2017年02月03日

エゼキエル書63 イスラエルの家は荒野でわたしに逆らい、わたしのおきてに従って歩まず(エゼキエル書20章13節〜20節)



 それなのに、イスラエルの家は荒野でわたしに逆らい、わたしのおきてに従って歩まず、それを行なえば生きることのできるそのわたしの定めをもないがしろにし、わたしの安息日をひどく汚した。だから、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを絶ち滅ぼそうと考えた。(エゼキエル書20章13節)
しかし、わたしはわたしの名のために、彼らを連れ出すのを見ていた諸国の民の目の前でわたしの名を汚そうとはしなかった。(14節)
 だが、わたしは、わたしが与えた、乳と蜜の流れる地、どの地よりも麗しい地に彼らを導き入れないと荒野で彼らに誓った。(15節)
 それは、彼らがわたしの定めをないがしろにし、わたしのおきてを踏み行なわず、わたしの安息日を汚したからだ。それほど彼らの心は偶像を慕っていた。(16節)
 それでも、わたしは彼らを惜しんで、滅ぼさず、わたしは荒野で彼らを絶やさなかった。(17節)

 荒野の40年は、イスラエルの民の最初の訓練期間であったと読めます。出エジプトからシナイまで、二カ月ほどの行程でたどりついたイスラエルの民は、シナイ山で、主から十戒を授かるのです。これは、今日の時間感覚から考えても、異例の速さではないでしょうか。いくら、神様がすでに定めておられたことだったとしても、長い間奴隷生活をしていた民が、「神の選びの民」としてその役割を従順に間違いなく果たせるでしょうか。
 律法を厳格に守り行い、すべての民で「神の国イスラエル」の秩序を確かに築き上げていかなければならない。その理由は、神が「なんの見るべきところもなかった民を、わざわざ選びだして下さり、その栄光の働き」のために取り立てて下さったからです。彼らは、神の栄光を現わすために、選ばれたはずなのです。

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 荒野の40年の記録は、カナンに導くと仰せの神の御心を理解しないイスラエルの民が、何度も神に叛いて、神の怒りを招く出来事の連続です。
 安息日を守らなくて、石打になった者もいました。
 水や食べ物が枯渇して来ると、モーセに詰め寄り、エジプトに戻ろうと言い出したのです。はては、「神は、この荒野で飢え死にさせるために自分たちをエジプトから連れ出したのだろう」と、モーセに食ってかかりました。
 マナをいただくようになると、今度はその採取のおきてを破って、安息日にも集める者が出て来ました。

 もっと悪いのは、偶像を造って拝んだことでした。それは、神が十戒を下さったその直後に起りました。シナイ山に上って行ったモーセが、40日40夜山にこもっていた間、民はモーセの帰りを待てず、アロンに迫って金の小牛を作らせました。(出エジプト記32章〜)

 わたしは彼らの子どもたちに荒野で言った。『あなたがたの父たちのおきてに従って歩むな。彼らのならわしを守るな。彼らの偶像で身を汚すな。(18節)
 わたしがあなたがたの神、主である。わたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行なえ。(19節)
 また、わたしの安息日をきよく保て。これをわたしとあなたがたとの間のしるしとし、わたしがあなたがたの神、主であることを知れ。』と。(20節)








posted by さとうまさこ at 10:10| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする