2017年04月13日

エゼキエル書130 二本の杖を使った預言(エゼキエル書37章11節~14節)



 主は、ふたたび、エゼキエルに、パフォーマンスによる預言をお命じになります。

  次のような主のことばが私にあった。(エゼキエル書37章15節)

 神とシナイで契約を結んでいただいて、神聖政治国家イスラエルが建てられました。それから、40年後にイスラエルは約束の地カナンをいただき、文字通り領土を伴なう「国家」となりました。さらに王国となり、エルサレムを取得し、ダビデ・ソロモンのもとで強力な王国になったように見えました。ところが、ソロモンの罪のために主は王国を引き裂かれ、エフライム人ヤロブアムを選んで十部族を与え、北王国を立てさせられたのです。(BC931年) 以後、イスラエル王国は弱体化の一途をたどり、北イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ(BC722年)、南ユダ王国は、バビロンにより壊滅させられます。(BC586年)

 エゼキエルは南ユダ王国の祭司であり、エゼキエルとともにいる捕囚たちもユダから連れて来られた民でした。彼らにとって、関心は自分たちが帰国できるかどうか、ユダ王国の行く末がどうなるのかだったと思われます。100年以上も前に滅びて世界に離散した北王国の同胞にどれほど関心があったことでしょう。

 ところが、神はエゼキエルに二本の杖を彼らの前で見せて、それを一つにせよ。と仰せなのです。

 「人の子よ。一本の杖を取り、その上に、『ユダと、それにつくイスラエル人のために。』と書きしるせ。もう一本の杖を取り、その上に、『エフライムの杖、ヨセフと、それにつくイスラエルの全家のために。』と書きしるせ。(16節)
 その両方をつなぎ、一本の杖とし、あなたの手の中でこれを一つとせよ。(17節)
 あなたの民の者たちがあなたに向かって、『これはどういう意味か、私たちに説明してくれませんか。』と言うとき、(18節)

 民は、北イスラエルの諸部族との合体を、当然不思議に思うのです。そんなことは、主はすでにご承知です。

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 彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、わたしの手の中で一つとする。(19節)
 あなたが書きしるした杖を、彼らの見ている前であなたの手に取り、(20節)
 彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、イスラエル人を、その行っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行く。(21節)

 エフライムはもともと、ヤコブの11番目の息子ヨセフのふたりの息子の一人でした。長男がマナセ、次男がエフライムでした。しかし、ヤコブが死に際に、なぜかエフライムの方に大きな権威を与えています。イスラエル民族の中で大きな働きをすると明言する場面があります。
 それはそのとおりになって、エフライム族はベニヤミン族、ユダ族とともに、イスラエルの中心部に入植するのです。

 イスラエル王国が分裂することは、すべてをご存知の神様にとっては、「織り込み済みだった」かも知れませんが、それは、イスラエル人にとっては大きな不幸だったのです。
 二つに割れた碗をどのように使って見ても、一つであったときの役割りは果たせません。
 捕囚の民に不幸は、国を失ったこと、国を失う原因は、イスラエル人同士の抗争――その原因は、唯一の神を忘れて偶像礼拝に陥ったことです。神が、ばらばらになったイスラエル人たちをもう一度、彼らの地で一つにして下さると、「杖のパフォーマンス」で語っておられるのです。







posted by さとうまさこ at 10:57| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする