2017年01月09日

エゼキエル書39 「わたしが主であることを知ろう」の試練(エゼキエル書13章15節〜23節)



 わたしは、その壁と、それをしっくいで上塗りした者どもへのわたしの憤りを全うして、あなたがたに言う。壁もなくなり、それにしっくいを塗った者どもも、いなくなった。(エゼキエル書13章15節)
 エルサレムについて預言し、平安がないのに平安の幻を見ていたイスラエルの預言者どもよ。――神である主の御告げ――(16節)


 滅亡寸前であっても、エルサレムで盛んに預言活動が行なわれていました。滅亡寸前である危機の時代だから、なお予言の需要があったのでしょう。彼ら偽預言者を断罪され神は、次は、その中の女預言者について語ります。

 人の子よ。自分の心のままに預言するあなたの民の娘たちに、あなたの顔を向け、彼らに預言して、(17節)


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 言え。神である主はこう仰せられる。みなの手首に呪法のひもを縫い合わせ、あらゆる高さの頭に合うようにベールを作って、人々をわなにかける女たちにわざわいが来る。あなたがたは、わたしの民である人々をわなにかけて、自分たちのために人々を生かしているのだ。(18節)

 この箇所の具体的な様子や意味はよくわかりません。註解書にもよくわからないと書いてありますので、さとうは、ほっとしています。
 部屋の作りを神秘的にしたり、異形の服装をしたり、意味不明の儀式が返って意味深に見えたりする、そういう人間の錯覚を利用するのは、昔も今も「占い師」のやり方だったのですね。

 あなたがたは、ひとつかみの大麦のため、少しばかりのパンのために、まやかしに聞き従うわたしの民にまやかしを行ない、死んではならない者たちを死なせ、生きてはならない者たちを生かして、わたしの民のうちでわたしを汚した。 (19節)

 ワラにもすがりたい人々に偽予言を行なう者のほとんどは、生計のためです。お金を取らない占い師などいません。今日では、ネットやマスコミを通じて、名声を自分で作り上げて、ギャラを吊り上げるという自作自演の占い師がほとんでです。しかし、占いや口寄せは、神が禁じておられることなのです。本来、預言は神が語られることだけを語るものです。神が語っておられないことはどれほど真実に見えてもいつわりです。そして、そこに必ず悪魔が介入してくるのです。

 それゆえ、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、あなたがたが、人々を鳥を取るようにわなをかけたのろいのひもに立ち向かう。それらをあなたがたの腕からもぎ取り、あなたがたが鳥を取るようにわなにかけた人々を、わたしが放す。(20節)

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 わたしは、あなたがたのベールをはがし、わたしの民をあなたがたの手から救い出す。わなにかかった者たちは、もうあなたがたの手のうちにいなくなる。このとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。(21節)

これは、偽預言者たちの預言がことごとく外れて、彼らの「化けの皮」がはがれるときのことです。偽預言者たちは恥を見、人々は、「わたしが主であることを知ろう」と預言したエゼキエルの正しさに気が付くのです。

 あなたがたは、わたしが悲しませなかったのに、正しい人の心を偽りで悲しませ、悪者を力づけ、彼が悪の道から立ち返って生きるようにしなかった。(22節)

 この言葉は、偽預言や占いをする女たちも一応「主」を恐れていたことを証ししています。主を信じていながら、人を欺いていたのです。
これはある意味、異教徒が人びとを欺くより深刻です。
こんなことを、現代の教会にあてはめたくはないですが、気をつけないと今日にも適用できるような気がします。牧師や伝道者やりっぱな信徒が、すばらしい祈りをするような「高い」信仰者が、人々を偽りで悲しませ、悪者を力づけるようなことがあり得るかもしれないのです。

それゆえ、あなたがたは、もう、むなしい幻も見ることができず、占いもできなくなる。わたしは、わたしの民をあなたがたの手から救い出す。このとき、あなたがたは、わた
しが主であることを知ろう。」(23節)

 結果的に、正しい預言者を選ばれている「主」を知ることになるとしても、それは大変な試練の回り道ではないでしょうか。





posted by さとうまさこ at 10:56| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする