2016年11月30日

エゼキエル書1、神の顕現に遭うエゼキエル(エゼキエル書1章1節〜28節)



 エゼキエル書の背景は、エレミヤの時代と重なっています。ユダ王国が滅亡に向かうエホアハズからゼデキヤまでの捕囚の時代です。エゼキエル自身、エホヤキン王の時に、捕囚の民に加わってバビロンへ引かれたのです。
 エホヤキン王が捕囚になって5年目とは、BC593年です。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
 註解書によれば、1章1節の冒頭の第30年とは、エゼキエルの年齢です。エゼキエルは祭司でした。レビ人のような神に仕える家系では、神に仕える仕事を始める年齢が30歳だったので、それを意識して記したと考えられます。

 第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。(エゼキエル書1章1節)
 それはエホヤキン王が捕囚となって連れて行かれてから五年目であった。その月の五日に、(2節)
カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。(3節)

 ゲバル川も今では特定できないようですが、ユーフラテス川から灌漑用水として引かれた支流であろうと考えられています。捕囚の民が住むように指定された地で、バビロンの支配地であることには変わりありません。
 ここで、エゼキエルは幻を見るのです。それは、預言者への召しの始まりでした。

 私が見ていると、見よ、激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りながら北から来た。その回りには輝きがあり、火の中央には青銅の輝きのようなものがあった。(4節)
 その中に何か四つの生きもののようなものが現われ、その姿はこうであった。彼らは何か人間のような姿をしていた。(5節)
 彼らはおのおの四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。(6節)

 四つの顔を四つの翼をもつ四つの生き物が、激しい風とともに大きな雲と火の中から現れたのです。荒唐無稽な姿のように思えますが、彼らは「何か人間のような姿をしていた」というのです。

 その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、みがかれた青銅のように輝いていた。(7節)
 その翼の下から人間の手が四方に出ていた。そして、その四つのものの顔と翼は次のようであった。(8節)
 彼らの翼は互いに連なり、彼らが進むときには向きを変えず、おのおの正面に向かってまっすぐ進んだ。(9節)
 彼らの顔かたちは、人間の顔であり、四つとも、右側に獅子の顔があり、四つとも、左側に牛の顔があり、四つとも、うしろに鷲の顔があった。(10節)
 これが彼らの顔であった。彼らの翼は上方に広げられ、それぞれ、二つは互いに連なり、他の二つはおのおののからだをおおっていた。(11節)
 彼らはおのおの前を向いてまっすぐに行き、霊が行かせる所に彼らは行き、行くときには向きを変えなかった。(12節)
 それらの生きもののようなものは、燃える炭のように見え、たいまつのように見え、それが生きものの間を行き来していた。火が輝き、その火から、いなずまが出ていた。(13節)
 それらの生きものは、いなずまのひらめきのように走って行き来していた。(14節)

 この奇怪な姿を再現してみてください。絶対に、地球上には実在しない生きものです。そのことに意味があるのでしょう。

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 私が生きものを見ていると、地の上のそれら四つの生きもののそばに、それぞれ一つずつの輪があった。(15節)
 それらの輪の形と作りは、緑柱石の輝きのようで、四つともよく似ていて、それらの形と作りは、ちょうど、一つの輪が他の輪の中にあるようであった。(16節)
 それらは四方に向かって行き、行くときには、それらは向きを変えなかった。(17節)
 その輪のわくは高くて、恐ろしく、その四つの輪のわくの回りには目がいっぱいついていた。(18節)
 生きものが行くときには、輪もそのそばを行き、生きものが地の上から上がるときには、輪も上がった。(19節)
 これらは霊が行かせる所に行き、霊が行かせる所には、輪もまたそれらとともに上がった。生きものの霊が輪の中にあったからである。(20節)
 生きものが行くときには、輪も行き、生きものが立ち止まるときには、輪も立ち止まり、生きものが地の上から上がるときには、輪も共に上がった。生きものの霊が輪の中にあったからである。(21節)
 生きものの頭の上には、澄んだ水晶のように輝く大空のようなものがあり、彼らの頭の上のほうへ広がっていた。(22節)

 その「生きもの」の動きが描写されています。また、大きさ・高さは青空に届いていたと説明されています。
 動くたびに彼らが放つ音は、陣営の騒音のようであったというのです。つまり、大きな軍隊が移動するときの地響きにも似たものすごい音を立てていたのです。

 その大空の下には、互いにまっすぐに伸ばし合った彼らの翼があり、それぞれ、ほかの二つの翼は、彼らのからだをおおっていた。(23節)
 彼らが進むとき、私は彼らの翼の音を聞いた。それは大水のとどろきのようであり、全能者の声のようであった。それは陣営の騒音のような大きな音で、彼らが立ち止まるときには、その翼を垂れた。(24節)

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 一番大切なのは以下の箇所です。

 彼らの頭の上方の大空から声があると、彼らは立ち止まり、翼を垂れた。(25節)
 彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。(26節)
 私が見ると、その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。(27節)
 その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。(28節)

 エゼキエルは神の顕現に遭遇したのだと思います。
 神は、もとより具体的に姿形をお持ちでないのです。ここでは一応「人間の姿に似たもの」の現れを見ていますが、しかし、それは、「光りと火と輝き」だったのです。輝きの様子は、「雨の日の雲の間にある虹のよう」だったのです。

 エゼキエルは瞬時に、それが神の栄光だと圧倒され、ひれ伏したのです。
 その時、声を聞いたのです。





 

posted by さとうまさこ at 10:51| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする