2017年04月28日

エゼキエル書143 エゼキエル・まぼろしの神殿を行く(エゼキエル書40章48節49節、出エジプト記25章10節~22節)



 どれほど荘厳で麗しくて建てられても、幕屋や神殿は神の御座をお入れする「箱」だと言えます。そこに神が臨在して下さる至聖所、中でも神の「あかしの箱」をお入れするための器です。
 聖所・至聖所・あかしの箱こそが、神とイスラエルの民を結ぶ結び目です。これこそが、神の民が神の民であるための、いわば心臓部です。
 出エジプト記で幕屋建設を命じられた時、あかしの箱の制作が最初命じられているのはそのためでしょう。

 彼が私を神殿の玄関の間に連れて行って、玄関の間の壁柱を測ると、両側とも五キュビトであり、その門の幅は十四キュビト、その門の両わきの壁は、それぞれ三キュビトであった。(エゼキエル書40章48節)
 玄関の間の間口は二十キュビト、奥行は十二キュビトであった。そこへ上るのに階段があり、両側の壁柱のそばにはそれぞれ円柱が立っていた。(49節)

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 人は、神殿の外側の門から入り、さらに本殿の玄関を通って聖所、至聖所と辿るのです。とはいえ、聖所は祭司でなければ入れず、至聖所まで入ることができるのは大祭司だけです。
 さて、エゼキエルは、案内の御使いによって本堂まで連れて行かれるのですが、これは、エゼキエルが祭司であったため、入る資格があったとも言えます。

 ここで、エゼキエルが神殿に案内された順路を、整理しておきましょう。
 正面玄関→階段→通路→北門→南門→南門から内庭へ、(エゼキエル書40章6節〜43節)
 東門→北門→神殿の玄関の間→本堂へ。(41章1節〜4節)


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 彼は私を本堂へ連れて行った。その壁柱を測ると、その幅は両側とも六キュビトであった。これが壁柱の幅であった。(エゼキエル書41章1節)
 入口の幅は十キュビト、入口の両わきの壁はそれぞれ五キュビトであり、本堂の長さを測ると、四十キュビト、幅は二十キュビトであった。(2節)
 彼が奥にはいり、入口の壁柱を測ると、二キュビト、入口は六キュビト、入口の両わきの壁は七キュビトであった。(3節)
 彼はまた、本堂に面して長さ二十キュビト、幅二十キュビトを測って、私に「これが至聖所だ。」と言った。(4節)

 至聖所のこのサイズは、キュビトだけを見れば、ソロモンの神殿の至聖所と同じ大きさです。(T列王記6章19節20節) ただ、エゼキエルが案内された神殿では、手幅分だけ長いキュビトが使われています。ふつうは一キュビト、45,6センチのところ、手幅分7,6センチふえて、53,2センチになっているのです。20キュビトでは、一辺が1メートル50ほど増えることになります。この幻の神殿を見て、祭司であるエゼキエルはどのように感じたのでしょう。







posted by さとうまさこ at 10:35| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする