2017年01月08日

エゼキエル書38 偽預言をあばく方――わたしが主である(エゼキエル書13章10節〜14節)



 実に、彼らは、平安がないのに『平安。』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。(エゼキエル書13章10節)
 しっくいで上塗りする者どもに言え。『それは、すぐはげ落ちる。』大雨が降り注ぎ、わたしが雹を降らせ、激しい風を吹きつける。(11節)
 すると、壁が倒れ落ちる。人々はあなたがたに向かって、『上塗りしたしっくいはどこにあるのか。』と言わないだろうか。(12節)


 私個人も、物事をあまーく楽観的に見たいのです。ニュースでテロ事件を見ても、「日本には来ないだろう」と思いたいのです。多くの人が高齢になると癌や心臓病や卒中になる、認知症になると言われても、気分としては自分だけは例外だと思いたいのです。近くの国が核攻撃をしてくるかもしれないとの危機感も、「これまで戦後70年も平和だったのだから」と、最大限「あまーい」観測を歓迎しているのです。でも、これは人間の中にある、ある防衛本能かもしれません。そこをサタンはついてくるのでしょう。

 王国末期のユダ王国の時代は、今より情報が少なかったでしょう。現実にエルサレムがバビロニア軍に囲まれていても、「エジプトから援軍が来る」と言われば。それを信じる民は大勢いたに違いありません。ヒゼキヤ王の時代に、エルサレムを攻めていた18万5千人が一晩で死ぬ事件があり、アッシリア軍は引き揚げたのです。(U列王記19章35節)さらに、神が敵の侵略を許しておられる理由がイスラエルの家の偶像礼拝であったとしても、それはみんな認めたくなかったのです。多くの民が偶像も拝んでいたからです。
偽預言者は、このような所に付けこんでいたのです。

 ただし、間違った預言はやがて破綻します。時間が経てば、「剥げ落ちるのです」。源氏との大雨の中では「剥げ落ちる」のです。
 預言者を自認して偽りの預言を言う者たちは、人々から「予言と違う」と責められることになる。そのとき、あなたがたはどうするのかと、主は仰せなのです。

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 それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしは、憤って激しい風を吹きつけ、怒って大雨を降り注がせ、憤って雹を降らせて、こわしてしまう。(13節)
 あなたがたがしっくいで上塗りした壁を、わたしが打ちこわし、地に倒してしまうので、その土台までもあばかれてしまう。それが倒れ落ちて、あなたがたがその中で滅びるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。(14節)

 偽預言に対しては、神ご自身が雨を降りそそがせ、雹で壁を叩きつけて、漆喰をはがしてしまうと仰せなのです。
 神の前に、隠れ続けることができる者などありませんから、偽預言者は、けっきょく馬脚を現すのです。
いえ、神様のそのような御業が現れるのです。そのような御業を見て、初めて、神を神。つまり、「わたしが主であることを知ろう」と、思い知らされるのが人間のようです。





posted by さとうまさこ at 08:51| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする