2016年10月31日

エレミヤ書140 エドムへの審判2(エレミヤ49章12節〜22節)



 まことに主はこう仰せられる。「見よ。あの杯を飲むように定められていない者も、それを飲まなければならない。あなただけが罰を免れることができようか。罰を受けずには済まない。いや、あなたは必ずそれを飲まなければならない。(エレミヤ書49章12節)
 わたしは自分にかけて誓ったからだ。――主の御告げ――必ずボツラは恐怖、そしりとなり、廃墟、ののしりとなる。そのすべての町々は、永遠の廃墟となる。」(13節)

 エドムについての万軍の主のことば(同7節)の続きです。知恵で知られたエドムが荒らされ、災難が襲います。しかも、それを主は「あなたはかならず、それを飲まなければならない」と念を押しています。

  私は主から知らせを聞いた。
  「使者が国々の間に送られた。
  『集まって、エドムに攻め入れ。
  戦いに立ち上がれ。』(14節)

 エドムはイスラエルの神を拝んでいない国でした。異教の国に、イスラエルの神が力を発揮して罰を与えること、ほかの異教の国々に「攻め入れ」「戦いに立ち上がれ」と命じて力を発揮できる方であることに、だれよりも、異教の国々の人々が驚くのではないでしょうか。唯一、まことの神と偶像の神との違いです。

  見よ。わたしはあなたを国々の中の小さい者、
  人にさげすまれる者とするからだ。(15節)
  岩の住みかに住む者、丘の頂を占める者よ。
  あなたの脅かしが、あなた自身を欺いた。
  あなたの心は高慢だ。
  あなたが鷲のように巣を高くしても、
  わたしは、そこから引き降ろす。
  ――主の御告げ――」(16節)

 エドムは、豊かで軍事力もあり、その地形を防御に利用していたのでしょう。けれども、神が滅ぼすことを決意されたときには、すべては逆転してしまうのです。

★★★★★

  エドムは恐怖となり、そこを通り過ぎる者はみな、色を失い、そのすべての打ち傷を見てあざける。(17節)
  ソドムとゴモラとその近隣の破滅のように、――主は仰せられる――そこに人は住まず、そこに人の子は宿らない。(18節)

 アブラハムの時代に神が硫黄を降らせて罰せられたソドムとゴモラは、死海の南端、エドムの北端にありました。それは、まるで伝説のように消え失せた町でした。現在は、死海の底に沈んだのだろうと推測されています。(新実用聖書注解・いのちのことば社)

 「見よ。獅子がヨルダンの密林から水の絶えず流れる牧場に上って来るように、わたしは一瞬にして彼らをそこから追い出そう。わたしは、選ばれた人をそこに置く。なぜなら、だれかわたしのような者があろうか。だれかわたしを呼びつける者があろうか。だれかわたしの前に立つことのできる牧者があろうか。」(19節)

 獅子に譬えられているのはバビロンです。アッシリヤを滅ぼして、怒涛のように勢いづくバビロンに対抗できる国はありません。

 それゆえ、エドムに対してめぐらされた主のはかりごとと、テマンの住民に対して立てられたご計画を聞け。
  必ず、群れの小さい者まで引きずって行かれ、
  必ず、彼らの牧場はそのことでおびえる。(20節)
  彼らの倒れる音で地は震え、
  その叫び声が葦の海でも聞こえた。(21節)
  見よ。彼は鷲のように舞い上がっては襲い、ボツラの上に翼を広げる。その日、エドムの勇士の心も、産  みの苦しみをする女の心のようになる。(22節)

 獅子に譬えられたバビロンが、鷲にたとえられます。密林からも、空からも訪れる恐怖の大きさがたとえられています。
 大きな災難が神・主から来るものである時、私たち人間には防ぎようがありません。
 私たちは、そんな時、ただ、主の御声を聞かなければならないと言われているのでしょう。主のご計画の前で、災難と荒廃、地が震え、阿鼻叫喚が国境までも響くのです。それも、主のはかりごとだと宣告されるのは、いささか、無慈悲に聞こえるのです。ですが、勇士でさえ、産みの苦しみをする女の心のようになる時、初めて、人間は本当の神様に気がつくのかもしれないのです。





posted by さとうまさこ at 10:14| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする