2017年01月16日

エゼキエル書46 アブラハムに「生きよ」と声を掛けて下さった主(エゼキエル書16章1節〜6節)




 ついで、私に次のような主のことばがあった。(エゼキエル書16章1節)
 「人の子よ。エルサレムにその忌みきらうべきわざをよく知らせて、(2節)

 神は、エゼキエルに、捕囚のユダヤ人に、イスラエル民族の始まりから告げるよう語られます。この章はとても長いのです。この諭は、ある意味古典的な態度です。日本でも、もしある青年が悪に染まって親族や警察のやっかいになるようなことがあれば、言ったのです。「お前のしたことは、こんなに悪いことだ。おまえは、自分がどれほどの親や周囲の大人の恩を受けて育ったか考えてみろ」
 親と神さまでは、もちろん、比較するのもはばかられるのですが、そもそも裸の赤子状態であったところから、彼の命の歴史を話すのは、とても適切です。

 言え。神である主はエルサレムについてこう仰せられる。あなたの起こりと、あなたの生まれはカナン人の地である。あなたの父はエモリ人、あなたの母はヘテ人であった。(3節)

 神の大きな怒りを買ったイスラエル民族に対して、ここでは、彼らの始祖アブラハムから話を始めています。
 アブラハムは、神の召しを受けて、ハランからカナンに出て来たのですが、それは生まれ落ちたばかりの赤ん坊と同じだったというのです。

 あなたの生まれは、あなたが生まれた日に、へその緒を切る者もなく、水で洗ってきよめる者もなく、塩でこする者もなく、布で包んでくれる者もいなかった。(4節)
 だれもあなたを惜しまず、これらの事の一つでもあなたにしてやって、あなたにあわれみをかけようともしなかった。あなたの生まれた日に、あなたはきらわれて、野原に捨てられた。(5節)

 これは、あるいは、創世記12章以前、11章との間に、聖書にはあえて書かれていないアブラハムの来歴を語っているのかもしれないと、思わず、深読みしてしまいます。
 アブラハムがハランから出て来たとき、じつは、ハランでは彼の居場所がなくなるようないさかいでもあったのかもしれません。
 父の家を離れたアブラハムは、捨てられた赤ん坊同然だったのを、主が声をお掛けになったのかもしれません。その時、アブラハムがいかに弱々しく、みじめな状態だったかをたとえているような気がします。イスラエルの始まりは、このような瀕死の状態だったと、主はあらためて告げておられるのではないでしょうか。

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 わたしがあなたのそばを通りかかったとき、あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、血に染まっているあなたに、『生きよ。』と言い、血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ。』と言った。(6節)

 そう。「生きよ」と仰せになったのです。神様はあわれみ深い方で、捨てられて者を拾い上げて下さる方なのですから、行き先に迷っている一人の遊牧民に、声を掛けて行き先を示されたと仮定するのはどうでしょう。

 アブラハムは、ただ、その神の声を聞いて素直に、カナンにやって来たのに違いありません。そこは、先住民、カナン人やヘテ人がいたのですが、彼は、祭壇を築きました。(創世記12章4節〜7節)









posted by さとうまさこ at 10:49| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする