2016年11月29日

Coffee Breakエレミヤ書・哀歌166  ――主の御告げ――「平安を与える計画」クリスマスを前に



 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ告げ――それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ書29章11節) 

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 教会では、クリスマスの降誕劇の練習が始まっています。救い主が、この世界に来てくださった最初の夜の物語です。ナザレの貧しい若夫婦ヨセフとマリヤが、救い主の両親として選ばれています。臨月のお腹を抱えての旅、その果ての家畜小屋での出産。

 よく知られている物語です。一見平凡な庶民の子の誕生です。それが、神の御計画の実現であることは、天使のお告げを聞いた羊飼いたち、特別の星を見た東方の博士たちが、嬰児(みどりご)の誕生に立ち会いたいと参集することでわかります。
 ヨセフとマリヤは、子どもが、聖霊により授けられた「神の子」であると知っています。
 
 初めてこの物語に接する人は、半信半疑であるかもしれません。なぜ、神はそのような「手の込んだ」ふしぎを行なわれるのだろう。

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 神の御計画は、一見単純で、じっさいには「手が込んで」います。
 アブラハムを召し出された時から、一見単純なのです。「わたしの示す地に行きなさい」という御命令の中にその後の、聖書のメッセージがすべて含まれるかと思えるほどです。神はすべてを「知って」おられるので、人の果たすべき応答は、「ただ、従う」ことであると・・・。

 神に対しては、「従順」が原則であるのは、聖書を読んでいくなかで、嫌でもわかります。
 神に従順である時、神が道を開いて下さり、つぶやくとき、激怒される方であるのも聖書が記す通りです。

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 キリスト者は、イエス様が処女マリヤの胎からお生まれになったことを、無条件に信じます。全能の神はどのようなことでもお出来になるからです。それ以上に、神は、私たちを救おうと、長い間計画を着々と実行してこられたからです。なぜ、私たちのような者を救って下さるのかといえば、それは、神の愛のゆえなのでしょう。また、誠実のためでしょう。

 そのおつもりなら、大洪水で地上をリセットする御力があるダイナミックな神が、小さな弱い、私たち一人ひとりを救おうして人となって来られる、その行き届いた繊細さに感動するのです。
 じつに、人の髪の毛の一本一本までも数えておられる方ならば、それができるでしょう。どれほどの福祉制度やカウンセリング技術や高額な医療も提供できないいやしと平安を与えると、エレミヤ書でも、繰り返されていると思います。

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 キリストご降誕の神秘を、まったく初めて知る方々に納得していただくのは不可能かもしれません。けれども、これをお伝えするのは、神の御命令であると思うのです。
 従順に、熱心に、祈りながら、練習するしかないと教会員たちは、クリスマスの準備にいそしんでいるのです。


   いつもご訪問くださってありがとうございます。
    明日から、エゼキエル書を読みたいと思います。
    至らない文章ですが、引き続き訪問して下さいますように。
    ご教示、ご批判をいただけると感謝です。
 




 

posted by さとうまさこ at 11:15| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする