2016年10月12日

エレミヤ書121 エレミヤの祈りと、民の選択(エレミヤ書42章1節〜16節)



 総督ゲダルヤを失った「ユダの残りの者たち」は、ゲダルヤ殺害の張本人イシュマエルに逃げられて、途方に暮れています。
 彼らは、ミツバにいるエレミヤのところに戻って来て、これから彼らがどういう行動をとるべきか、神の預言を求めるのです。

 すべての将校たち、カレアハの子ヨハナン、ホシャの子イザヌヤ、および身分の低い者も高い者もみな、寄って来て、(エレミヤ書42章1節)
 預言者エレミヤに言った。「どうぞ、私たちの願いを聞いてください。私たちのため、この残った者みなのために、あなたの神、主に、祈ってください。ご覧のとおり、私たちは多くの者の中からごくわずかだけ残ったのです。(2節)
 あなたの神、主が、私たちの歩むべき道と、なすべきことを私たちに告げてくださいますように。」(3節)

 彼らの不安は、バビロンの王がどのような制裁に出て来るかでした。ゲダルヤはバビロンの代理として選ばれたのですし、殺された者の中にバビロンの将校たちもいました。ことを分けて説明すれば、バビロンの王もわかってくれるはずと思うのは、いまの私たちの考えであって、カメラもネットも電話もなかった当時、事件の経緯がちゃんと公平に調べられる保証もなかったのでしょう。バビロンが、今度こそユダの民を皆殺しにするかもしれないと恐れたようです。

 そこで、預言者エレミヤは彼らに言った。「承知しました。今、私は、あなたがたのことばのとおり、あなたがたの神、主に祈り、主があなたがたに答えられることはみな、あなたがたに告げましょう。何事も、あなたがたに隠しません。」(4節)
 彼らはエレミヤに言った。「主が私たちの間で真実な確かな証人でありますように。私たちは、すべてあなたの神、主が私たちのためにあなたを送って告げられることばのとおりに、必ず行ないます。(5節)
 私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちが私たちの神、主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。」(6節)
 十日の後、主のことばがエレミヤにあった。(7節)

 エレミヤが神からのお答えを聞くのに、十日間かかったのです。

 彼はカレアハの子ヨハナンと、彼とともにいるすべての将校と、身分の低い者や高い者をみな呼び寄せて、(8節)
 彼らに言った。「あなたがたが私を遣わして、あなたがたの願いを御前に述べさせたイスラエルの神、主は、こう仰せられる。(9節)
 『もし、あなたがたがこの国にとどまるなら、わたしはあなたがたを建てて、倒さず、あなたがたを植えて、引き抜かない。わたしはあなたがたに下したあのわざわいを思い直したからだ。(10節)

 神の託宣は明快でした。ミツバに残っている者――カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいるすべての将校と、身分の低い者や高い者――すべては、ユダにとどまるべきだというのです。
 バビロンの王はヨハナンたちが恐れているような制裁はしない。その理由は、主が、彼等を救い出そうとしておられるので、バビロンの王も彼等にあわれみをかけてくれるのです。

 あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼をこわがるな。――主の御告げ――わたしはあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、彼の手からあなたがたを救い出すからだ。(11節)
 わたしがあなたがたにあわれみを施すので、彼は、あなたがたをあわれみ、あなたがたをあなたがたの土地に帰らせる。』(12節)

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 しかしあなたがたが、『私たちはこの国にとどまらない。』と言って、あなたがたの神、主の御声を聞かず、(13節)
 『いや、エジプトの国に行こう。あそこでは戦いに会わず、角笛の音も聞かず、パンにも飢えることがないから、あそこに、私たちは住もう。』と言っているのなら、(14節)
 今、ユダの残りの者よ、主のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『もし、あなたがたがエジプトに行こうと堅く決心し、そこに行って寄留するなら、(15節)
 あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの国であなたがたに追いつき、あなたがたの心配しているききんが、あのエジプトであなたがたに追いすがり、あなたがたはあそこで死のう。(16節)

 ヨハナンたちは、自分からエレミヤに、神のことばを伺ってくれと頼んだのです。そこで、神は、動揺しないでユダにとどまるようにと仰せなのです。それなのに、その託宣は、ヨハナンたちの気に入らなかったようです。彼等はエレミヤの預言に従おうとしなかったのです。神は彼らの迷いをご存知で、「もしエジプトに行くなら、剣とききんで、死ぬことになる」。

 私たちにとって、神に従うことがいかに難しいかを、この箇所は思い知らせてくれます。神のお示しになる道の先にさえ、人は勝手な予想をするのです。この道の先には獅子がいる――。事実そうかもしれません。しかし、仮に獅子がいても、断崖絶壁でも、その場所で神もいて下さって手を差し伸べようと言われているのです。
 それが信じられなくなっているのです。その理由は、「恐れ」でした。






posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする