2016年11月23日

Coffee Breakエレミヤ書・哀歌161  荒廃と没落(哀歌3章66節〜4章8節)



 3章で、詩人は「主に立ち帰ろう」と歌いました。主は、悲惨な状況を見ておられるのです。誰が、エルサレムに侵入して来て神殿を破壊し、神聖な器物は宝物を持ち去ったのかをご存知なのだから、主に祈り、主に復讐をしてくださるように願おうと。

  主よ。御怒りをもって彼らを追い、
  天の下から彼らを根絶やしにしてください。」(哀歌3章66節)

 ところが、詩人は、ふたたび悲惨な状況に目を向けて、悲しみに浸っています。

  ああ、金は曇り、美しい黄金は色を変え、
  聖なる石は、あらゆる道ばたに投げ出されている。(哀歌4章1節)
  純金で値踏みされる高価なシオンの子らは、
  ああ、陶器師の手で作られた土のつぼのように
  みなされている。(2節)

 神の都エルサレムの惨状、かつては黄金で輝いていた建物は失われ、シオンに住んでいる民は、誇り高く美しく見える人たちだったのでしょう。たとえば、今日なら、洗練された先進国の大都市にいる人々は、当然ある種の誇りをもっています。意識の高い良い生活は、ほかの民の憧れだったことでしょう。
 ところが、崩壊したエルサレムでは、人々の様子まで見る影もなくやつれてしまうのです。

  ジャッカルさえも乳房をあらわし、
  その子に乳を飲ませるのに、
  私の民の娘は、
  荒野のだちょうのように無慈悲になった。(3節)
  乳飲み子の舌は渇いて上あごにつき、
  幼子たちがパンを求めても、
  それを裂いて彼らにやる者もない。(4節)
  ごちそうを食べていた者は道ばたでしおれ、
  紅の衣で育てられた者は、
  堆肥をかき集めるようになった。(5節)

 だれでもよい暮らしをしている時は、それが永遠に続くように見えます。しかし、戦争で生活がひっくり返され、身分も地位も意味をなさなくなったとき、王女だった者でも物乞いをするかもしれません。

★★★★★

  私の民の娘の咎は、
  人手によらず、たちまちくつがえされた
  ソドムの罪より大きい。(6節)
  そのナジル人は雪よりもきよく、
  乳よりも白かった。
  そのからだは、紅真珠より赤く、
  その姿はサファイヤのようであった。(7節)

 エルサレムが覆されたのは、敵の手によります。一方、ソドムは、天災で滅びました。天災で滅びたソドムの人たちよりイスラエルの民の罪は大きいというのです。それは、イスラエルが神の選びの民であり、すでに律法をもっていて、神の御心を行なうべきだと知っていたのに、それを行なわなかったからです。
 神に人生をささげたはずのナジル人は、聖なる光に輝く存在だったはずです。

  しかし、彼らの顔は、すすよりも黒くなり、
  道ばたでも見分けがつかない。
  彼らの皮膚は干からびて骨につき、
  かわいて枯れ木のようになった。(8節)

 そのナジル人も、道端で転がっている死体と見分けがつかないほどになっていたというのです。





posted by さとうまさこ at 08:59| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする