2016年11月15日

Coffee Breakエレミヤ書153  預言者の役割と苦悩(エレミヤ書)



 エレミヤは20歳くらいで預言者として召され(BC627年)、40年以上に亘って預言活動を行ったようです。召されたのは、宗教改革を行なったヨシヤ王の治世の13年ですが、じつは、前途にユダ王国の滅びが迫っている時代でもありました。

 預言者は、神が召されるのですから、最高の権威をバックにしているはずです。ぎゃくに、真に神を恐れる者にとって、そのような指名を受けることは畏れ多いことだったに違いありません。
 エレミヤは、神の召しを固辞するのです。その理由は、彼の若さ、未熟さです。彼は祭司の家系に生まれたようですから、一通りの祭祀儀礼、律法、伝承などに通じていたかもしれませんが、そのような基礎教養では預言者は務まらないと、ひるんだのです。

 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」(エレミヤ書1章5節)
 そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」(6節)

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 聖書は、神のことばですから、しばしば私たちの常識や思い込みに挑戦してくると、さとうも頭ではわかりかけています。
 でも、このように、召し出されたら、だれでも断りたくなるのではないでしょうか。
「若いから無理です」としり込みするエレミヤに、神は、「少しずつ慣れれば良い、やさしいところから始めるから」とはおっしゃいません。

 すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。(7節)
 彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ」(8節)

 どんなところへでも行き、命じられたことを全部語れと仰せなのですから、大変な職務です。徴兵されたばかりの兵士を、最前線の激戦地に送り、その上、士官にも司令官にも、「必要なことを語れ」。彼等の顔を恐れるなと言われるくらいですから、神ご自身、そのミッションが過酷なものであるとわかっておられるのです。
 ふつうの、世の中では、とりわけ、当時のイスラエルの社会では、「白髪の人を尊敬せよ」「上からの権威に従え」は、常識だったと思うのです。「神によって立てられなかった権威はなく・・・」なのです。とうぜん身分や地位の高い人は、若造の預言者の歯に衣着せぬ言葉に、激怒するのです。
 エレミヤは、それを思ったゆえに、震えたことでしょう。

 すると、神は、さらに重い任務を明かされるのです。

 見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる。」(10節)


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 エレミヤ書を読むと、神は事実、その時期、オリエント世界の秩序に抜本的な変化をもたらされ、その大暴風の中でユダ王国のあるべき姿、そのかじ取りを、神のことばとして宣べ伝えさせるのです。
 神の権威と力は絶対ですから、エレミヤは正しく用いられ、預言は実現するのです。
 しかし、預言者ならぬ、王や民に、真実がわかるはずはありません。
 自分に都合の悪いこと、悲観的な未来予想など聞きたくないのが、人間の弱さです。
 事実、偽預言者まで現れて、大勢に迎合する中で、エレミヤが辛酸と苦悩の極みを味わったのは、当然です。
 
 神からの召しを受けた栄誉、その最高の権威を身にまとった人が、地をのたうつように苦しむというパラドックスが預言者の身に現れています。
 エレミヤ書をたどって、預言者という独特の存在に、なぜ聖書でこれほどまで大きくページを割かれているのかと改めて、問う学びでした。
 エレミヤも、やがて来られる主イエスの露払いをしていたのだと、筆者もようやく気が付くのです。






posted by さとうまさこ at 10:54| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする