2016年10月11日

エレミヤ書120 ゲダルヤ暗殺とその後(エレミヤ書41章10節〜18節)



イシュマエルは、ミツパに残っていたすべての民、すなわち王の娘たちと、侍従長ネブザルアダンがアヒカムの子ゲダルヤにゆだねた、ミツパに残っていたすべての民とをとりこにした。ネタヌヤの子イシュマエルは彼らをとりこにして、アモン人のところに渡ろうとして出かけて行った。(エレミヤ書41章10節)

 この物語を映画にしたら、大河ドラマ「真田丸」もびっくりのサスペンス歴史劇になりそうですね。ですが、聖書の「神の救い物語」の中では、目をおおいたくなるような深刻な悪が進行しているのです。

 エレミヤのいのちがけの預言にもかかわらず、ユダ王国は間違いを犯してしまいました。
 ゼデキヤが、神の預言に従ってバビロンに降っていたら、ユダ王国が崩壊するにしても被害は最小でとどまるはずでした。ところがゼデキヤが反抗して、エルサレムで籠城したばかりに、多くのユダヤ人は飢えと剣と疫病で苦しみ、揚句に捕囚になるのです。ゼデキヤ自身、息子たちを目の前で殺され、自分は目をくりぬかれてバビロンに引かれていくのです。
 それでも、バビロンは、アッシリヤのようにほかの場所から異邦人を連れて来て入植させることはありませんでした。ユダヤ人のゲダルヤを総督に任命して、残った人々を治めさせようとしたのです。
 イシュマエルの総督暗殺は、征服者バビロンの政策に謀反を起こしたのと同じことでした。

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 カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいたすべての将校は、ネタヌヤの子イシュマエルが行なったすべての悪を聞いたので、(11節)
 部下をみな連れて、ネタヌヤの子イシュマエルと戦うために出て行き、ギブオンにある大池のほとりで彼を見つけた。(12節)

 敗戦でバビロンに引かれるのを免れた人の中に、将校たちもいたようです。彼らはゲダルヤの元でユダの秩序回復を願っていたのです。だからこそ、イシュマイルが総督暗殺を謀っているという情報をゲダルヤに伝えたのです。
 ゲダルヤが、たぶん「良い人」すぎたために忠告を聞かず、悲劇は起こりました。それを知ったヨハナンたちは、イシュマエルを追ったのです。

 イシュマエルとともにいたすべての民は、カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいるすべての将校を見て喜んだ。(13節)
 イシュマエルがミツパからとりこにして来たすべての民は身を翻して、カレアハの子ヨハナンのもとに帰って行った。(14節)

 イシュマエルにむりやり拉致されようとしていたユダの民は、喜んでヨハナンのもとに帰ってしまいました。情勢が不利と見たイシュマエルは、逃げてアモン人の所へ戻ったのです。

 ネタヌヤの子イシュマエルは、八人の者とともにヨハナンの前をのがれて、アモン人のところへ行った。(15節)

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 イシュマエルの事件は、ミツバのゲダルヤのもとにいたエレミヤにとって、思いがけない災難でした。
 バビロンが選んだ総督を殺したのがイシュマエルで、ヨハナンたちは、そのイシュマエルを討とうとしたのです。けれども、彼等はバビロン王が、ユダの民にどのような報復をするかと恐れました。
 そこで、エジプトに逃れようという案が出てくるのです。 
 この動きに、エジプト派ではないエレミヤも、巻き込まれてしまうのです。

 カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいたすべての将校は、ネタヌヤの子イシュマエルがアヒカムの子ゲダルヤを打ち殺して後、ミツパから、ネタヌヤの子イシュマエルから取り返したすべての残りの民、すなわちギブオンから連れ帰った勇士たち、戦士たち、女たち、子どもたち、および宦官たちを連れて、(16節)
 エジプトに行こうとして、ベツレヘムのかたわらにあるゲルテ・キムハムへ行って、そこにとどまった。(17節)
 それは、バビロンの王がこの国の総督としたアヒカムの子ゲダルヤをネタヌヤの子イシュマエルが打ち殺したので、カルデヤ人を恐れて、彼らから逃げるためであった。(18節)








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2016年10月12日

エレミヤ書121 エレミヤの祈りと、民の選択(エレミヤ書42章1節〜16節)



 総督ゲダルヤを失った「ユダの残りの者たち」は、ゲダルヤ殺害の張本人イシュマエルに逃げられて、途方に暮れています。
 彼らは、ミツバにいるエレミヤのところに戻って来て、これから彼らがどういう行動をとるべきか、神の預言を求めるのです。

 すべての将校たち、カレアハの子ヨハナン、ホシャの子イザヌヤ、および身分の低い者も高い者もみな、寄って来て、(エレミヤ書42章1節)
 預言者エレミヤに言った。「どうぞ、私たちの願いを聞いてください。私たちのため、この残った者みなのために、あなたの神、主に、祈ってください。ご覧のとおり、私たちは多くの者の中からごくわずかだけ残ったのです。(2節)
 あなたの神、主が、私たちの歩むべき道と、なすべきことを私たちに告げてくださいますように。」(3節)

 彼らの不安は、バビロンの王がどのような制裁に出て来るかでした。ゲダルヤはバビロンの代理として選ばれたのですし、殺された者の中にバビロンの将校たちもいました。ことを分けて説明すれば、バビロンの王もわかってくれるはずと思うのは、いまの私たちの考えであって、カメラもネットも電話もなかった当時、事件の経緯がちゃんと公平に調べられる保証もなかったのでしょう。バビロンが、今度こそユダの民を皆殺しにするかもしれないと恐れたようです。

 そこで、預言者エレミヤは彼らに言った。「承知しました。今、私は、あなたがたのことばのとおり、あなたがたの神、主に祈り、主があなたがたに答えられることはみな、あなたがたに告げましょう。何事も、あなたがたに隠しません。」(4節)
 彼らはエレミヤに言った。「主が私たちの間で真実な確かな証人でありますように。私たちは、すべてあなたの神、主が私たちのためにあなたを送って告げられることばのとおりに、必ず行ないます。(5節)
 私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちが私たちの神、主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。」(6節)
 十日の後、主のことばがエレミヤにあった。(7節)

 エレミヤが神からのお答えを聞くのに、十日間かかったのです。

 彼はカレアハの子ヨハナンと、彼とともにいるすべての将校と、身分の低い者や高い者をみな呼び寄せて、(8節)
 彼らに言った。「あなたがたが私を遣わして、あなたがたの願いを御前に述べさせたイスラエルの神、主は、こう仰せられる。(9節)
 『もし、あなたがたがこの国にとどまるなら、わたしはあなたがたを建てて、倒さず、あなたがたを植えて、引き抜かない。わたしはあなたがたに下したあのわざわいを思い直したからだ。(10節)

 神の託宣は明快でした。ミツバに残っている者――カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいるすべての将校と、身分の低い者や高い者――すべては、ユダにとどまるべきだというのです。
 バビロンの王はヨハナンたちが恐れているような制裁はしない。その理由は、主が、彼等を救い出そうとしておられるので、バビロンの王も彼等にあわれみをかけてくれるのです。

 あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼をこわがるな。――主の御告げ――わたしはあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、彼の手からあなたがたを救い出すからだ。(11節)
 わたしがあなたがたにあわれみを施すので、彼は、あなたがたをあわれみ、あなたがたをあなたがたの土地に帰らせる。』(12節)

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 しかしあなたがたが、『私たちはこの国にとどまらない。』と言って、あなたがたの神、主の御声を聞かず、(13節)
 『いや、エジプトの国に行こう。あそこでは戦いに会わず、角笛の音も聞かず、パンにも飢えることがないから、あそこに、私たちは住もう。』と言っているのなら、(14節)
 今、ユダの残りの者よ、主のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『もし、あなたがたがエジプトに行こうと堅く決心し、そこに行って寄留するなら、(15節)
 あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの国であなたがたに追いつき、あなたがたの心配しているききんが、あのエジプトであなたがたに追いすがり、あなたがたはあそこで死のう。(16節)

 ヨハナンたちは、自分からエレミヤに、神のことばを伺ってくれと頼んだのです。そこで、神は、動揺しないでユダにとどまるようにと仰せなのです。それなのに、その託宣は、ヨハナンたちの気に入らなかったようです。彼等はエレミヤの預言に従おうとしなかったのです。神は彼らの迷いをご存知で、「もしエジプトに行くなら、剣とききんで、死ぬことになる」。

 私たちにとって、神に従うことがいかに難しいかを、この箇所は思い知らせてくれます。神のお示しになる道の先にさえ、人は勝手な予想をするのです。この道の先には獅子がいる――。事実そうかもしれません。しかし、仮に獅子がいても、断崖絶壁でも、その場所で神もいて下さって手を差し伸べようと言われているのです。
 それが信じられなくなっているのです。その理由は、「恐れ」でした。






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2016年10月13日

エレミヤ書122 神のことばを聞かない者たち(エレミヤ書42章5節〜43章3章)



 ユダの残された民や将校ヨハナンたちは、エレミヤに、「神の御心を伺ってください」と頼んだのです。それはわずか十日前のことでした。

 「主が私たちの間で真実な確かな証人でありますように。私たちは、すべてあなたの神、主が私たちのためにあなたを送って告げられることばのとおりに、必ず行ないます。(エレミヤ書42章5節)」

 エレミヤが告げた、神のことばは次のようなものでした。

 『もし、あなたがたがこの国にとどまるなら、わたしはあなたがたを建てて、倒さず、あなたがたを植えて、引き抜かない。わたしはあなたがたに下したあのわざわいを思い直したからだ。(同10節)』

 エジプトに行ってそこに寄留しようと決心した者たちはみな、そこで剣とききんと疫病で死に、わたしが彼らに下すわざわいをのがれて生き残る者はいない。』(エレミヤ書42章17節)
 まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『わたしの怒りと憤りが、エルサレムの住民の上に注がれたように、あなたがたがエジプトに行くとき、わたしの憤りはあなたがたの上に注がれ、あなたがたは、のろいと、恐怖と、ののしりと、そしりになり、二度とこの所を見ることができない。』(18節)
 ユダの残りの者よ。主はあなたがたに『エジプトへ行ってはならない。』と仰せられた。きょう、私があなたがたにあかししたことを、確かに知らなければならない。(19節)
 あなたがたは迷い出てしまっている。あなたがたは私をあなたがたの神、主のもとに遣わして、『私たちのために、私たちの神、主に祈り、すべて私たちの神、主の仰せられるとおりに、私たちに告げてください。私たちはそれを行ないます。』と言ったのだ。(20節)
 だから、私は、きょう、あなたがたに告げたのに、あなたがたは、あなたがたの神、主の御声を聞かず、すべてそのために主が私をあなたがたに遣わされたことを聞かなかった。(21節)
 だから今、確かに知れ。あなたがたは、行って寄留したいと思っているその所で、剣とききんと疫病で死ぬことを。」(22節)

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 エレミヤの預言に対して、ヨハナンたちの反応は驚くべきものでした。
 
 エレミヤはすべての民に、彼らの神、主のことばを語り終えた。それは彼らの神、主が、このすべてのことばをもって彼を遣わされたものであった。(エレミヤ書43章1節)
 すると、ホシャヤの子アザルヤと、カレアハの子ヨハナンと、高ぶった人たちはみな、エレミヤに告げて言った。「あなたは偽りを語っている。私たちの神、主は『エジプトに行って寄留してはならない。』と言わせるために、あなたを遣わされたのではない。(2節)
 ネリヤの子バルクが、あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、私たちをカルデヤ人の手に渡して、私たちを死なせ、また、私たちをバビロンへ引いて行かせようとしているのだ。」(3節)

 なんということでしょう。エレミヤの預言は「偽りだ」と難癖をつけるのです。あろうことか、エレミヤの書記バルクがエレミヤをそそのかしているのだ。というのも、バルクはバビロンの手先で、自分たちをバビロンに捕えさせようとしていると言いがかりをつけているのです。

 理由は明白です。
 彼等はエレミヤに、「祈って下さい」と言いながら、最初から、自分たちの結論は出ていて、エジプトに行きたかったのです。自分達の望む託宣が出なかったので、偽りだと神のことばに逆らうのです。
 彼らは、盲目になっています。その理由は、彼らが恐れに駆られているからです。今にもバビロンに捕えられるに違いないという恐怖が、彼等を狂わせてしまったのです。






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2016年10月14日

エレミヤ書123 エジプトに強制連行されたエレミヤ(エレミヤ書43章4章〜13節)


 
 カレアハの子ヨハナンと、すべての将校と、すべての民は、「ユダの国にとどまれ。」という主の御声に聞き従わなかった。(エレミヤ書43章4節)
 そして、カレアハの子ヨハナンと、すべての将校は、散らされていた国々からユダの国に住むために帰っていたユダの残りの者すべてを、(5節)
 男も女も子どもも、王の娘も、それに、侍従長ネブザルアダンが、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤに託したすべての者、預言者エレミヤと、ネリヤの子バルクをも連れて、(6節)
エジプトの国に行った。彼らは主の御声に聞き従わなかったのである。こうして、彼らはタフパヌヘスまで来た。(7節)

 エレミヤの預言を、偽りだと難癖をつけたヨハナンたちは、主の御声に従わず、エジプトに下って行きました。エルサレムから、エジプトのタフパヌヘスまでは、地図で見ても三百キロ足らずです。道路事情などが今とは比べ物にならないとしても、二・三週間もあればたどり着く距離です。歴史的に見てもエジプトとの交易や交流は、バビロンよりはるかに多くて親近感もあったのかもしれません。
 人間的に見れば、親せきや友人知人のいる「慣れ親しんだ」国かもしれなかったのです。
 しかし、だからこそ、神が、ユダの人々を試しておられると言えないでしょうか。

 大きな恐怖や不安に直面している時、先が読めない時、人間はつい、「確実にわかっている」情報に頼ります。新興国バビロンよりは、古くから付き合いのあるエジプトの方がまだしも事情が分かっていると思うのです。
 また、彼等は、多くの仲間――ユダの残りの者すべてを、男も女も子どもも、王の娘も、それに、侍従長ネブザルアダンが、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤに託したすべての者、預言者エレミヤと、ネリヤの子バルクをも連れて、行くのです。

 また、確信を持てない人に限って、仲間を集めます。大勢でいると安心だと思うのは人間の本能です。神のことばを聞く気もないのに、エレミヤやバルクまで連れて行くのです。ふたりは、まさに「強制連行」されたのでしょう。
 
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 タフパヌヘスで、エレミヤに次のような主のことばがあった。(8節)
 「あなたは手に大きな石を取り、それらを、ユダヤ人たちの目の前で、タフパヌヘスにあるパロの宮殿の入口にある敷石のしっくいの中に隠して、(9節)

 エジプトの玄関口にあるタフパヌエスは、要塞都市でした。りっぱな宮殿もあったのでしょう。
 ここでも、神はエレミヤに、預言を形で現わすようにと指示されます。宮殿の入口の敷石の中に、大きな石を隠し、それから預言をするよう命じられるのです。

 彼らに言え。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。見よ。わたしは人を送り、わたしのしもべバビロンの王ネブカデレザルを連れて来て、彼の王座を、わたしが隠したこれらの石の上に据える。彼はその石の上に本営を張ろう。(10節)

 恐るべき預言です。神はバビロンの王ネブカデレザルをそこまで連れて来て、ネブカデレザルの王座をその石の上に据えさせるのです。エジプトがバビロンに侵略されて、打たれるのです。そうなったら、エジプトに逃げてきたユダの者たちも無事であるはずがありません。死ぬか捕囚になるか、戦乱の中で剣でころされるのです。

 彼は来てエジプトの国を打ち、死に定められた者を死に渡し、とりこに定められた者をとりこにし、剣に定められた者を剣に渡す。(11節)

 ユダの人々が頼りにしたエジプトの王や民の礼拝対象であるエジプトの神々は、バビロンの手によって焼打ちにされ、つぶされるのです。
 ヨハナンたちは、バビロンより頼りになると当てにしたエジプトは、バビロンによって崩壊するのです。
 力ある預言者エレミヤは、彼等の耳に痛い預言で、ヨハナンたちを打ちのめしたに違いありません。

 彼はエジプトの神々の宮に火をつけて、それらを焼き、彼らをとりこにする。彼は牧者が自分の着物のしらみをつぶすようにエジプトの国をつぶして、ここから無事に去って行こう。(12節)
 彼はエジプトの国にある太陽の宮の柱を砕き、エジプトの神々の宮を火で焼こう。」(13節)








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2016年10月15日

エレミヤ書124 預言者エレミヤの困難(エレミヤ書44章1章〜14節)



 預言者エレミヤは、ユダ王国滅亡という激動の時代に生まれ、召命を受けました。激動の時代だから、神は力ある預言者を召されたのです。預言者は神のことばを取り次ぐので、民に嫌われることは想定内です。人間にとって、神の御心を生きることは難しいからです。人間は、本来自己中心なのです。何といっても「肉の力」は、絶大で、人間は自分の安全が脅かされるとなると、自己防衛のために「盲目」になります。

 平和な時には、戦争反対の声も通りますが、ひとたび戦禍の中の入ってしまうと、戦いを止める力は働きません。太平洋戦争のとき、アメリカの世論は必ずしも参戦に乗り気ではなかったと言われます。ところが、日本のハワイ奇襲のあと、がぜん、アメリカ国民の戦意が上がるのです。

 生きるか死ぬかの飢饉や逃避行の中では、命が守れそうなら、隣の物の食物をもかすめるかもしれないのが、人間です。

 エルサレムの陥落のあと、ユダの残りの者はエジプト行を選びました。エレミヤが止めるのも聞かず、新バビロンだと思われていたエレミヤがバビロンに情報を流さないように、バビロンに強制連行するのです。

 エジプトについたとき、神はエレミヤにことばをさずけられました。神はバビロンをエジプトに送り、エジプトの神々の宮を火で焼くと仰せなのです。

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 エジプトの国に住むすべてのユダヤ人、すなわちミグドル、タフパヌヘス、ノフ、およびパテロス地方に住む者たちについて、エレミヤにあったみことばは、次のとおりである。(エレミヤ書44章1節)

 これはエジプト北部の町だけでなく、南部の町(ナイル川上流域)に住んでいるユダヤ人へも、語られています。

 「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『あなたがたは、わたしがエルサレムとユダのすべての町に下したあのすべてのわざわいを見た。見よ。それらはきょう、廃墟となって、そこに住む者もない。(2節)
 それは、彼らが悪を行なってわたしの怒りを引き起こし、彼ら自身も、あなたがたも先祖も知らなかったほかの神々のところに行き、香をたいて仕えたためだ。(3節)
 それでわたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送り、どうか、わたしの憎むこの忌みきらうべきことを行なわないように、と言ったのに、(4節)
 彼らは聞かず、耳も傾けず、ほかの神々に香をたいて、その悪から立ち返らなかった。(5節)
 それで、わたしの憤りと怒りが、ユダの町々とエルサレムのちまたに注がれて燃え上がり、それらは今日のように廃墟となり荒れ果ててしまった。』(6節)
 それで今、イスラエルの神、万軍の神、主は、こう仰せられる。『あなたがたは自分自身に大きなわざわいを招こうとしているのか。なぜユダの中から男も女も、幼子も乳飲み子も断ち、残りの者を生かしておかないようにするのか。(7節)

 イスラエルの神は、ユダヤ人たちに、エルサレムで起こったことを思い出させ、(エジプトの)神々へ香をたいて仕えるなと、命じます。

 なぜ、あなたがたの手のわざによってわたしの怒りを引き起こし、寄留しに来たエジプトの国でも、ほかの神々に香をたき、あなたがた自身を断ち滅ぼし、地のすべての国の中で、ののしりとなり、そしりとなろうとするのか。(8節)
 あなたがたは、ユダの国とエルサレムのちまたで行なったあなたがたの先祖の悪、ユダの王たちの悪、王妃たちの悪、あなたがたの悪、妻たちの悪を忘れたのか(9節)。
 彼らは今日まで心砕かれず、恐れず、わたしがあなたがたとあなたがたの先祖の前に与えたわたしの律法と定めに歩まなかった。』(10節)
 それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『見よ。わたしは、わたしの顔をあなたがたからそむけて、わざわいを下し、ユダのすべての民を断ち滅ぼそう。(11節)

 これ以上はない激しい言葉で、「滅ぼす」と仰せになっています。

 わたしは、寄留しにエジプトの国へ行こうと決心したユダの残りの者を取り除く。彼らはみな、エジプトの国で、剣とききんに倒れて滅びる。身分の低い者も高い者もみな、剣とききんで死に、のろい、恐怖、ののしり、そしりとなる。(12節)
 わたしは、エルサレムを罰したと同じように、エジプトの国に住んでいる者たちを、剣とききんと疫病で罰する。(13節)
 エジプトの国に来てそこに寄留しているユダの残りの者のうち、のがれて生き残る者、帰って行って住みたいと願っているユダの地へ帰れる者はいない。ただのがれる者だけが帰れよう。』」(14節)

 これら激しい怒りのことばを取り次がなければならないエレミヤも大変だったことでしょう。召されるとき神がエレミヤに「御手を伸ばして、エレミヤの口に触れ仰せられた」言葉を思い出します。

  「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。
  見よ。わたしは、きょう、
  あなたを諸国の民と王国の上に任命し、
  あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、
  あるいは滅ぼし、あるいはこわし、
  あるいは建て、また植えさせる。」(エレミヤ書1章9節10節)








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