2017年02月10日

エゼキエル書69 イスラエルの地に向かって預言せよ(エゼキエル書21章1節〜7節)



 エゼキエルに、「ネゲブの森を焼き尽くす」と言われる主は、つぎにもっと具体的な場所を特定されて命じられます。

 次のような主のことばが私にあった。(エゼキエル書21章1節)
 「人の子よ。顔をエルサレムに向け、聖所に向かって語りかけよ。イスラエルの地に向かって預言せよ。(2節)

 エルサレムは、ユダの人々にとっては、いわば「最後の砦」です。そこは神ご自身の都であり、エルサレムがあるゆえに、イスラエル(ユダ王国)は神の国であるはずです。正義はエルサレムにあり、ですから、いわゆる「錦の御旗」も、神の民にあるのです。
 エルサレムと聞いたら、ユダヤ人はみな思わず頭を深く下げたのではないでしょうか。いまの私たちなら、「神さま」「イエスさま」「主」といったことばで、思わず首を垂れるのですが、同じことです。

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 どのような託宣が下るのだろうと、だれもが思わず威儀を正したでしょうか。
 それは、思いもかけない厳しいお言葉でした。

 イスラエルの地に言え。『主はこう仰せられる。今、わたしはあなたに立ち向かう。わたしは剣をさやから抜き、あなたのうちから、正しい者も悪者も断ち滅ぼす。(3節)
 わたしがあなたのうちから、正しい者も悪者も断ち滅ぼすために、わたしの剣はさやを離れて、ネゲブから北まですべての者に立ち向かう。(4節)

 ユダの人々にとっては、頼みの綱――最後のよりどころである「主」「アブラハム、イサク、ヤコブの神」ご自身が、剣を抜いて「あなた」に立ち向かうと仰せなのです。あなたとは、イスラエルの民――捕囚となっている民とまだエルサレムに残されている民です。
 バビロンを滅ぼすと言って下さるのではなく、主はご自分の民を打つために剣をさやから抜いたのです。ユダの南――ネゲブだけではなく、北、もともとのイスラエルの全土のすべてのものに立ち向かうとの宣告です。

 どうしてこんな恐ろしいことになったのでしょう。前章の最後にエゼキエルが訴えていることば――民がエゼキエルを嘲ってその預言を「たとえ」だと言った態度に答えておられるのではないでしょうか。
エゼキエルに預言を求めに来た長老たちは、神を嘲るつもりはもとよりありませんでした。しかし、預言が自分たちの意に沿わない内容だったので、彼らはエゼキエルが「神の預言者」であることを、たちまち忘れたような発言をしたのです。自己中心の彼らは、本当の意味では、神を恐れていなかったのかもしれません。

 さらに、峻厳な宣告は続きます。

 このとき、すべての者は、主であるわたしが剣をさやから抜いたことを知ろう。剣はもう、さやに納められない。』(5節)
 人の子よ。嘆け。彼らが見ているところで腰が砕けるほど激しく嘆け。(6節)
 彼らがあなたに、『なぜあなたは嘆くのか。』と言うなら、そのとき、あなたは言え。『この知らせのためだ。それが来ると、すべての者は心がしなえ、すべての者は気力を失い、みな意気消沈し、だれのひざも震える。今、それが来る。それは実現する。・・神である主の御告げ。・・』」(7節)









posted by さとうまさこ at 10:16| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする