2017年01月18日

エゼキエル書48 姦淫と不倫(エゼキエル書16章15節〜21節)



 ところが、あなたは、自分の美しさに拠り頼み、自分の名声を利用して姦淫を行ない、通りかかる人があれば、だれにでも身を任せて姦淫をした。(エゼキエル書16章15節)

 イスラエルと神との関係は、結婚契約に譬えられているため、聖書には、思いのほか多くの、男女関係のたとえが出てきます。それらは、たとえというより、男女関係のみだらさ、あからさまのほのめかしと言えるほどです。これは、新約聖書のイエス様の血の贖い、つまり、「神の聖」に触れて入信した、キリスト者を戸惑わせるのではないでしょうか。
 しかし、神が、イスラエルの民とご自分の関係を結婚に象徴させられたのは、それが、当時、神のことばを人に語りかけるのに、一番わかりやすい解き明かしだったとも言えます。

 聖書が与えられた当時のイスラエルの民は、今日のような学問用語、勉学や議論のために抽象的なことばを使う習慣もなかったでしょう。旧約聖書自体が、ですから、たとえ話の集大成と言ってもよいほどではないでしょうか。
 そして、結婚を一番破壊する要素は、「姦淫」だったわけです。
 今では、まるで、「不倫」を美しいドラマのように煽る風潮もあるのですが、じっさいは、親密な関係を壊さない不倫などないはずです。

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 あなたはまた、自分の衣服のいくらかを取り出して、自分のために、まだらに色どった高き所を造り、その上で姦淫を行なった。こんな事はあったことがなく、あってはならないことだ。(16節)
 あなたは、わたしが与えた金や銀の美しい品々を取って、自分のために男の像を造り、それと姦淫を行なった。(17節)

 今日、不倫がさほど罪だと思われない理由の一つに、女性の経済的自立があるかもしれません。聖書が語られた時代は、女性はほとんど夫に養われていたわけですから、夫が与えた者を、ほかの男との姦淫のために使うのは、たしかに、それだけでも、非難されるべきことです。

 あなたはまた、あや織りの着物を取って、それをおおい、わたしの油と、わたしの香とをその前にささげた。(18節)
 あなたは、わたしが与えたわたしのパンや、あなたに食べさせた上等の小麦粉や、油や、蜜までも、その前にささげてなだめのかおりとした。そうしたのだ。――神である主の御告げ――(19節)

 夫から与えられた住まい、着物、食べ物を、姦淫に使うことに、怒らない夫がいるでしょうか。
さらに、神は、「最悪の背信」を上げられます

 あなたはまた、わたしのために産んだ自分の息子や娘たちを取り、その像にいけにえとしてささげて食べさせた。あなたの姦淫はささいなことだろうか。(20節)
 あなたは、わたしの子どもたちを殺し、これを焼いて、ささげ物とした。(21節)

 これは、じっさいに、モレクやアシュタロテなどの偶像礼拝の儀式に、子供をいけにえとしてささげたことを上げているそうです。
 いまとなっては信じがたいことですが、子供に人権などなかった時代です。
 とはいえ、もちろん、ここで、主・神が仰せになっているのは、神との関係で生みだした多くの「子――いのち」を平気で、異教の祭壇で焼くような行為だったと言えるのではないでしょうか。







posted by さとうまさこ at 09:58| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする