2016年11月12日

Coffee Breakエレミヤ書151  エルサレムの壊滅(エレミヤ52章15節〜34節)



 侍従長ネブザルアダンは、民の貧民の一部と、町に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した者たちと、残りの群衆を捕え移した。(エレミヤ書52章15節)
 しかし、侍従長ネブザルアダンは、国の貧民の一部を残し、ぶどう作りと農夫とにした。(16節)

 エルサレムのなかで、捕囚に連れ去られなかったのは、貧しい民です。バビロンは自分たちの国に捕え移して「つかえる」有能な人材を選んで連れ去ったのです。そのような人たちは、国を支えている大事な場所で働いているわけですから、ユダ自体を弱体化させるためにも有効な方法でした。このようなことをされたら、どのような国でも二度と立ち上がれないでしょう。

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 読んでいて、胸痛むのは、神殿の破壊です。
 神殿を造るのは、ダビデの悲願でした。信仰の確かなダビデは、自分は高価なレバノン杉の木の家に住み、主の契約の箱が天幕の中にあることに呵責を感じたのです。彼は、神殿建設をしたいと思いましたが、主が預言者ナタンを通じてダビデの計画を止められたのです。(Uサムエル記7章14節〜17節) 神殿建造は息子のソロモンに託されました。ダビデはソロモンのためにたくさんの建築資材や礼拝形式の確立に力を注ぎました。

 ソロモンが神殿建設に取り掛かったのは、ソロモンがイスラエルの王になってから4年目のことでした。(T列王記6章1節)
 それは、ソロモンの第11年目の第八の月に、完成しました。じつに7年の歳月を要した大事業でした。(同37節)

 それが、いかに精魂を傾けた事業だったかがT列王記7章8章全部を通じて、語られています。

 カルデヤ人は、主の宮の青銅の柱と、主の宮にある青銅の車輪つきの台と、海とを砕いて、その青銅をみなバビロンへ運んだ。(17節)
 また、灰つぼ、十能、心切りばさみ、鉢、平皿、奉仕に用いるすべての青銅の器具を奪った。(18節)
 また、侍従長は小鉢、火皿、鉢、灰つぼ、燭台、平皿、水差しなど、純金、純銀のものを奪った。(19節)
 ソロモン王が主の宮のために作った二本の柱、一つの海、車輪つきの台の下にある十二の青銅の牛、これらすべての器具の青銅の重さは、量りきれなかった。(20節)
 その柱は、一本の柱の高さが十八キュビトで、その回りを測るには十二キュビトのひもがいり、その厚さは指四本分で、中は空洞になっていた。(21節)
 その上に青銅の柱頭があり、一つの柱頭の高さは五キュビトであり、柱頭の回りに、網細工とざくろがあって、それもみな青銅で、他の柱もざくろもこれと同様であった。(22節)
 まわりには九十六のざくろがあり、回りの網細工の上には全部で百のざくろがあった。(23節)

 バビロンに持ち去られた神殿の器物、祭祀道具、柱やその装飾品がどのように造られたかは、T列王記6章、7章に克明に記録されています。

 ソロモンが信仰をもって、その国力のすべてを傾けて建設し、細部まで丹念に作り上げげた仕事が異教徒の略奪の対象となって破壊され、たんなる金属の重量、金銀の価値に還元され、持ち去られたのです。
 つぎに、祭司のかしらと次席祭司が取られたとありますが、祭司たるもの、このような神殿への乱暴を見過ごすことはできなかったに違いありません。
 微力ながらも最期の抵抗をする人たちを、バビロンの指揮官は捕えるのです。

 侍従長はさらに、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入口を守る者を捕え、(24節)
 戦士の指揮官であったひとりの宦官と、町にいた王の七人の側近と、一般の人々を徴兵する将軍の書記と、町の中にいた一般の人々六十人を、町から捕え去った。(25節)
 侍従長ネブザルアダンは彼らを捕え、リブラにいるバビロンの王のもとへ連れて行った。(26節)
 バビロンの王は彼らを打ち、ハマテの地のリブラで殺した。こうして、ユダはその国から捕え移された。(27節)
 ネブカデレザルが捕え移した民の数は次のとおり。第七年には、三千二十三人のユダヤ人。(28節)
 ネブカデレザルの第十八年には、エルサレムから八百三十二人。(29節)
 ネブカデレザルの第二十三年には、侍従長ネブザルアダンが、七百四十五人のユダヤ人を捕え移し、その合計は四千六百人であった。(30節)

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 この壊滅的な悲劇にわずかに明かりが見えるのは、エホヤキンが牢獄から出されたというエピソードです。

 ユダの王エホヤキンが捕え移されて三十七年目の第十二の月の二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が即位した年のうちに、ユダの王エホヤキンを釈放し、獄屋から出し、(31節)
 彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。(32節)
 彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。(33節)
 彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。(34節)

 エホヤキンはヨシヤの子エホヤキムの子でした。エホヤキムがバビロンに反逆して殺されたあと、即位しましたが、三カ月でバビロンに攻められて、降伏しています。彼の代の捕囚はとても大がかりでした。王宮の財宝のほとんどと、王族をはじめ、エルサレムの有力者、職人、兵士の多くをバビロンに引いて行きます。(U列王記24章13節〜16節) これは、18歳で即位して三カ月しかならない若い王にとって、たいへん過酷な体験だったはずです。しかし、37年後、彼は獄屋から出され、王にふさわしい待遇を得て余生を送ったとあります。

 エレミヤ書は、壊滅したユダ王国の最後に、小さな希望の光をともして終わっているように思われます。
 イスラエルを「神の選びの民」となさってきた主の憐れみと、未来に託された救い主の約束を当時のエホヤキンが見たかどうかはわかりませんが。

 私たちは、むしろU歴代誌に記された次のことばに注目すべきでしょう。

 これは、エレミヤにより告げられた主の言葉が成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。(U歴代誌36章21節)




posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする