2016年10月18日

エレミヤ書127 預言者の同労者バルクの問題(エレミヤ書45章1節〜5節)



 ネリヤの子バルクが、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの第四年に、エレミヤの口述によってこれらのことばを書物に書いたときに、預言者エレミヤが彼に語ったことばは、こうである。(エレミヤ書45章1節)
「バルクよ。イスラエルの神、主は、あなたについてこう仰せられる。(2節)
あなたは言った。『ああ、哀れなこの私。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、いこいもない。』(3節)

 この箇所は、エレミヤ書36章の記述に基づいています。

 ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの第四年に、主からエレミヤに次のようなみことばがあった。
 あなたは巻物を取り、わたしがあなたに語った日、すなわちヨシヤの時代から今日まで、わたしはイスラエルとユダのすべての国々について、あなたに語ったことばをみなそれに書きしるせ。(エレミヤ書36章1節2節)。

 この時、エレミヤは監視の庭に閉じこめられていました。そこで、バルクはエレミヤの預言を記した巻き物をもって、主のことばを民の耳に聞かせることになるのです。
 神のことばを聞きたくない民は、バルクにつらく当たったのでしょう。
 バルクは、書記官としてエレミヤの預言活動を支えた人物。王家に近い名門の出身だと推測される(新実用聖書注解・いのちのことば社)。また、社会から相当評価を受けていた人物なのです。それだけに、あまりに迫害が厳しい時、エレミヤの同労者でいるよりは、世俗の社会で生きることを願ったとも考えられています。

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 バルクの迷いや煩悶は、当然神はご存知で、すぐにエレミヤにことばを授けられたのです。

 あなたが主にこう言うので、主はこう仰せられる。『見よ。わたしは自分が建てた物を自分でこわし、わたしが植えた物を自分で引き抜く。この全土をそうする。(4節)
 あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下すからだ。――主の御告げ――しかし、わたしは、あなたの行くどんな所ででも、あなたのいのちを分捕り物としてあなたに与える。』」(5節)

 神は、俗世間で栄達の道を望むバルクに警告されます。
 神は、ユダ王国そのものを根こそぎにされようとしているのです。だから、そんなところで「大きなものを求めても無駄だ」と仰せなのです。

 たしかに預言者の同労者であることは苦しいことなのですね。これは、今日でも同じかもしれません。牧師だけでなく宣教活動を支えるために働いている人たちも、社会から非難されたり、色々な犠牲を払うことに疲れてしまうことがあるのではないでしょうか。
 それだけに、神は、労苦しているバルクに、一番大切なものを約束して下さっています。それは、いのちです。

イエス様も、仰せです。

 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。(マルコの福音書8章36節)






posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする