2017年02月16日

エゼキエル書75 忌み嫌うべきわざを告発する。(エゼキエル書22章1節〜12節)



 次のような主のことばが私にあった。(エゼキエル書22章1節)
 「人の子よ。あなたはさばくのか。この流血の町をさばくのか。それなら、これにその忌みきらうべきわざを残らず知らせ、(2節)


 「流血の町」はエルサレムを意味するのでしょう。「さばくのか」と質問の形になっていますが、それは強調の意味でしょうか。さばくのなら、徹底的に裁くように促しておられるのでしょう。

 神である主はこう仰せられる、と言え。自分の中で血を流して、自分の刑罰の時を招き、自分の町に偶像を造って自分を汚す町よ。(3節)

 神がさばいておられるのは、「自分の町」「自分を汚す町」です。ここでは、イスラエルの民、エルサレムの住民、エルサレムが同じ罪の上に断罪されています。それらは、次には「終え」と呼ばれています。

 おまえは自分の流した血で罪に定められ、自分の造った偶像で身を汚し、自分の刑罰の日を近づかせ、自分の刑罰の年を来させた。だから、わたしはおまえを諸国の民のそしりとし、すべての国の笑いぐさとする。(4節)
 おまえの近くにいる者も、遠くにいる者も、名の汚れた、ひどくかき乱されたおまえをあざ笑う。(5節)

 かつては、神の国の都だったエルサレム、ユダの人の拠り所だった神の都が、すでに「罪に定められている」のです。それは、エルサレム自身がすでに偶像礼拝で「身を汚した」からです。実際には、ユダの王や長老や民が行なったことですが、それゆえ,エルサレムの栄光と神聖さはすっかり取り去られ、刑罰を受けているのです。
 そのような変質と荒廃とを、諸国の民が笑いものにしているのです。

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 さらに、主は、彼らの罪を具体的に告発されています。

 見よ。イスラエルの君主たちはみな、おまえの中で暴力をふるって血を流している。(6節)
 おまえの中では、父や母は軽んじられ、おまえのところにいる在留異国人は虐待され、おまえの中にいるみなしごや、やもめはしいたげられている。(7節)

 父母を軽んじるのは、十戒の第5の戒めへの違反です。在留異国人や孤児、やもめへの虐待は、出エジプト記22章20節21節への違反です。

 おまえはわたしの聖なるものをさげすみ、わたしの安息日を汚した。(8節)

 安息日も、十戒の4番目の戒めです。(出エジプト記20章8節) これらの戒めは、シナイで神の民として、主から契約をいただいたとき、イスラエルが守る原則でした。
 さらに、契約の民として与えられた律法をイスラエルの民がないがしろにしてきたことが列挙されるのです

 おまえのうちのある者たちは、血を流そうと他人を中傷し、ある者は丘の上で食事をし、おまえの中でみだらなことをした。(9節)
 おまえの中では父が裸をあらわされ、おまえの中では、さわりのある女が犯された。(10節)
 ある者は隣人の妻と忌みきらうべきことをし、またある者は嫁とみだらなことをして身を汚し、ある者はおまえの中で、自分の父の娘である自分の姉妹をはずかしめた。(11節)
 おまえの中では、血を流すためにわいろが使われ、おまえは利息と高利を取り、隣人を虐待して利得をむさぼった。おまえはわたしを忘れた。――神である主の御告げ――(12節)









posted by さとうまさこ at 10:55| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする