたに語るとおりに、彼にせよ。」(12節)
 こうして、侍従長ネブザルアダンと、ラブ・サリスのネブシャズ・バンと、ラブ・マグのネルガル・サル・エツェルと、バビロンの王のすべての高官たちは、(13節)
 人を遣わして、エレミヤを、監視の庭から連れ出し、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤに渡して、その家に連れて行かせた。こうして彼は民の間に住んだ。(14節)

 エレミヤにも日の目を見るときがやってきました。ネブカデレザルの軍に包囲されていたエルサレムが陥落したのです。
 王ゼデキヤは、家族や側近とともに城外へ出て、エリコの野に逃亡しますが、バビロン軍に追いつかれて捕えられてしまいます。その後、ハマテの地リブラにいたネブカデレザルのもとに連れて行かれます。王子たちはゼデキヤの目の前で虐殺され、ゼデキヤ自身は目をくりぬかれてバビロンにつれて行かれます。神の預言に従えなかった優柔不断の王の末路です。

 エレミヤは、エルサレムの民に「バビロンに降伏するよう」預言をしていましたから、バビロンからは、好意的に見られていました。そこで、エルサレムが陥落した後、バビロンの王は、部下に「エレミヤに危害を加えないように指示し、のちにユダの総督になるゲダルヤのうちに匿った。」のです。(新実用聖書注解・いのちのことば社p1059)

★★★★★

 バビロンから安全と命が保障されたエレミヤは、かつて、自分を助けてくれた宦官エベデ・メレクについて、預言をします。

 エレミヤが監視の庭に閉じ込められているとき、エレミヤに次のような主のことばがあった。(15節)
「行って、クシュ人エベデ・メレクに話して言え。『イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。見よ。 わたしはこの町にわたしのことばを実現する。幸いのためではなく、わざわいのためだ。それらは、その日、あなたの前で起こる。(16節)
 しかしその日、わたしはあなたを救い出す。――主の御告げ――あなたはあなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。

 エベデ・メレクは宦官ですが、王とともにエルサレムから脱出しなかったのでしょう。とはいえ、エルサレムに残っていた者たちはみな、バビロンの報復を恐れていたと思われます。
 そのとき、神はエレミヤを通して、エベデ・メレクにも、命の保障をされるのです。彼がかつて、エレミヤを助けたのは、「神のことば」を信じていたからです。神に信頼する者を神は救われるのです。

 わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ。――主の御告げ――』」(18節)

 「あなたのいのちはあなたの分捕り物」とは面白い表現ですね。当時の戦争では、敗者のいのちは、勝者のものでした。生かすも殺すも勝者の胸三寸だったのです。
 ところが、エベデ・メレクのいのちは「あなたの物」と神様が保障されるのです。何者によっても、彼のいのちが奪われないとの意味です。悲惨な話が続くエレミヤ書の「ホッとする」話です。







posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月08日

エレミヤ書117 敗戦を見るエレミヤ(エレミヤ書40章1節〜5節)



 ここから44章までは、エルサレム陥落後の話になります。

 侍従長ネブザルアダンがラマからエレミヤを釈放して後に、主からエレミヤにあったみことば。――彼がエレミヤを連れ出したとき、エレミヤは、バビロンへ引いて行かれるエルサレムとユダの捕囚の民の中で、鎖につながれていた――(エレミヤ書40章1節)
 侍従長はエレミヤを連れ出して、彼に言った。「あなたの神、主は、この所にこのわざわいを下すと語られたが、(2節)

 侍従長ネブザルアダンは、バビロン王の側近です。戦に出て来て戦後処理を行うほどの権力のある人でした。エレミヤはバビロンに引かれていく民の中にいたのですが、彼だけは侍従長ネブザルアダンのもとに呼ばれます。彼は、捕囚に連れ去られる民を見て、エレミヤに、エレミヤの預言が実現したと告げます。
その理由も語られます。

 主はこれを下し、語られたとおりに行なわれた。あなたがたが主に罪を犯して、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ。(3節)

 エレミヤにとって自分の預言が実現したことは、喜びだったでしょうか。
 彼は、正しい預言をしたゆえに、釈放されるのです。表面的に見ると、これはエレミヤに都合のよい出来事です。異邦人の支配者にまで、預言者として認められたのです。彼を開放した侍従長は言うのです。

 そこで今、見よ、私はきょう、あなたの手にある鎖を解いてあなたを釈放する。もし、私とともにバビロンへ行くのがよいと思うなら、行きなさい。私はあなたに目をかけよう。しかし、もし、私といっしょにバビロンへ行くのが気に入らないならやめなさい。見よ。全地はあなたの前に広がっている。あなたが行くのによいと思う、気に入った所へ行きなさい。」(4節)

 バビロンに行くなら、特別の待遇を与えよう。行きたくないなら、どこへでもよいと思えるところへ行きなさい。
 「全地はあなたの前に広がっている」
 これは、はるか昔、アブラハムがロトと別れ住むときに言ったことばです。
 かぎりなく大きい選択の余地を示しています。(創世記13章9節)

★★★★★

 しかし彼がまだ帰ろうとしないので、「では、バビロンの王がユダの町々をゆだねたシャファンの子アヒカムの子ゲダルヤのところへ帰り、彼とともに民の中に住みなさい。でなければ、あなたが行きたいと思う所へ、どこへでも行きなさい。」こうして侍従長は、食糧と贈り物を与えて、彼を去らせた。(5節)

 エレミヤが態度を決めかねていると、侍従長はバビロンが選んだユダヤの総督ゲダルヤのもとに行けばどうかと提案するのです。
 エレミヤを送り出すとき、侍従長は「彼に食料と贈り物を与えた」とありますから、バビロン人のエレミヤへの好意のほどを知ることができます。

 エレミヤが態度を決めかねていたのは何故でしょう。預言ではエレミヤは、「ユダの民がバビロンに下るのなら生きる」と言っていたのです。バビロンの王に降伏していれば、エルサレムの崩壊は免れたのです。しかし、じっさいは、ゼデキヤ王は、エルサレムが持ちこたえられなくなるまでバビロンに抵抗してしまいました。
 そのような惨敗を見るのは、エレミヤにとっては、断腸の思いだったでしょう。たとえ、井戸に落とされて命の危険にさらされた時でも、エレミヤは、ユダの民が自分の預言を聞いて生きのびてくれることを願っていたはずです。

 けっきょく、彼がバビロンにも下らず、バビロンが定めた総督ゲダルヤのもとに、残された民とともにとどまることにした、その決定の中に、国の敗戦を見るエレミヤの虚脱感を推量できるように思います。







posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月09日

エレミヤ書118 敗戦の混沌の中で(エレミヤ書40章6節〜16節)




 国王ゼデキヤと王子たち、側近や首長たちがバビロンに引かれて行ったあと、バビロン王の侍従長ネブザルアダンは、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤをユダの総督に任命しました。ゲダルヤは、ヨシヤ王の書記官だったシャファンの孫です。王族ではありませんが、ヨシヤ王の改革路線を引き継いでいたのでしょう。この一族がエレミヤの支援者であったのは、聖書からも推測できます。(エレミヤ書36章10節11節) 当然バビロンからも信頼されたのです。
 捕らわれ状態から開放されたエレミヤは、このゲダルヤのもとに行きました。

 そこでエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのところに行って、彼とともに、国に残された民の中に住んだ。(エレミヤ書40章6節)
 野にいた将校たちとその部下たちはみな、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその国の総督にし、彼に、バビロンに捕え移されなかった男、女、子どもたち、国の貧民たちをゆだねたことを聞いた。(7節)
 ネタヌヤの子イシュマエル、カレアハの子らヨハナンとヨナタン、タヌフメテの子セラヤ、ネトファ人エファイの子ら、マアカ人の子エザヌヤと、彼らの部下たちは、ミツパにいるゲダルヤのもとに来た。(8節)
 そこで、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤは、彼らとその部下たちに誓って言った。「カルデヤ人に仕えることを恐れてはならない。この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたはしあわせになる。(9節)
 私も、このように、ミツパに住んで、私たちのところに来るカルデヤ人の前に立とう。あなたがたも、ぶどう酒、夏のくだもの、油を集めて、自分の器に納め、あなたがたの取った町々に住むがよい。」(10節)

 総督ゲダルヤの方針は、占領軍バビロンに服従することでした。彼は、残っていたユダの民や、エルサレムの外にいたため捕囚にならなかった将校たちの中で、戦後の秩序を回復しようとしていたに違いありません。
 エレミヤの立場は、バビロンが選んだ総督ゲダルヤに従うことでした。そこで神の御声を聞きながら、捕囚の民が帰ってくるまでの国造りを構想していたのかもしれません。

 モアブや、アモン人のところや、エドムや、あらゆる地方にいたユダヤ人はみな、バビロンの王がユダに人を残したこと、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを彼らの総督に任命したことを聞いた。(11節)
 そこで、ユダヤ人はみな、散らされていたすべての所からユダの地に帰って来て、ミツパのゲダルヤのもとに行き、ぶどう酒と夏のくだものを非常に多く集めた。(12節)
 さて、野にいたカレアハの子ヨハナンと、すべての将校たちは、ミツパのゲダルヤのもとに来て、(13節)
 彼に言った。「あなたは、アモン人の王バアリスがネタヌヤの子イシュマエルを送って、あなたを打ち殺そうとしているのを、いったい、ご存じですか。」しかし、アヒカムの子ゲダルヤは、彼らの言うことを信じなかった。(14節)

 モアブやアモン、エドムなどに逃げていたユダヤ人たちも戻って来て、ミツバにいたゲダルヤのもとに集まりました。
 荒れ果てたユダ王国ですが、ゲダルヤの元で新しい国づくりが始まりそうでした。

★★★★★

 敗戦がもたらすものは、たんに町や生活の荒廃だけではありません。何よりも、人の心を荒廃させます。それまでの権威が潰れて、価値観が根底からひっくり返るからです。平和な時には、人々の心の奥に眠っている残酷さや野心が頭をもたげます。

 せっかく、ゲダルヤが総督に選ばれて秩序が回復しそうなときに、ゲダルヤを倒して自分が支配者になろうとする者が現れるのです。
 それが、ネタヌヤの子イシュマエルでした。王族である彼は、アモン人の王の支援を受けて、自分が王になろうと思ったのでしょう。ゲダルヤを暗殺を企て、しかもその計画はすでに洩れていました。イシュマイルを、先手を打って始末しようという声も上がりました。

 カレアハの子ヨハナンは、ミツパでひそかにゲダルヤに話して言った。「では、私が行って、ネタヌヤの子イシュマエルを、だれにもわからないように、打ち殺しましょう。どうして、彼があなたを打ち殺し、あなたのもとに集められた全ユダヤ人が散らされ、ユダの残りの者が滅びてよいでしょうか。」(15節)
 しかし、アヒカムの子ゲダルヤは、カレアハの子ヨハナンに言った。「そんなことをしてはならない。あなたこそ、イシュマエルについて偽りを語っているからだ。」(16節)

 ゲダルヤは、とても良い人ですね。謀略を巡らせる人に、謀略で答えるのではなく、むしろ、イジュマエルのことを注進してきた者をたしなめるのです。その結果、彼は暗殺されてしまいます。







posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

エレミヤ書119 暗殺者イシュマエルとその仲間(エレミヤ書41章1節〜9節)


 
 暗殺者イシュマイルがいよいよゲダルヤの前に現れます。王族の一員であるイシュマイルには、宮廷の仲間がいたのでしょう。ゲダルヤは、すでにイシュマイルの奸計について情報を得ていたのに、忠告を信用しませんでした。一行を食事に招くのです。

 ところが第七の月に、王族のひとり、エリシャマの子ネタヌヤの子イシュマエルは、王の高官と十人の部下を連れて、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに来て、ミツパで食事を共にした。(エレミヤ書41章1節)
 そのとき、ネタヌヤの子イシュマエルと、彼とともにいた十人の部下は立ち上がって、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを剣で打ち殺した。イシュマエルは、バビロンの王がこの国の総督にした者を殺した。(2節)
 ミツパでゲダルヤとともにいたすべてのユダヤ人と、そこに居合わせたカルデヤ人の戦士たちをも、イシュマエルは打ち殺した。(3節)

 食事の席には、大勢の人たちがいたようでした。少なくとも、ゲダルヤとイシュマエルたちの内輪の食事会ではなかったようです。多くのユダヤ人と、ゲダルヤのブレーンになっていたようなバビロンからの役人までいたのです。そのような席なのでゲダルヤは暗殺など警戒していなかったのかもしれません。しかし、結果的には、大惨事でした。
 しかも、暗殺を成功させて逃亡するイシュマエルは、おりから、ミツバにやってきたユダヤ人(といっても北イスラエル人)をも殺してしまうのです。

 ゲダルヤが殺された次の日、まだだれも知らないとき、(4節)
 シェケムや、シロや、サマリヤから八十人の者がやって来た。彼らはみな、ひげをそり、衣を裂き、身に傷をつけ、手に穀物のささげ物や乳香を持って、主の宮に持って行こうとしていた。(5節)
 ネタヌヤの子イシュマエルは、彼らを迎えにミツパを出て、泣きながら歩いて行き、彼らに出会ったとき、言った。「アヒカムの子ゲダルヤのところにおいでなさい。」(6節)
 彼らが町の中にはいったとき、ネタヌヤの子イシュマエルと、彼とともにいた部下たちは、彼らを殺して穴の中に投げ入れた。(7節)

 ミツバに上って来た人たちは、陥落したエルサレムと神殿のために祈りに上って来た巡礼でした。イシュマエルは、あたかも彼らと同じ巡礼のようなふりをして、「泣きながら」彼らに近づいて殺してしまうのです。
じつに腹黒い悪意に満ちた男だったようです。
 隠している財産があると言って命乞いをした十人だけは、殺されずに済みました。

 彼らのうちの十人がイシュマエルに、「私たちを殺さないでください。私たちは、小麦、大麦、油、蜜を畑に隠していますから。」と言ったので、彼は、彼らをその仲間とともに殺すのはやめた。(8節)

★★★★★

 国が崩壊するといった大きな出来事は、たしかに人の心を荒ませます。残虐な行為が横行したりするのは、戦場の逸話などにはよく出てきます。あるいは、普段隠している残虐さが、そのような機会に心の表に出て来るのでしょうか。

 イシュマエルの話は、ギデオン(エルバアル)の子アビメレクの、兄弟暗殺事件を思い出させます。かつて士師記の時代、ミデヤン人からイスラエルを救った大士師ギデオンには、息子が七十人もありました。その中の一人がほかの兄弟を全員殺して支配権を独り占めしようとするのです。
 このような暗殺は当然、残酷で卑怯なやり方で実行されたのです。(士師記9節1節〜5節)こうして、せっかく神の声を聞いて戦ったギデオンの功績は消えてしまい、ギデオンの子孫は呪いの中で、殺し合いをすることになります。(士師記9章〜10章)

 人間の罪の深さは、神が介入されたエルサレムの崩壊、バビロンによるユダの平定の場でさえ、悪夢にしてしまうようです。

 イシュマエルが打ち殺した、ゲダルヤの指揮下の人たちのすべての死体を投げ入れた穴は、アサ王がイスラエルの王バシャを恐れて作ったものであった。ネタヌヤの子イシュマエルはそれを、殺された者で満たした。(9節)









posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする