2016年11月02日

エレミヤ書142 ゲダルとハォル王国への審判(エレミヤ49章28節〜33節)



 エレミヤの預言――ユダ王国周辺への神の審判は、どんどん広がっていきます。素朴な聖書読者である私からすると、ゲダルやハツォルの王国にまで言及されているのは何故だろうと考えてしまうのです。彼等も異教徒であり、偶像礼拝者であったでしょう。しかし、イスラエルと深いかかわりがあったとは思えないのです。

 ゲダルは、イシュマエルの子どもにその名が見られます。イシュマエル族の子孫だと考えられています。(創世記25章13節) アモンの東側にありました。しかし、ハツォルは、ガリラヤ湖(キレネテ湖)北部にある同名の町とは別だと解説書にあります。アラビヤのどこかにあったようです。このような遠くの王国にまで、神の審判が下されているのは、たんに、バビロンの拡張が急激で、広範囲に及んだからだけでしょうか。
 結果的には、バビロン(新バビロニヤ)帝国はカナンを呑み込み、ユーフラティス川流域を支配しました。メディヤ王国の家臣アケネメス家のキュロスがメディヤ王国を滅ぼすと、バビロンも滅ぼされ、アケネメス朝ペルシャが誕生します。それは、西はエジプトから東はインダス川の西岸までを領有する一大帝国になったのです。
 このような大波――強国の侵略には、それが、神の審判に用いられるという意味があったと考えられます。

  バビロンの王ネブカデレザルが打ったケダルとハツォルの王国について。主はこう仰せられる。
  「さあ、ケダルへ攻め上り、東の人々を荒らせ。(エレミヤ書49章28節)
  その天幕と羊の群れは奪われ、
  その幕屋もそのすべての器も、
  らくだも、運び去られる。
  人々は彼らに向かって
  『恐れが回りにある。』と叫ぶ。(29節)
  ハツォルの住民よ。逃げよ。遠くへのがれよ。
  深く潜め。――主の御告げ――
  バビロンの王ネブカデレザルは、
  あなたがたに対してはかりごとをめぐらし、
  あなたがたに対して
  たくらみを設けているからだ。(30節)

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  さあ、安心して住んでいるのんきな国に攻め上れ。
  ――主の御告げ――
  そこにはとびらもなく、かんぬきもなく、
  その民は孤立して住んでいる。(31節)

 「安心して住んでいるのんきな国」、このような表現からは、邪悪な国であると想像するのは難しそうです。敵や競合相手が少ないので、無防備である人たちを私などはむしろ、「恵まれた環境にいる良い人」だと位置付けたいのです。
 ところが、そのハツォルを、主は「散らす」「災難を各方面から来させる」と仰せなのです。
「安心して住んでいる」こと、孤立していることが咎められているのでしょうか。

 たしかに、同じような平和な国が滅びた例が聖書にはあります。士師記の時代、カナンの地に相続地を求めていたダン族は、偵察隊をカナンの北に送り、ライシュという町に着いた。そこの住民は、平穏な生活に安心しきっており、もともとの仲間のシドン人とも離れて孤立して住んでいた。そこでダン族は、600人の戦士を送ってその町を奪い取ったのです。(士師記18章7節〜9節、28節)
 このような所業が許されたのは、聖書の物語が「神の救いのご計画」であることを、つねに思い起こさないといけないと思います。
 神の目からごらんになったとき、のどかで無防備である人たちが、「神の御心にかなっている」とは限らないと、警告をされているのではないでしょうか。

  彼らのらくだは獲物に、
  その家畜の群れは分捕り物になる。
  わたしは、こめかみを刈り上げている者たちを
  四方に吹き散らし、
  彼らに災難を各方面から来させる。
  ――主の御告げ――(32節)
  ハツォルはとこしえまでも荒れ果てて、
  ジャッカルの住みかとなり、
  そこに人は住まず、そこに人の子は宿らない。」(33節)






posted by さとうまさこ at 10:44| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする