2016年11月06日

エレミヤ書146  バビロンの滅亡の実現(エレミヤ50章28節〜46節)



  聞け。バビロンの国からのがれて来た者が、
  シオンで、私たちの神、主の、復讐のこと、
  その宮の復讐のことを告げ知らせている。(エレミヤ書28節)
  射手を呼び集めて
  バビロンを攻め、弓を張る者はみな、
  これを囲んで陣を敷き、ひとりものがすな。
  そのしわざに応じてこれに報い、
  これがしたとおりに、これにせよ。

 アッシリヤの首都ニネベを陥落させたバビロンは、中東の覇権を握りました。どのような横暴もできるのが、当時の戦勝国です。ユダの人々は、三次にわたって捕囚に引かれ、神殿は破壊され、およそ国の財物も持ち去られてしまいます。しかし、イスラエルの神がそのような横暴を、ただ見逃されることはあり得ません。バビロンに攻められて滅びたように見えるユダの人々を立たせて、報復せよと励まされる日が来るのです。

★★★★★

  主に向かい、イスラエルの聖なる方に向かって
  高ぶったからだ。(29節)
  「それゆえ、その日、その若い男たちは町の広場に倒れ、その戦士もみな、断ち滅ぼされる。――主の御告げ――
  高ぶる者よ。見よ。わたしはあなたを攻める。
  ――万軍の神、主の御告げ――
  あなたの日、
  わたしがあなたを罰する時が来たからだ。(31節)
  そこで、高ぶる者はつまずき倒れ、
  これを起こす者もいない。
  わたしは、その町に火をつける。
  火はそのまわりのものをすべて焼き尽くす。」(32節)
 
 横暴な権力がやがて滅ぼされる日が来るのは、「高ぶり」のためです。人間の罪は、成功によって、すぐに思い上がって高ぶることです。
 バビロンが、エジプトをはじめとするイスラエルの周辺国を打つのは、神の御心でした。モアブやアモン、エドム、ダマスコなどを罰する働きに、主がバビロンを用いられたのです。
 しかし、人間は、自分の勝利を主が与えて下さったとは思えなくて高ぶります。
 抑圧された人々、しいたげられた国が主に向かって叫ぶことさえ、気にかけません。しかし、神様はすべてをご覧になっています。

 万軍の主はこう仰せられる。「イスラエルの民とユダの民は、共にしいたげられている。彼らをとりこにした者はみな、彼らを捕えて解放しようとはしない。」(32節)
 彼らを贖う方は強く、その名は万軍の主。主は、確かに彼らの訴えを支持し、この国をいこわせるが、バビロンの住民を震え上がらせる。(34節)
  剣が、カルデヤ人にも、――主の御告げ――
  バビロンの住民、
  その首長たち、知恵ある者たちにも下る。(35節)
  剣が自慢する者たちにも下り、彼らは愚かになる。
  剣がその勇士たちにも下り、彼らはおののく。(36節)
  剣がその馬と車と、そこに住む混血の民にも下り、
  彼らは女のようになる。
  剣がその財宝にも下り、それらはかすめ取られる。(37節)
  その水の上には、ひでりが下り、それはかれる。
  ここは刻んだ像の国で、
  彼らは偶像の神に狂っているからだ。(38節)

 偶像はそれ自体、聖書の神が忌み嫌われているものです。偶像とは「手で刻んだ物」あるいは、手で刻めるものでしょうか。万物は神がお造りになり、私たちもまた被造物であるのです。ところが偶像を刻むと、私たちが神を作ることになってしまいます。造り主が人間なのですからどんな神でも作るようになり、王や権力者が自分を神と勘違いするまでもひとっ跳びです。

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 それゆえ、そこには荒野の獣が山犬とともに住み、だちょうがそこに住む。もう、いつまでも人は住まず、代々にわたって、住む人はない。(39節)
 神がソドムと、ゴモラと、その近隣を滅ぼされたように、――主の御告げ――そこには人が住まず、そこには人の子が宿らない。(40節)
 見よ。一つの民が北から来る。大きな国と多くの王が地の果て果てから奮い立つ。(41節)
 彼らは弓と投げ槍を堅く握り、残忍で、あわれみがない。その声は海のようにとどろく。バビロンの娘よ。彼らは馬に乗り、ひとりのように陣ぞなえをして、あなたを攻める。(42節)
 バビロンの王は、彼らのうわさを聞いて気力を失い、産婦のような苦しみと苦痛に捕えられる。(43節)

 北からやって来る民は、新興のアケネメス朝ペルシャです。バビロンは、ろくに抵抗もしないで降伏・開城してしまい、やがて滅んでしまいます。
 まさに、エレミヤの預言は実現したのです。

 「見よ。獅子がヨルダンの密林から水の絶えず流れる牧場に上って来るように、わたしは一瞬にして彼らをそこから追い出そう。わたしは、選ばれた人をそこに置く。なぜなら、だれかわたしのような者があろうか。だれかわたしを呼びつける者があろうか。だれかわたしの前に立つことのできる牧者があろうか。」(44節)
 それゆえ、バビロンに対してめぐらされた主のはかりごとと、カルデヤ人の国に対して立てられたご計画を聞け。
  必ず、群れの小さい者まで引きずって行かれ、
必ず、彼らの牧場はそのことでおびえる。(45節)
  バビロンの捕えられる音で地は震え、
  その叫びが国々の間でも聞こえた。(46節)








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2016年11月07日

エレミヤ書147  バビロンの完全な滅亡へ(エレミヤ51章1節〜19節)



  主はこう仰せられる。
  「見よ。わたしはバビロンとその住民に対し、
  破壊する者の霊を奮い立たせ、(エレミヤ書51章1節)
  他国人たちをバビロンに送る。
  彼らはこれを吹き散らし、その国を滅ぼす。
  彼らは、わざわいの日に、
  四方からこれを攻める。」(2節)

 最期にもう一度、バビロンへの預言です。他国人がバビロンを破壊するために送られてくるのです。

  射手には弓を張らせ、
  よろいを着けてこれを襲わせよ。
  そこの若い男を惜しむことなく、
  その全軍を聖絶せよ。(3節)
  刺し殺された者たちが、カルデヤ人の国に倒れ、
  突き刺された者たちが、そのちまたに倒れる。(4節)
  しかし、イスラエルもユダも、
  その神、万軍の主から、決して見捨てられない。
  射手には弓を張らせ、
  よろいを着けてこれを襲わせよ。
  そこの若い男を惜しむことなく、
  その全軍を聖絶せよ。(3節)
  刺し殺された者たちが、カルデヤ人の国に倒れ、
  突き刺された者たちが、そのちまたに倒れる。(4節)
  しかし、イスラエルもユダも、
  その神、万軍の主から、決して見捨てられない。
  彼らの国は、
  イスラエルの聖なる方にそむいた罪に
  満ちていたが。(5節)
  バビロンの中から逃げ、
  それぞれ自分のいのちを救え。
  バビロンの咎のために絶ち滅ぼされるな。
  これこそ、主の復讐の時、報いを主が返される。(6節)

 エレミヤの多くの預言の最後は、バビロンへの審判です。これは当時のユダ王国を取り巻く歴史を考えれば、しぜんなことのように思えます。イスラエルはカナンに入るときから、王国の歴史を通して、周辺国との紛争に悩まされたきました。神が選びの民をカナンに入れられるご計画は、神の民を悩ませる戦いの中でこそ、神の民が「精錬」されていくためであったかも知れないとの見方もできます。しばしば、周辺の民の信仰と同化しそうになるイスラエルを、「真の神の民」へと、脱皮させられるために必要な戦いだったとも考えられます。
 しかし、神が、神の民をお造りになるプロセスは、生やさしいものではないと改めて思わせられるのです。

★★★★★

  バビロンは主の御手にある金の杯。
  すべての国々はこれに酔い、
  国々はそのぶどう酒を飲んで、酔いしれた。(7節)
  たちまち、バビロンは倒れて砕かれた。
  このために泣きわめけ。
  その痛みのために乳香を取れ。
  あるいはいやされるかもしれない。(8節)

  私たちは、バビロンをいやそうとしたのに、
  それはいやされなかった。
  私たちはこれを見捨てて、
  おのおの自分の国へ帰ろう。
  バビロンへの罰は、
  天に達し、大空まで上ったからだ。(9節)
  主は、私たちの正義の主張を明らかにされた。
  来たれ。私たちはシオンで、
  私たちの神、主のみわざを語ろう。(10節)

 イスラエルを精錬する側の「石」となった周辺国は、けっきょく罰せられるのです。すべて、神の御計画であったので滅ぼされるのです。
 ここには、現代の私たちが考える「共存共栄」「ウィン・ウィン」の関係は成立しなかったのです。
 諸国は、繁栄の国バビロンに擦り寄って、甘い汁を吸い取ろうとしました。バビロン自身が主によって滅ぼされるとき、そびえたっていた城壁も伝説も富も、跡形もなく持ち去られるのです。
 敵は北東の大国メディヤでした。

  矢をとぎ、丸い小盾を取れ。
  主はメディヤ人の王たちの霊を
  奮い立たせられた。
  主の御思いは、バビロンを滅ぼすこと。
  それは主の復讐、その宮のための復讐である。(11節)
  バビロンの城壁に向かって旗を揚げよ。
  見張りを強くし、番兵を立てよ。伏兵を備えよ。
  主ははかりごとを立て、
  バビロンの住民について語られたことを
  実行されたからだ。(12節)
  大水のほとりに住む財宝豊かな者よ。
  あなたの最期、あなたの断ち滅ぼされる時が来た。(13節)

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  万軍の主はご自分をさして誓って言われた。
  「必ず、わたしはばったのような大群の人を
  あなたに満たす。
  彼らはあなたに向かって叫び声をあげる。」(14節)
  主は、御力をもって地を造り、
  知恵をもって世界を堅く建て、
  英知をもって天を張られた。(15節)
  主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。
  主は地の果てから雲を上らせ、
  雨のためにいなずまを造り、
  その倉から風を出される。(16節)

 人間同士の戦いでは勝利者は存在しないのではないでしょうか。多くの兵馬や黄金を使って支配の頂点に立ったとしても、それも、主がお許しになっている間のできごとです。「主がお造りになった地・世界の中にいて」「主が張られた天の下にいて」、雨風一つ支配できない人間は、自分の存在が誰によって許されているのかを、自覚しなければいけないのでしょう。たとえ、バビロンの王であっても。

  すべての人間は愚かで無知だ。
  すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。
  その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。(17節)
  それは、むなしいもの、物笑いの種だ。
  刑罰の時に、それらは滅びる。(18節)

 鋳物を鋳るのは一つの技術であり、鋳物師は、その技術で生活を立てています。さとうはの鋳物をつくる仕事を尊重しています。鍋釜から、剣、盾や鉾など人は鋳物師の技術で生活を立ててきました。しかし、どんなに洗練された技術で造っても、どれほど神秘的な形を刻んでも、しょせん鋳物はい鋳物です。そこに命はなく、まして神が手で刻んだもののなかにおられるわけもありません。
 鋳物の原材料はもちろん、鋳物師や、彼に命じて造らせた王侯でさえ、主がお造りになったのです。
 イスラエルの人たちに、主は、ことあるごとに呼びかけておられます。

  ヤコブの分け前はこんなものではない。
  主は万物を造る方。
  イスラエルは主ご自身の部族。
  その御名は万軍の主である。(19節)









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2016年11月08日

Coffee Breakエレミヤ書147  報復して下さる神(エレミヤ51章20節〜36節)



 隆盛を誇ったバビロンも、彼等を立たせておられたのはイスラエルの神であったのです。バビロンは高ぶらずに、自分たちの「限界」に気付くべきでした。
 神は、そのことを明かして、仰せです。

  「あなたはわたしの鉄槌、戦いの道具だ。
  わたしはあなたを使って国々を砕き、
  あなたを使って諸王国を滅ぼす。(エレミヤ書51章20節)
  あなたを使って馬も騎手も砕き、
  あなたを使って戦車も御者も砕き、(21節)
  あなたを使って男も女も砕き、
  あなたを使って年寄りも幼い者も砕き、
  あなたを使って若い男も若い女も砕き、(22節)
  あなたを使って牧者も群れも砕き、
  あなたを使って農夫もくびきを負う牛も砕き、
  あなたを使って総督や長官たちも砕く。(23節)

 事実、このとおりになったのです。バビロンは、ここにあるように諸王国を打って、王や戦士から一般の民に至るまで、男も女も、老人も子供も、農夫も牛も、総督や長官でさえ、打ち砕きました。
 けれども、主は、すべてを見ておられ、バビロンがユダ王国とエルサレム(シオン)で行なった悪に対しては、「報復する」と宣告しています。

  わたしはバビロンとカルデヤの全住民に、
  彼らがシオンで行なったすべての悪のために、
  あなたがたの目の前で報復する。
  ――主の御告げ――(24節)

 シオンは主の山でした。神殿は神の臨在されるための聖なる場所でした。バビロンは、そのことを知るべきでした。まことの神を恐れるへりくだった態度が必要でした。
 そこで、主は告げられます。

  全地を破壊する、破壊の山よ。
  見よ。わたしはおまえを攻める。
  ――主の御告げ――

 「おまえ」とは、もちろんバビロンのことです。

  わたしはおまえに手を伸べ、
  おまえを岩から突き落とし、
  おまえを焼け山とする。(25節)
  だれもおまえから石を取って、
  隅の石とする者はなく、
  礎の石とする者もない。
  おまえは永遠に荒れ果てる。
  ――主の御告げ――(26節)

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  この地に旗を掲げ、国々の中に角笛を鳴らせ。
  国々を整えてこれを攻めよ。
  アララテ、ミニ、アシュケナズの王国を
  召集してこれを攻めよ。
  ひとりの長を立ててこれを攻めよ。
  群がるばったのように、馬を上らせよ。(27節)

 「旗を掲げ」とは、宣戦布告のことです。主は、今度はバビロンを囲む国々に呼びかけています。アララテ、ミニ、アシュケナズは、バビロンの北方にある小さな国ぐにで、すでのメディヤの勢力下に入っていたと推測できます。
 神のご命令は、メディヤの王とその配下の者に下されているのです。

  国々を整えてこれを攻めよ。
  メディヤ人の王たち、
  その総督やすべての長官たち、
  その支配する全土の民を整えて、
  これを攻めよ。(28節)
  地は震え、もだえる。
  主はご計画をバビロンに成し遂げ、
  バビロンの国を
  住む者もない荒れ果てた地とされる。(29節)
  バビロンの勇士たちは戦いをやめて、
  とりでの中にすわり込み、
  彼らの力も干からびて、女のようになる。
  その住まいは焼かれ、かんぬきは砕かれる。(30節)

 攻略されバビロンの惨状が繰り返し、告げられています。突然の国の崩壊を見て、勇士たちでさえ戦意を失って、倒れ込むさまが描写されています。

★★★★★

  飛脚はほかの飛脚に走り次ぎ、
  使者もほかの使者に取り次いで、
  バビロンの王に告げて言う。
  「都はくまなく取られ、(31節)
  渡し場も取られ、葦の舟も火で焼かれ、
  戦士たちはおじ惑っている。」(32節)

 バビロン攻撃の軍が迫っていることを、バビロン軍の伝令が告げ知らせているのです。ユーフラテス川を抱いたバビロンにとって、水上交通は戦略、物流の要だったのですが、渡し場や船も焼かれてしまったというのです。
 
  イスラエルの神、万軍の主が、
  こう仰せられたからだ。
  「バビロンの娘は、
  踏まれるときの打ち場のようだ。
  もうしばらくで、刈り入れの時が来る。(33節)
  『バビロンの王ネブカデレザルは、
  私を食い尽くし、
  私をかき乱して、からの器にした。
  竜のように私をのみこみ、
  私のおいしい物で腹を満たし、
  私を洗い流した。』(34節)

 バビロンの惨状に対して、シオンに住むユダの民は、次のように言えと命じられています。神が復讐してくださるのです。
 シオンの者たちは、もとより、溜飲をさげるのではないのです。神のお約束を思い出し、万軍の主といわれる方の御力を恐れて、信仰を新たにする必要があるのです。そのためにこそ、バビロン捕囚などの「苦難」があったのです。

  シオンに住む者は、
  『私と私の肉親になされた暴虐は、
  バビロンにふりかかれ。』と言え。
  エルサレムは、
  『私の血はカルデヤの住民に注がれよ。』と言え。」(35節)
  それゆえ、主はこう仰せられる。
  「見よ。わたしはあなたの訴えを取り上げ、
  あなたのために報復する。
  わたしはその海を干上がらせ、
  その泉をからす。(36節)









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2016年11月09日

Coffee Breakエレミヤ書148  バビロンは、イスラエルの刺し殺された者たちのために、倒れなければならない。(エレミヤ51章37節〜49節)




  バビロンは石くれの山となり、
  ジャッカルの住みかとなり、
  恐怖、あざけりとなる。(エレミヤ書51章37節)

 バビロンは巨大建造物でも有名な国家だったようです。日本のような木造建築物の国では、敗戦の光景は「焦土」ということになりますが、オリエントやエジプトでは、遺跡は崩れた石の建物となります。
 壮麗な都が見る影もなく破壊され、ジャッカル(イヌ科の野生動物)が徘徊して屍肉をあさっているのは、ありふれた光景だったのでしょう。

 夢にも滅びるとは思えなかった繁栄の都の落ちぶれを見た人たちは、恐怖を覚えるのです。

  彼らは共に、若獅子のようにほえ、
  雄獅子のように叫ぶ。(38節)
  彼らがいらだっているとき、
  わたしは彼らに宴会を開き、
  彼らを酔わせて踊らせ、
  永遠の眠りについて、目ざめないようにする。
  ――主の御告げ――(39節)
  わたしは彼らを、子羊のように、
  また雄羊か雄やぎのように、
  ほふり場に下らせる。(40節)
  ああ、バビロンは攻め取られ、
  全地の栄誉となっていた者は捕えられた。
  ああ、バビロンは国々の間で恐怖となった。(41節)

 たとえば、日本やアメリカなどの繁栄した先進国が滅びることなど、だれにも想像がつきません。たとえば、テロで巨大なビルが崩壊したり、地震で広い国土が壊滅すると、私たちは恐怖を覚えます。強くて安泰である時、だれもその国や都市や建物が崩壊するとは思えないのです。信頼していたはずの世界が壊れるのを見るのは、耐えがたい恐怖です。その時になって、バビロンでさえ倒れたと、恐れに震えた人々がたくさんいたのでしょう。

 人の造った物は、絶対に万全ではあり得ない。必ず終わりが来る。それだから、私たちは神により頼まなければならないと、思っています。
 でも、少し、順調だったら、人の力のすごさに捕らわれて、バビロンを称賛するのが、人間なのかも知れません。

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  海がバビロンの上にのしかかり、
  その波のざわめきにそれはおおわれた。(42節)
  その町々は荒れ果て、
  地は砂漠と荒れた地となり、だれも住まず、
  人の子が通りもしない地となる。(43節)
  わたしはバビロンでベルを罰し、
  のみこんだ物を吐き出させる。
  国々はもう、そこに流れ込むことはない。
  ああ、バビロンの城壁は倒れてしまった。(44節)

 神に罰せられたバビロンの様子が繰り返し、語られます。
 神の呼びかけは、「わたしの民」に向けられます。バビロンが罰せられなければならない理由も語られます。
 バビロンは刻んだ像を拝んでいたのです。

  わたしの民よ。
  その中から出よ。
  主の燃える怒りを免れて、
  おのおの自分のいのちを救え。(45節)
  そうでないと、あなたがたの心は弱まり、この国に聞こえるうわさを恐れよう。うわさは今年も来、その  後の年にも、うわさは来る。この国には暴虐があり、支配者はほかの支配者を攻める。(46節)
  それゆえ、見よ、その日が来る。その日、わたしは、バビロンの刻んだ像を罰する。この国全土は恥を   見、その刺し殺された者はみな、そこに倒れる。(47節)
  天と地とその中のすべてのものは、バビロンのことで喜び歌う。北からこれに向かって、荒らす者たちが  来るからだ。――主の御告げ――(48節)

 決定的なのはバビロンが、イスラエルの民を刺し殺したことです。
 イスラエルの民は改めて、主の宮をはずかしめられた屈辱を思い起こさなければなりません。主が復讐して下さったことを喜ばなければなりません。

 バビロンは、イスラエルの刺し殺された者たちのために、倒れなければならない。バビロンによって、全地の刺し殺された者たちが倒れたように。
 剣からのがれた者よ。行け。立ち止まるな。遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。
 『私たちは、そしりを聞いて、はずかしめを受けた。他国人が主の宮の聖所にはいったので、侮辱が私たちの顔をおおった。』」(49節)



       ★聖書は新改訳聖書を使わせていただいています。

    


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2016年11月10日

Coffee Breakエレミヤ書149  真実の預言者・55年後を預言したエレミヤ(エレミヤ51章52節〜64節)



 現代の社会でも思いがけない権力の交代があります。ちょうどアメリカ大統領選挙があって、大方の予想に反してトランプ氏が新大統領に選出されました。とはいえ、トランプ氏の当選を予想していた人もいたはずです。
 日本のテレビでも、トランプの当選を予想していた評論家がかなり上機嫌で、その根拠を語っていました。それはもちろん、占いや予言の結果ではなく、彼はアメリカの政治の現状を分析し、いろいろな社会動向と併せて、トランプ候補の優位を予見していたようです。物事に対してこのように現実の情報を集めて、判断するのがいわゆる評論家やアナリストの仕事です。とくに、今の時代は情報がすぐに世界を巡るので、判断材料が多すぎるくらいで、まったく予想もつかないことが突然起きるのは、天災くらいかもしれません。

 2000年以上も昔の人々にとっては、何かを予想するのは大変困難なことだったのではないでしょうか。情報は限られていて、隣の国のことばや風習や地理や気候も、伝え聞くばかりだったでしょう。確実な情報がないのですから、占い師、予言者などの需要が多かったに違いありません。神に仕える神官、祭司などは、神から託宣を得るための仕事であったようで、ですから、偶像の国でも神官たちの地位や立場は高かったのです。彼等が時に、政治の実権を握ったりするのは、その予見能力が買われたためでしょう。

 ただし、聖書においては、預言者と占い師・予言者とは明らかに違います。
 預言者は、「神に召された者」で、預言は「神が彼の唇に授けたことば」なのです。
 
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 「それゆえ、見よ、その日が来る。――主の御告げ――その日、わたしは、その刻んだ像を罰する。刺された者がその全土でうめく。(エレミヤ書51章52節)
 たといバビロンが天に上っても、たとい、そのとりでを高くして近寄りがたくしても、わたしのもとから荒らす者たちが、ここに来る。――主の御告げ――」(53節)
 聞け。バビロンからの叫び、カルデヤ人の地からの大いなる破滅の響きを。(54節)
 主がバビロンを荒らして、そこから大いなる声を絶やされるからだ。その波は大水のように鳴りとどろき、その声は鳴りどよめく。(55節)
 荒らす者がバビロンを攻めに来て、その勇士たちは捕えられ、その弓も折られる。主は報復の神で、必ず報復されるからだ。 (56節)
 「わたしは、その首長たちや、知恵ある者、総督や長官、勇士たちを酔わせる。彼らは永遠の眠りについて、目ざめることはない。――その名を万軍の主という王の御告げ――」(57節)

 51章52節から57節の間に、三回も「主の御告げ」と、宣言されているのです。
 これらの厳しいことばは、預言者エレミヤの頭の中で考え出された物ではないからです。
 さらに改めて、次のように言い直されています。

  万軍の主はこう仰せられる。
  「バビロンの広い城壁は、全くくつがえされ、
  その高い門も火で焼かれる。
  国々の民はむなしく労し、
  諸国の民は、ただ火に焼かれるために
  疲れ果てる。」(58節)

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 預言が神のことばであることは、絶対条件です。けれども、彼が本当の預言者かどうかは、イスラエルにおいてさえ、人にはわからないことだったのです。王国時代のイスラエルには、預言者育成学校の様なものも現れ、多くの預言者が現れました。その中には、明らかに偽預言者もいたのです。それをあらかじめ予見していたモーセは、預言と預言者をする者について警告しています。

 預言者が主の名によって語っても、そのことが起らず、実現しないなら、それは主が語られた言葉ではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。(申命記18章22節)

 エレミヤは、バビロンの滅亡を預言しました。とりわけ、51章はゼデキヤの治世の4年(BC594‐593年)に語られ、ゼデキヤがバビロンに行くときに、側近のネリヤに託した巻き物に記された預言だったのです。実際に、バビロンがこの預言のようにメディヤによって滅ぼされるのは、BC539年でしたから、およそ55年後のことでした。恐るべき神の力がエレミヤに臨んでいたのがわかります。

 マフセヤの子ネリヤの子セラヤが、ユダの王ゼデキヤとともに、その治世の第四年に、バビロンへ行くとき、預言者エレミヤがセラヤに命じたことば。そのとき、セラヤは宿営の長であった。(59節)
 エレミヤはバビロンに下るわざわいのすべてを一つの巻き物にしるした。すなわち、バビロンについてこのすべてのことばが書いてあった。(60節)
 エレミヤはセラヤに言った。「あなたがバビロンにはいったときに、これらすべてのことばをよく注意して読み、(61節)
 『主よ。あなたはこの所について、これを滅ぼし、人間から獣に至るまで住むものがないようにし、永遠に荒れ果てさせる、と語られました。』と言い、(62節)
 この書物を読み終わったなら、それに石を結びつけて、ユーフラテス川の中に投げ入れ、(63節)
 『このように、バビロンは沈み、浮かび上がれない。わたしがもたらすわざわいのためだ。彼らは疲れ果てる。』と言いなさい。」ここまでが、エレミヤのことばである (64節)








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