2016年10月21日

エレミヤ書130 エジプトの敗北の意味するもの2(エレミヤ書46章13節〜25節)



 バビロンの王ネブカデレザルが来て、エジプトの国を打つことについて、主が預言者エレミヤに語られたみことば。(エレミヤ書46章13節)

 バビロンはユダ王国を打っただけではありません。カルケミシュで対決し、敗走させたエジプトをも追討するのです。そもそもエジプトがバビロンを戦うために出て来たのは、アッシリヤを援護するためです。エジプト軍も強大な軍勢だったのですが、カルケミシュで奇襲をしかけてきたバビロンに驚いて、背中を見せて逃げるのです。
 バビロンはエジプトを追撃して滅亡させるつもりです。ところが、エジプトに戻ったエジプト王は、対決する勇気を失っていました。
 歌のように語られるこの預言は、そのときのエジプト軍の様子を描写しています。

  エジプトで告げ、ミグドルで聞かせ、
  ノフとタフパヌヘスで聞かせて言え。
  「立ち上がって備えをせよ。
  剣があなたの回りを食い尽くしたからだ。(14節)
  なぜ、あなたの雄牛は押し流されたのか。
  立たなかったのか。
  主が彼を追い払われたからだ。(15節)

 ノフやタフパネスは、エジプト北部、シナイとの国境に近い町です。敵が迫っているのだから、これらの町は備えをしなければなりません。

  多くの者がつまずき、倒れた。
  彼らは互いに言った。
  『さあ、私たちの民のところ、
  生まれ故郷に帰ろう。
  あのしいたげる者の剣を避けて。』(16節)
  彼らは、そこで叫んだ。
  エジプトの王パロは、時期を逸して騒ぐ者。(17節)

 この神の裁定に対して、パロは抗議しているのです。しかし、神に逆らうことは、エジプト王であっても無意味です。

  わたしは生きている。
  ――その名を万軍の主という王の御告げ――
  彼は山々の中のタボルのように、
  海のほとりのカルメルのように、必ず来る。(18節)
  エジプトに住む娘よ。捕虜になる身支度をせよ。
  ノフは荒れ果て、廃墟となって住む人もなくなるから だ。(19節)

★★★★★

  エジプトはかわいい雌の子牛。
  北からあぶが襲って来る。(20節)
  その中にいた傭兵も、
  肥えた子牛のようだった。
  彼らもまた、背を向けて共に逃げ、
  立ち止まろうともしなかった。
  彼らの滅びの日、刑罰の時が、
  彼らの上に来たからだ。(21節)

 すでに神が勝敗を決めておられる力関係の中では、強大なエジプトでさえ、「雌の小牛」に譬えられる弱い存在です。あぶ(バビロン軍)に襲われて泣きわめくのです。
 傭兵は、武力をウリにする職業軍人ですが、「神の時」の前では彼らも力を失って逃げまどうのです。
 対するバビロン軍は、斧をもって森を伐り倒す数えきれないほどのきこりに譬えられています。

  彼女の声は蛇のように消え去る。
  彼らは軍勢を率いて来る。
  きこりのように、斧を持ってはいって来る。(22節)
  彼らはその森を切り倒す。――主の御告げ――
  それは測り知られず、
  いなごより多くて数えることができないからだ。(23節)
  娘エジプトは、はずかしめられ、
  北の民の手に渡された。」(24節)

 イスラエルの神、万軍の主は、仰せられる。「見よ。わたしは、ノのアモンと、パロとエジプト、その神々と王たち、パロと彼に拠り頼む者たちとを罰する。(25節)

 主が、エジプトへのさばきをわざわざ預言者の口に置かれたのは、「パロと彼により頼む者たちが罰せられる」と警告されるためだったのでしょう。総督ゲダルヤの死のあと、民がエジプトに下ろうとしているのを、神は、一貫して警告しておられるのです。








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2016年10月22日

エレミヤ書131 あなたを罰せずにおくことは決してないが。(エレミヤ書46章26節〜28節)



 「わたしは彼らを、そのいのちをねらっている者たちの手、すなわちバビロンの王ネブカデレザルの手とその家来たちの手に渡す。その後、エジプトは、昔の日のように人が住むようになる。――主の御告げ――(エレミヤ書46章26節)

 神は、エジプトもネブカデレザルとその家来たちに敗北して連れ去られるとの預言を、エレミヤに授けられたのです。
 大国のカサの下に避難して来たのに、その大国が滅びるというのですから、聞く者は恐れたに違いありません。それがわかっているので、繰り返し、「恐れるな」「おののくな」と呼びかけられます。

  わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。
  イスラエルよ。おののくな。
  見よ。わたしが、あなたを遠くから、
  あなたの子孫を捕囚の地から、救うからだ。
  ヤコブは帰って来て、平穏に安らかに生き、
  おびえさせる者はだれもいない。(27節)
  わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。
  ――主の御告げ――
  わたしがあなたとともにいるからだ。

★★★★★

 神の御計画は、人にはわからない長いスパンで行なわれています。今苦しくても、神がともにいて下さるなら、かならずヤコブ(イスラエル民族)は、国に帰って来て平穏に安らかに暮らせる。それを神・主は、預言者を通して知らせておられるのです。

  わたしは、あなたを追いやった先の
  すべての国々を滅ぼし尽くすからだ。
  わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。
  公義によって、あなたを懲らしめ、
  あなたを罰せずにおくことは決してないが。」(28節)

 私には、聖書の神のお言葉が時々、とても「やさしく」聞こえてしまうのです。ほんとうに、人間のお父さんが、子供の苦しみや悩みを聞きながら、「大丈夫。おとうさんが、AにもBにもCにも、懲らしめをくれてやるよ。あいつらは、二度とお前に悪さできないからね。」と言っているようです。

 もし、このような公平で力ある審判を父親が行なってくれるなら、「いじめ」で苦しむ子供はいなくなるかもしれません。けれども、神ならぬ身の「肉の父」がすることは、完全ではありません。実際に人が、このようなことをしたら、復讐に復讐を産むことになるでしょう。
 また、肉の父なら、一家の幸福と平安を取り戻すことで満足してしまいますから、復讐を見た子どもは、たんに溜飲を下げるだけで反省はしません。

 神は、その点、くぎを刺されるのを忘れていません。「あなたを罰せずにおくことは決してない」と言われるのです。
 預言者の預言を無視し、自分の判断でエジプトに下ったユダの人々に、神に聞く事を教え、エレミヤを冷笑した行為のツケは、払わせると仰せなのです。








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2016年10月23日

エレミヤ書132 ペリシテへの宣告(エレミヤ書47章1節〜7節)



パロがまだガザを打たないうちに、ペリシテ人について、預言者エレミヤにあった主のことば。(エレミヤ書47章1節)
  主はこう仰せられる。
  「見よ。北から水が上って来て、
  あふれる流れとなり、
  地と、それに満ちるもの、
  町とその住民とにあふれかかる。
  人々は泣き叫び、地の住民はみな泣きわめく。(2節)

 エレミヤ書47章はペリシテへの宣告です。
 ここには、聖書読者にはなじみのペリシテの都市の名が、次々と出てきます。

 最初は、ガザです。ガザといえば士師サムソンの話の舞台です。サムソンと言えば、怪力だけれど女性に弱いキャラクターだけにライトが当たりがちですが、そもそもは、彼の生まれる時代から、ペリシテ人がイスラエル人を苦しめていたので、これに対抗する者として、サムソンは世に送り出されました。神様が不妊の女だった彼の母の懐妊を父マノアに告げるのです。サムソンは神に仕える者・ナジル人として育てられました。ナジル人とは、神に仕えるために生まれつき聖別された子供です。
 ナジル人として、サムソンは髪の毛を剃ったり切ったりしないで育てられました。それが、サムソンの神秘的な怪力と結びついていたのです。じっさい、サムソンはライオンを素手で倒すとか、ミツバチの巣を手づかみで食べるなど、尋常ではない力の持ち主でした。

 サムソンの時代のガザが、どんなに活気にあふれた町かは聖書にも活写されています。(士師記14章〜17章)
 しかし、聖書の要点は、ペリシテ人は偶像礼拝者であるばかりでなく、つねにイスラエルと敵対してきたということです。鉄器を使っていた彼らは、イスラエルを苦しめることが多かったのです。しかし、彼らが主の罰を受ける日が来たのです。
 バビロンは、一時的に主に用いられたのです。

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  荒馬のひづめの音、
  戦車の響き、車輪の騒音のため、
  父たちは気力を失って、子らを顧みない。(3節)
  すべてのペリシテ人を破滅させる日が
  来たからだ。
  その日には、ツロとシドンを、
  生き残って助ける者もみな、断ち滅ぼされる。
  主が、カフトルの島に残っているペリシテ人も
  破滅させるからだ。(4節)
  ガザは頭をそられ、
  アシュケロンは滅びうせた。
  アナク人の残りの者よ。
  いつまで、あなたは身を傷つけるのか。」(5節)

 ガザ、アシュケロン、アシュドテは、ユダの領地に接するように勢力を誇っていたペリシテ人の都市国家でした。カフトルは彼らの出身地である地中海のクレテ島です。ツロやシドンはイスラエルの北部のフェニキヤの町々ですが、ペリシテと同盟を結んでいたようです。
 これらの同盟も、彼等の強さもいっせいに裁かれるときがきたのです。
 ダビデと戦ったペリシテ人ゴリヤテは、アナクの子孫だったといわれています。自分の身を傷つけるような異教の礼拝スタイルと相まってその残酷な習俗を、主は裁こうとされています。

  「ああ。主の剣よ。
  いつまで、おまえは休まないのか。
  さやに納まり、静かに休め。」(6節)
  どうして、おまえは休めよう。
  主が剣に命じられたのだ。
  アシュケロンとその海岸――
  そこに剣を向けられたのだ。(7節)

 イスラエルの民が荒野でカナンをめざしている時、モーセがカナンに派遣した偵察隊のうち、ヨシュアとカレブを除く者は、「そこにはアナク人がいる」と報告して民をおびえさせました。(民数記13章32節33節)
 そのアナク人たちも、主が剣を向けられては、滅ぼされるしかありませんでした。







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2016年10月24日

エレミヤ書133 モアブへの宣告(エレミヤ書48章1節〜16節)



 モアブについて。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。
  「ああ、悲しいかな、ネボ。これは荒らされた。
  キルヤタイムもはずかしめられ、攻め取られた。
  そのとりでは、はずかしめられて
  打ちのめされた。(エレミヤ書48章1節)
  もはやモアブの栄誉はない。
  ヘシュボンでは、これに悪事をたくらんでいる。
  『行って、あの国民を断ち滅ぼして
  無き者にしよう。』
  マデメンよ。おまえも黙る。
  剣がおまえのあとを追っている。」(2節)
  聞け。ホロナイムからの悲鳴。
  「破壊だ。大破滅だ。」と。(3節)
  モアブは打ち破られた。
  その叫びはツォアルまで聞こえた。(4節)
  ルヒテの坂を泣きながら嘆きが上る。
  敵はホロナイムの下り坂では、
  いたいたしい破滅の叫びを聞いた。(5節)
  逃げて、おまえたちのいのちを救え。
  荒野の中の野ろばのようになれ。(6節)
  おまえは自分の作った物や
  財宝に拠り頼んだので、
  おまえまで捕えられ、
  ケモシュはその祭司や首長たちとともに、
  捕囚となって出て行く。(7節)
  荒らす者がすべての町にはいって来る。
  一つの町ものがれることができない。
  谷は滅びうせ、平地は根絶やしにされる。
  主が仰せられるからだ。(8節)
 
 エジプト、ペリシテに続いて、モアブへのさばきの宣告があります。モアブは、歴史的には、アブラハムの甥ロトから発した国です。

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 モアブの国の誕生は、その最初から悲劇的でした。アブラハムといっしょにハランからカナンに出て来たロトですが、二人の羊が増えすぎてやがて、べつべつに生きることになりました。ロトは豊かなヨルダン低地を取り、そこにソドムがありました。(創世記13章4章〜13章) それは、ロトにとっては不運な選択でした。ソドムの人たちは「よこしまな人たち」「主に対しては非常な罪びとであった。」のです。やがて、この町は主のさばきを受けます。
 主が、ソドムとゴモラに硫黄の火を降らせて滅ぼされるのです。(同19章)
 あらかじめ主からこのさばきを聞いたアブラハムは、甥のために主に赦しを乞います。そこで主は、御使いを二人ロトの家に派遣して、逃げるように勧告するのです。
 逃げるときは、振り返らずに逃げることという御使いの戒めを、しかし、ロトの妻は守ることができず、恐ろしさに思わず振り返って「塩の柱」になってしまいます(19章26節)
 ロトは、娘といっしょに山に住みます。しかし、人里離れた山中で、娘と父は近親相姦を犯してしまうのです。それぞれの娘に子が生まれ、姉娘の子は、モアブ人の先祖となり、妹娘の子は、アモンの先祖となったと、聖書は語ります。(同37節、38節)

 ソドムとゴモラの位置は今となってはわからないそうですが、死海の東側にあったというのが大方の見方です。(バイブルワールド・いのちのことば社)モアブは、そこに立てられた国でした。小さな領土ですが、北をアルノン側に隔てられ、南エドムとの国境はセレデ川、西側を死海に隔てられ、安定した国でした。

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 ユダ王国滅亡の時代、神は、ユダ王国を取り巻く諸国へのさばきを宣告されます。
 モアブへの宣告は長く、言葉は激しく、厳しいものです。それは、モアブがその地理的状況から比較的苦難にも遭わない国だったことと無関係ではなさそうです。

 モアブに翼を与えて、飛び去らせよ。
その町々は住む者もなくて荒れ果てる。(9節)
 主のみわざをおろそかにする者は、のろわれよ。その剣をとどめて血を流さないようにする者は、のろわれよ。(10節)

  モアブは若い時から安らかであった。
  彼はぶどう酒のかすの上にじっとたまっていて、
  器から器へあけられたこともなく、
  捕囚として連れて行かれたこともなかった。
  それゆえ、その味はそのまま残り、
  かおりも変わらなかった。(11節)
  「それゆえ、見よ、その日が来る。――主の御告げ――その日、わたしは、彼に酒蔵の番人を送る。彼らはそ  れを器から移し、その器をあけ、そのつぼを砕く。(12節)
  モアブは、ケモシュのために恥を見る。イスラエルの家が、彼らの拠り頼むベテルのために恥を見たように。」(13節)

 神の御怒りとさばきは、さらに本質的なもの、ケモシュという偶像を拝んでいたことに発しているのです。

 どうして、あなたがたは「われわれは勇士、戦いの豪の者。」と言えようか。(14節)
  モアブは荒らされ、その町々は襲われて、
  えり抜きの若者たちも、ほふり場に下って行く。
  ――その名を万軍の主という王の御告げ――(15節)
  モアブの災難は近づいた。
  そのわざわいは、すみやかに来る。(16節)








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2016年10月25日

エレミヤ書134 モアブが罰せられる理由(エレミヤ書48章14節〜31節、民数記23章24章25章)




 この諸外国へのさばきの宣告は、エジプト、モアブ、アモン、エドム、ダマスコ、ケダルとハツォル、エラムと、続きます。ユダ、イスラエル王国を取り巻く国ぐにです。
 それにしても、モアブへの宣告は一番多くのことばを費やして、容赦のない表現で語られるのです。

 どうして、あなたがたは「われわれは勇士、戦いの豪の者。」と言えようか。(エレミヤ書48章14節)
  モアブは荒らされ、その町々は襲われて、
  えり抜きの若者たちも、ほふり場に下って行く。
  ――その名を万軍の主という王の御告げ――(15節)
  モアブの災難は近づいた。
  そのわざわいは、すみやかに来る。(16節)
  その回りの者、その名を知る者はみな、
  これのために嘆け。
  「どうして力ある杖、美しい笏が砕かれたのか。」
  と言え。(17節)
  ディボンに住む娘よ。
  栄光の座からおりて、潤いのない地にすわれ。
  モアブを荒らす者が、あなたを襲い、
  あなたの要塞を滅ぼしたからだ。(18節)
  アロエルに住む女よ。
  道のかたわらに立って見張れ。
  逃げて来る男、のがれて来る女に尋ねて、
  「何が起こったのか。」と言え。(19節)
  モアブは打ちのめされて、はずかしめられた。
  泣きわめき、叫べ。
  アルノンで、「モアブは荒らされた。」と告げよ。(20節)

 ディポン、アルエルはアルノン川を越えて北に位置する町です。北からの脅威に対するモアブの要塞があったのでしょう。バビロンがモアブに攻めてくるとき、最初に占領される場所です。
 女たちに「嘆く」よう命じているのは、「女がもっとも戦争被害を受けるから」ではないでしょう。聖書では、姦淫とは人間関係以上に、「わたし――アブラハム、イサク、ヤコブの神以外の神」との交わりを意味しています。女とは、民を誘惑してきた偶像を指しているように思います。

  さばきは次の平地に来た。ホロン、ヤハツ、メファアテ、(21節)
  ディボン、ネボ、ベテ・ディブラタイム、(22節)
  キルヤタイム、ベテ・ガムル、ベテ・メオン、(23節)
  ケリヨテ、ボツラ、モアブの国の遠近のすべての町々に。(24節)
  「モアブの角は切り落とされ、
  その腕は砕かれた。――主の御告げ――」(25節)

 角や腕は戦力、国力を指しています。モアブは、バビロンによって、壊滅状態になったのでしょう。第二次世界大戦の末期の日本の各都市がほとんど焦土になったすがた,連合国側の激しい反撃によってドイツが壊滅して廃墟となった様子が思い浮かびます。

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 彼を酔わせよ。主に対して高ぶったからだ。モアブは、へどを吐き散らし、彼もまた物笑いとなる。(26節)
 イスラエルは、あなたの物笑いではなかったのか。それとも、あなたが彼のことを語るたびごとに彼に向かって頭を振っていたのは、彼が見つけられた盗人のひとりであったためか。(27節)

 モアブの罪の一つに、イスラエルを嘲ったことが上げられています。たしかに、イスラエルは弱い民でした。イスラエルがまだ荒野にいたとき、モアブはすでに国を形成していたのです。イスラエルがカナンを目指すとき、モアブの領土を迂回して北上するほど、モアブに一目置いていました。それは、モアブの先祖がアブラハムの甥ロトだったことと無関係ではないでしょう。それほど礼儀を尽くした相手モアブは、けれども、イスラエルがヤハツでエモリ人の王シホンと戦って打ったと聞くと、イスラエルに敵対してきたのです。
 モアブの王と長老たちは、占い師バラムのところへ行き、イスラエルをのろってくれるように頼むのです。(民数記22章23章)
 この時、バラムの心を翻し、モアブの王の意図に反して、イスラエルを祝福することにさせられたのは、イスラエルの神でした。(同24章)
 バラクを使ってイスラエルをのろわせるのに失敗したモアブは、今度は別の作戦を実行します。若い娘たちを使って、イスラエルの男たちを誘惑するのです。これによって、イスラエルの中に罰を受けて死ぬ者が2万4千人も出たのです。(同25章)

 イスラエルに対するモアブのこのような妨害を、主はお忘れになっていなかったのです。

  モアブの住民よ。
  町を見捨てて岩間に住め。
  穴の入口のそばに巣を作る鳩のようになれ。(28節)
  私たちはモアブの高ぶりを聞いた。
  実に高慢だ。
  その高慢、その高ぶり、
  その誇り、その心の高ぶりを。(29節)
  「わたしは、彼の高ぶりを知っている。――主の御告げ――その自慢話は正しくない。その行ないも正しくない。」(30節)
 それゆえ、モアブのために私は泣きわめき、モアブ全体のために私は叫ぶ。キル・ヘレスの人々のために嘆く。(31節)








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