2017年02月13日

エゼキエル書72 二つの道の分岐点を示す(エゼキエル書21章18節〜22節)



 ついで、私に次のような主のことばがあった。(エゼキエル書21節18節)
 「人の子よ。バビロンの王の剣が来るために、二つの道にしるしをつけ、二つとも一つの国から出るようにせよ。町に向かう道の始まりに一つの道しるべを刻みつけておけ。(19節)

 今回の預言は、一種の行為による預言だろうと、注解書に解説があります。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
 この時代の背景としては、エゼキエルなど第二次捕囚となっている時代に、まだユダ王国は存在しています。エホヤキンが連れ去られた後に、バビロンは、エホヤキンのおじマタヌヤをゼデキヤと改めさせ、ユダ王国の王としました。その時に、契約を結んだのです。(U列王記24章17節)
 ですから、ユダの人々はエルサレムが攻められユダ王国が滅ぼされるといった預言は信じられないのです。それゆえ、神はエゼキエルにより具体的な形での預言をお命じになったと思われます。

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 剣がアモン人のラバか、ユダ、すなわち、城壁のあるエルサレムに行けるように道にしるしをつけておけ。(20節)
 バビロンの王は、道の分かれ目、二つの道の辻に立って占いをしよう。彼は矢を振り混ぜて、テラフィムに伺いを立て、肝を調べる。(21節)
 彼の右の手にエルサレムへの占いが当たり、彼は城壁くずしを配置し、虐殺を命じて口を開き、叫び声をあげて、城壁くずしを門に向かわせ、塹壕を掘り、塁を築く。(22節)

 この時、バビロンの王ネブカデネザルは、ユダとアモンのどちらを攻めようかとまだ迷っていたようです。その分岐点にしるしをつけておくようにと主は、エゼキエルにお命じになっているのです。
 ネブカデレザルは道の分岐点に来て占いをします。テラフィムは、創世記にも出てくるいわば氏神用の偶像です。肝は動物の肝ですが、その色や状態を見てで占ったのでしょう。
 ところが、この時に占いはことごとく、ユダへの道を示していたのです。神が、占いを通して御意思を示されたからです。

 このようにして、エルサレムは、バビロン軍に包囲されることになります。城壁崩しや、塹壕や塁は、すべて城攻めの手段です。








posted by さとうまさこ at 11:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする