2017年02月09日

エゼキエル書68 ネゲブの森とイスラエル(エゼキエル書20章45節〜49節)



 さらに、私に次のような主のことばがあった。(エゼキエル書20章45節)
 「人の子よ。顔を右のほうに向け、南に向かって語りかけ、ネゲブの野の森に向かって預言し、(46節)

 創世記12章以降、ネゲブという地名は聖書にたくさん記されています。アブラハム(アブラム)は、父の家と別れてカナンにやって来たとき、最初、シェケムに入ったと書かれています。(創世記12章6節) その時、主が顕現されアブラハムに仰せになったのです。
 「あなたの子孫にわたしはこの地を与える。」
 アブラハムは自分に現れて下さった主のためにそこに祭壇を築いた
のです。

 アブラハムは、その後南下してベテルの東に天幕を張りました。また、主のためにその地でも、祭壇を築き主のために祈ったと記されています。(同8節)

 そのころ、カナンはアブラハムにとって「約束の地」になったのは疑いようのない事実です。しかし、まだ、彼らの一族はよそ者だったのでしょう。アブラハムは、そこからさらに南下するのです。

 それから、アブラハムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。(同9節)

 これがネゲブが聖書に初出する箇所です。ネゲブは特定の町ではなく、草原でした。その先は、もうツインの荒野なのです。
 牧草地と本拠地を求めて、アブラハムはカナンを縦断したのです。ところが、そこで飢饉が起り、アブラハムをエジプトに行かせることになったのです。エジプトでは、有名な話、アブラハムが妻サライ(サラ)を妹だと偽る事件が起こります。(同11節〜15節)
 案の定、サラの美しさがパロの目に留まって、サラはエジプト王の宮殿に召されてしまいます。しかし、人妻がべつの男に召されたこの事件で罰を受けたのは、偽ったアブラハムではなく、パロでした。(16節〜20節)
 ところが、これもアブラハムには、祝福される結果となりました。パロは、多くの財産と共にアブラハムをエジプトから追い払ったからです。

 アブラハムは、カナンの新参者牧畜民としてではなく、多くの家畜や使用人や財産をもった有力な族長として、カナンに戻ってくるのです。

★★★★★

 最初、なにげない地名として登場してくるネゲブですが、たいへん大きな意味が会ったのだとわかります。ネゲブが飢饉にならなかったら、アブラハムはエジプトに行かず、エジプトに行かなかったら、豊かな遊牧民になることもありませんでした。

 主は、エゼキエルに対して、ネゲブの方向に向かい、預言をせよと命じられました。

 ネゲブの森に言え。『主のことばを聞け。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしはおまえのうちに火をつける。その火はおまえのうち、すべての緑の木と、すべての枯れ木を焼き尽くす。その燃える炎は消されず、ネゲブから北まですべての地面は焼かれてしまう。(47節)

 主は、アブラハムを名のある族長にしたネゲブの飢饉、これを思い出させようとされています。今度は、ネゲブは燃え、その火は消えないという預言です。これは、何を意味しているのでしょう。捕囚の民の中に、バビロンに捕らわれていてもエジプトからの援軍を当てにしている者がまだまだいたのでしょう。しかし、イスラエルの民はエジプトへ行くことはできない。途中の道は火が燃えているのです。
 もちろん、かつて飢饉でアブラハムをエジプトに追いやられたのが、主であったように、ここでエジプトへの道を立たれるのも、主であると、主は知らしめられているのです。

 そのとき、すべての者は、主であるわたしが燃やしたことを見るであろう。その火は消されない。』」(48節)

 そのような厳しい預言をした結果は、エゼキエルには苦いものでした。民は信じなかったのです。

 そこで、私は叫んだ。「ああ、神、主よ。彼らは私について、『彼はたとえ話をくり返している者ではないか。』と言っています。」(49節)








posted by さとうまさこ at 10:57| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする