2017年02月25日

エゼキエル書84 あなたがたはあなたがたの偶像の罪の罰を負わなければならない。(エゼキエル書23章45節〜49節、)



 しかし、正しい人たちは、姦通した女に下す罰と殺人をした女に下す罰で彼らをさばく。彼女たちが姦通し、彼女たちの手が血に染まっているからだ。」(エゼキエル書23章45節)

 多くの男たちが、オホラとオホリバと姦通するためにやってきたのです。しかし、中には、彼女たちとの姦通が目的ではなく、彼女たちを罰するためにやって来る者もいるのです。
 主は、バビロンの軍が攻め上って来ると仰せになっています。それは、ネブカデレザルの意思やバビロンの戦略である以上に、「主のみこころ」なのです。バビロンにエルサレムを攻め上らせたのは主ご自身なのです。

 まことに神である主はこう仰せられる。「わたしは一つの集団を彼らに向けて攻め上らせ、彼女たちを人々のおののきとし、えじきとする。(46節)
 集団は彼女たちを石で打ち殺し、剣で切り倒し、その息子や娘たちを殺し、その家々を火で焼き払おう。(47節)

 主は、ご自分の民だけではなく、直接はご自分を拝んでいない異邦の民にも働きかけることがお出来になります。まことに、主は全世界の所有者であられ、支配者であられるのは、創世記のはじめから記されているとおりです。(創世記1章1節)
 イスラエル王国末期の紀元前7世紀〜6世紀には、中東であっても異邦の神を拝み、偶像礼拝をしている者の方が圧倒的に多かったでしょう。しかし、彼らに自覚はなくても、異邦人もまた、ヤーウエ――「わたしはある」と自己紹介された、創造主(造り主)の支配のもとにあるのです。(出エジプト記3章14節)

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 わたしはこの地からみだらな行ないをやめさせる。すべての女たちは自分自身を戒めて、あなたがたがしたような、みだらな行ないをしなくなる。(48節)
 あなたがたのみだらな行ないの報いはあなたがたの上に下り、あなたがたはあなたがたの偶像の罪の罰を負わなければならない。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。」(49節)

 じっさい、国の崩壊、エルサレムの壊滅の後、捕囚を経験しなければならなかったイスラエルの民は、自分たちの過ちに気付いて行くのです。悔い改め、信仰の原点に返って、自分たちの主が自分たちを生かして下さっていたことに気が付くのです。
 つまり、「あなたがたは、わたしが神、主であることを知るであろう」との預言のとおりになって行くのです。

     ※聖書は、新改訳聖書を使っています。






posted by さとうまさこ at 09:48| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする