2017年04月16日

エゼキエル書133 復活



 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
 そして、週の始めの日の早朝、日が上ったとき、墓についた。
 彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていた。
 ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでに転がしてあった。
 それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長いころもをまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。
 青年は言った。「驚いては行けません。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。(マルコの福音書16章1節~6節)

 クリスチャンの喜びは、「死んでも生きる」と約束されていることです。復活して、永遠に生きることです。それは、主イエスが、みずから墓から甦られたことで、知るのです。

 今日はイースターです。
 感謝して、この記念日を噛みしめたいと思います。




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2017年04月17日

エゼキエル書134 人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して言え(エゼキエル書38章1節~9節)



 エゼキエル書の預言は、時間的にも空間的にも、もちろん霊的にもとても大きな広がりを持つ世界の出来事に及んでいます。たんに捕囚の民が祈念するイスラエルの回復だけではなく、いつかお出でになるダビデの末――メシヤが下さる「平和の契約(37章26節)」で、新約時代の到来にも言及されています。
 ところが、預言はそこでおしまいにならないのです。

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 さらに、私に次のような主のことばがあった。(エゼキエル書38章1節)
 「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、(2節)
 言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。(3節)

 メシェクやトバル、マゴグは、創世記10章2節3節にノアの息子ヤベデの子孫として、名前が挙がっています。また、黙示録では、20章に「地の四方にある諸国の民」として、出てきます。イスラエルに敵対したイスラエルの周辺の地よりもっと広い世界の未知の民の代名詞ではないかと思うのです。(新実用聖書注解・いのちのことば社によると、メシェクとトバルは、小アジヤ地方のことです。)
 これは、イスラエルを取り囲む地方の王への預言となっています。
 神が、これらの国々に立ち向かうと仰せなのです。

 わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ(4節)。

 しかし、神が「立ち向かう」のは、これらの国々を直ちに滅ぼされるためではなさそうです。むしろ、出陣命令です。

 ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。(5節)
 ゴメルと、そのすべての軍隊、北の果てのベテ・トガルマと、そのすべての軍隊、それに多くの国々の民があなたとともにいる。(6節)
 備えをせよ。あなたも、あなたのところに集められた全集団も備えをせよ。あなたは彼らを監督せよ。(7節)

 これは、終末(黙示録)を知らなければ意味が解らないような箇所です。
 ゴグ、マゴグを中心とする多くの国々が、なんと、終わりの年に一つの国に侵入するというのです。それが、イスラエルであることまで明言されています。

 多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる。(8節)
 あなたは、あらしのように攻め上り、あなたと、あなたの全部隊、それに、あなたにつく多くの国々の民は、地をおおう雲のようになる。(9節)







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2017年04月18日

エゼキエル書135 終わりの年に、終わりの日に「(エゼキエル書38章10節~16節)



 神である主はこう仰せられる。その日には、あなたの心にさまざまな思いが浮かぶ。あなたは悪巧みを設け、(エゼキエル書38章10節)
 こう言おう。『私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。』(11節)

 ケバル川のほとりに居住させられていた捕囚の民が、母国イスラエルへの帰還を切望しているときに、神様はエゼキエルを預言者として召されました。
 エゼキエルの預言は、たいへんダイナミックで時におどろおどろしい場面もありますが、大局的には希望に満ちた内容です。神は、イスラエルを苦しめて来た敵をみな滅ぼし、ご自分の「選びの民」をイスラエルの山々に戻して下さるのです。
 それはまるで、死んでばらばらの骨片になっていた人骨が、もう一度たがいにつながり、筋や皮膚が付いて人体になり、そこに神が息を吹き込んで命を回復して下さる――創世記の「創造」のみわざの再現です。

 相争う古い人間たちが、元の場所に戻るだけではないのです。本当に新しくされた「神の民」を神ご自身が再創造をしてくださるので、そこでは、二つの王国に分かれて相争っていたイスラエルが統一され、そこにダビデがもう一度君臨するのです。

 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとのとこしえの契約となる。わたしは彼らをかばい、彼らをふやし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。
 わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
 わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖別する主であることを知ろう。(エゼキエル書37章26節~28節)


 ところが、預言はここで終わらないのです。主はエゼキエルに、マゴグの地のゴグに預言をするように命じられているのです。

 多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。(略)
 あなたは悪だくみを設け、こう言おう。
 「わたしは城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう」
                 (エゼキエル書38章8節~11節)

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 あなたは物を分捕り、獲物をかすめ奪い、今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする。(12節)
 シェバやデダンやタルシシュの商人たち、およびそのすべての若い獅子たちは、あなたに聞こう。『あなたは物を分捕るために来たのか。獲物をかすめ奪うために集団を集め、銀や金を運び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪をしようとするのか。』と。(13節)
 それゆえ、人の子よ、預言してゴグに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民イスラエルが安心して住んでいるとき、実に、その日、あなたは奮い立つのだ。(14節)

 侵略者ゴグに対して、神がこのような命令をお出しになるなんて、聖書読者としてなんだか信じられないような箇所ですが、これも間違いなく神のことばなのですね。

 あなたは、北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。彼らはみな馬に乗る者で、大集団、大軍勢だ。(15節)
 あなたは、わたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる。ゴグよ。わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがあなたを使って諸国の民の目の前にわたしの聖なることを示し、彼らがわたしを知るためだ。(16節)

 ただし、これらの出来事は「終わりの日に」起きるのです。
 終わりの日――終末が何故、ここで預言されているのでしょう。少し、考えさせてください。








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2017年04月19日

エゼキエル書136 わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、「(エゼキエル書38章17節~23節)



 神である主はこう仰せられる。あなたは、わたしが昔、わたしのしもべ、イスラエルの預言者たちを通して語った当の者ではないか。この預言者たちは、わたしがあなたに彼らを攻めさせると、長年にわたり預言していたのだ。(エゼキエル書38章17節)

 たしかに、主は「北からの襲撃」を宣言しておられます。(イザヤ書41章21節、エレミヤ書1章14節、ヨエル書2章20節) 
 それにしても、私のように素朴な聖書読者は、この予告の実現にたじろぐのです。イスラエルの山々に戻って平和に住んでいる「神の民」が悪の民ゴグに攻められるのです。それは、もちろん、あり得ることかもしれません。けれども、ここでは、敵に、神ご自身が「攻めよ」と命じておられるのです。
 仮にも、「神の民の主」なら、そのような悪の軍勢に、神が天罰を下して滅ぼし、イスラエルを未然に守ってくださってもよいではないかと、期待してしまうさとうは、甘いのでしょうか。
 ゴグは、神に命じられてイスラエルの地を攻めるのです。けれども、攻めて来ると、神は大きな怒りをあらわにされ、彼らに敵対するのです。

 ゴグがイスラエルの地を攻めるその日、――神である主の御告げ――わたしは怒りを燃え上がらせる。(18節)
 わたしは、ねたみと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる。(19節)
 海の魚も、空の鳥も、野の獣も、地面をはうすべてのものも、地上のすべての人間も、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、がけは落ち、すべての城壁は地に倒れる。(20節)

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 神の剣は、地震や疫病、天災、火山の噴火などとなって現れ、侵略者ゴグは滅ぼされます。

 わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。――神である主の御告げ――彼らは剣で同士打ちをするようになる。(21節)
 わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。(22節)

 敵を未然に、イスラエルの北の地で滅ぼして下さるのではなくて、いったんイスラエルに攻め込ませ、そこで主が「ねたみと激しいいかりの火」を吹き付けるのです。その結果、ゴグは、イスラエルに地で、イスラエルの目の前で、滅ぼされます。それは意味のある事なのです。その理由を主は、次のように明かしておられます。
 
 わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(23節)







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2017年04月20日

エゼキエル書137 わたしは、イスラエルのうちに、ゴグのために墓場を設ける。(エゼキエル書39章1節~13節)



 エゼキエル書39章は、ひきつづきゴグへのさばきの宣告になっています。

 「人の子よ。ゴグに向かって預言して言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。わたしはあなたに立ち向かう。(エゼキエル書39章1節)
 わたしはあなたを引き回し、あなたを押しやり、北の果てから上らせ、イスラエルの山々に連れて来る。(2節)

 ゴグがイスラエルを攻めるのは、主の意思であると念が押されています。侵略者ゴグの意思ではないというのです。
 しかし、この侵略はゴグの勝利のためではないのです。ゴグがイスラエルを滅ぼして世界制覇をできるということではなさそうです。

 あなたの左手から弓をたたき落とし、右手から矢を落とす。(3節)
 あなたと、あなたのすべての部隊、あなたの率いる国々の民は、イスラエルの山々に倒れ、わたしはあなたをあらゆる種類の猛禽や野獣のえじきとする。(4節)
 あなたは野に倒れる。わたしがこれを語るからだ。――神である主の御告げ――(5節)
 わたしはマゴグと、島々に安住している者たちとに火を放つ。彼らは、わたしが主であることを知ろう。(6節)
 わたしは、わたしの聖なる名をわたしの民イスラエルの中に知らせ、二度とわたしの聖なる名を汚させない。諸国の民は、わたしが主であり、イスラエルの聖なる者であることを知ろう。(7節)
 今、それは来、それは成就する。――神である主の御告げ――それは、わたしが語った日である。(8節)

 ここで語られている預言が、エゼキエルの時代の、あるいはそれからもう少し先の時代のいわゆる「世界史」の預言などではないのは、明らかではないでしょうか。終末の日、千年王国の終わりの時(黙示録20章8節)のゴグとマゴグの戦いが預言されているのです。もちろん、強い国ゴグはもともと神の敵です。それをあえてイスラエルに侵入させ、揚句に大敗北をさせるところに、神の物語がある――これは、今、平穏な生活の中にいるクリスチャンにとっては、抵抗がある預言かも知れません。ゴグはゴグの地で滅びてほしい・・・!!
 しかし、それゆえ、イスラエルの民は、「わたしが主であり、イスラエルの聖なる者であることを知ろう。」と言われるのです。

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 イスラエルの町々の住民は出て来て、武器、すなわち、盾と大盾、弓と矢、手槍と槍を燃やして焼き、七年間、それらで火を燃やす。(9節)
 彼らは野から木を取り、森からたきぎを集める必要はない。彼らは武器で火を燃やすからだ。彼らは略奪された物を略奪し返し、かすめ奪われた物をかすめ奪う。――神である主の御告げ――(10節)

 倒れた敵は、多くの武具を残しています。盾と大盾、弓と矢、手槍と槍の数があまりにも多いので、イスラエルの民はもはやたきぎを集める必要さえないのです。もちろん、彼らに略奪された物も、その時に取り返すことができます。

 その日、わたしは、イスラエルのうちに、ゴグのために墓場を設ける。それは海の東の旅人の谷である。そこは人が通れなくなる。そこにゴグと、そのすべての群集が埋められ、そこはハモン・ゴグの谷と呼ばれる。(11節)
 イスラエルの家は、その国をきよめるために、七か月かかって彼らを埋める。(12節)


 イスラエルの家は神に逆らう敵を埋葬する役割も行います。そのために、7カ月を要することが記されています。敵の埋葬は、イスラエルの地を清めるためです。埋葬が完了したとき、神の栄光が現わされるのです。

 その国のすべての民が埋め、わたしの栄光が現わされるとき、彼らは有名になる。――神である主の御告げ――(13節)







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