2017年01月24日

エゼキエル書54 二羽の大鷲の間でこころが揺れるとき(エゼキエル書17章7節〜16節)



 さて、もう一羽の大きな翼と豊かな羽毛を持つ大鷲がいた。見よ。このぶどうの木は、潤いを得るために、根を、その鷲のほうに向けて伸ばし、その枝を、自分が植わっている所から、その鷲のほうに伸ばした。(エゼキエル書17章7節)
 このぶどうの木は、枝を伸ばし、実を結び、みごとなぶどうの木となるために、水の豊かな良い地に植えつけられていた。(8節)

 イスラエル(ユダ王国)をはさんだ二つの大国、東のバビロンのたとえのあとは、西のエジプトです。ぶどうの木は、もちろんユダ王国です。このぶどうの木は、一羽の鷲の下にいたのに、もう一羽の鷲の大きな羽の下にも枝を伸ばすのです。
 これは、主の目からごらんになって正しいあり方ではありませんでした。
ですから、次のように仰せになるのです。

 神である主はこう仰せられると言え。それは栄えている。しかし、主はその根を抜き取り、その実を摘み取り、芽のついた若枝をことごとく枯らしてしまわないだろうか。それは枯れる。それを根こそぎ引き抜くのに、大きな力や多くの軍勢を必要としない。(9節)

 主は、もう一方の大きな鷲に枝を伸ばしたぶどうを、その根から抜き取り、身を摘み取り、若枝をことごとく枯らすと仰せなのです。

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 見よ。それが移し植えられたら、栄えるだろうか。東風がそれに吹きつけると、それはすっかり枯れてしまわないだろうか。その芽を出した苗床で、それは枯れてしまう。」(10節)

 主がこのように言われるということは、末期のユダ王国に対する神の御意思がどこにあるかを示しています。
 私たちがよさそうに見える二つの選択肢で迷うとき、人の知恵で考えぬいても正しくないことが多いのでしょう。人はその初めから相争う者ですから、戦争や対立をどこまで遡っても正解は得られません。またどれほど先を読んでも正しい答えなど出ません。バビロンに支配されそうなユダ王国の王や首長たちは、完全な独立、安全保障を自分たちの知恵で勝ち取ろうと画策していたのです。しかし、大切なのは、彼らの不安定が、もともと、大国の横暴から来たのではなく、イスラエル人が偶像礼拝に迷ったことから来ていると思い知ることでした。

 次のような主のことばが私にあった。(11節)
 さあ、反逆の家に言え。これらがどういうことなのか、あなたがたは知らないのか。言え。見よ。バビロンの王がエルサレムに来て、その王とその首長たちを捕え、バビロンの自分のところへ彼らを連れて行った。(12節)
 そして彼は王族のひとりを選んで、その者と契約を結び、忠誠を誓わせた。バビロンの王はこの国のおもだった者たちも連れ去っていた。(13節)
 それは、この王国を低くして、立ち上がれないようにし、その契約を守らせて、仕えさせるためであった。(14節)
 ところが、彼はバビロンの王に反逆し、使者をエジプトに送り、馬と多くの軍勢を得ようとした。そんなことをして彼は成功するだろうか。助かるだろうか。契約を破って罰を免れるだろうか。(15節)

 これは、U列王記24章25章に書かれている出来事――ヨシヤ王の子エホヤキムから、エホヤキンを経て、最後の王ゼデキヤまでのユダ王国に対する預言です。
 バビロンによって立てられたゼデキヤが、バビロンを裏切りエジプトの援軍を恃んだのです。ゼデキヤとバビロンの王との契約は人間同士の出来事ですが、神は、ここでは、そのような「道義に反する行い」を咎めておられるのです。この時、歴史を支配される神の御心は、「神の民」ユダがバビロン捕囚となり、70年後に帰還するというシナリオを決めておられたからではないでしょうか。

 わたしは生きている、――神である主の御告げ――彼は、自分を王位につけた王の住む所、彼が誓いをさげすみ、契約を破ったその相手の王の住む所、バビロンで必ず死ぬ。(16節)



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posted by さとうまさこ at 10:24| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする