2016年11月18日

Coffee Breakエレミヤ書・哀歌156  深い悲嘆――主が見放された!(哀歌1章18節〜22節)



  主は正義を行なわれる。
  しかし、私は主の命令に逆らった。
  だが、すべての国々の民よ、聞け。
  私の痛みを見よ。
  私の若い女たちも、若い男たちも、
  とりことなって行った。(哀歌1章18節)
  私は愛する者たちを呼んだのに、
  彼らは私を欺いた。
  私の祭司も長老たちも、町の中で息絶えた。
  気力を取り戻そうとして、
  自分の食物を捜していたときに。(19節)

 改めて、言うまでもないことですが、ここでの主語「私」は、エルサレムのことです。詩人は、エルサレムがあたかも人――詩人自身のように嘆く声を聞くのです。
 神の都エルサレムが凌辱され、崩壊させられて、だれよりも嘆いているのは、エルサレムそのものだったのです。

 エルサレムは、神がお立てになった都ですが、同時に、イスラエルの民が信仰の中心として、彼等の財力や知力のすべてを傾けて建設したのです。神の神殿と神に油注ぎを受けた王をいただいた壮麗な都は、あたかもそれ自体、生きているもののようにイスラエルの民を守っていたはずです。
 民がしばしば偶像を持ち込み、自分たちの神を忘れ、神殿を粗略に扱っている時も、エルサレムは、民の要でした。
 エルサレムは、民の叛きを悲しんでいたかもしれませんが、民はエルサレムの嘆きの声を聞くことはなかったのです。
 けれども、ここにいたって、詩人にはエルサレムの嘆きの声が聞こえました。詩人自身が嘆き、神に祈っていたからでしょう。

  「主よ。ご覧ください。
  私は苦しみ、私のはらわたは煮え返り、
  私の心は私のうちで転倒しています。
  私が逆らい続けたからです。
  外では剣が子を奪い、
  家の中は死のようです。(20節)
  彼らは私のため息を聞いても、
  だれも私を慰めてくれません。
  私の敵はみな、私のわざわいを聞いて、喜びました。
  あなたが、そうなさったからです。
  あなたが、かつて告げられた日を来させてください。
  そうすれば、彼らも私と同じようになるでしょう。(21節)

 「神がかつて告げられた日」とは、エレミヤ書における諸国民に対するさばきの日です。(エレミヤ書25章15節〜26節)

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  彼らのすべての悪を、御前に出させ、
  あなたが、私のすべてのそむきの罪に対して、
  報い返されたように、
  彼らにも報い返してください。
  私のため息は大きく、私の心は痛みます。」(22節)

 神はご自分の民の叛きの罪を裁かれますが、もちろん、神の民でない者の無法に対し、報いを返されるのです。万物を神の義で支配しておられる神が、正義のさばきを行われるのは当然なのです。







posted by さとうまさこ at 11:09| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする