2017年05月02日

エゼキエル書145 未来の神殿における祭司と犠牲(エゼキエル書42章1節〜20節)



 彼は私を北のほうの外庭に連れ出し、聖域に面し、北方の建物に面している部屋へ連れて行った。(エゼキエル書42章1節)

 エゼキエルは、御使いによって外庭の北のほうに連れ出されます。そこには、本殿を守るように回廊をもった部屋があるのです。

 その長さは百キュビト、その端に北の入口があり、幅は五十キュビトであった。(2節)
二十キュビトの内庭に面し、外庭の石だたみに面して、三階になった回廊があった。(3節)
 部屋の前には幅十キュビトの通路が内側にあり、その長さは百キュビトであった。その部屋の入口は北に向いていた。(4節)
 上の部屋は、回廊が場所を取ったので、建物の下の部屋よりも、また二階の部屋よりも狭かった。(5節)
 なぜなら、これらは三階建てであり、庭の柱のような柱がないためである。それで、上の部屋は下の部屋よりも、また二階の部屋よりも狭かった。(6節)
 部屋に沿った外側の石垣は、外庭のほうにあって、部屋に面し、その長さは五十キュビトであった。(7節)
 したがって、外庭に面する部屋の長さは五十キュビトであった。しかし、本堂に面する側は百キュビトであった。(8節)
 これらの部屋の下には、外庭からはいれるように、東側に出入口があった。(9節)
 聖域や建物に面している南側の庭の厚い石垣の中には、部屋があった。(10節)
 その部屋の通路は、北側の部屋と同じように見え、長さも同じ、幅も同じで、そのすべての出口も構造も入口も、同様であった。(11節)
 南側の部屋の入口も同様で、通路の先端に入口があり、東側の石垣に面し、そこからはいれる通路があった。(12節)

 この部屋の構造と見取り図を、さとうはうまく説明することができません。ここでも、空知太栄光キリスト教会の銘形牧師のHPを援用させていただきます。
 牧師の書斎
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%A5%9E%E6%AE%BF%E3%80%80%283%29%20%E7%A5%AD%E5%8F%B8%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B

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 彼は私に言った。「聖域に面している北の部屋と南の部屋は、聖なる部屋であって、主に近づく祭司たちが最も聖なるささげ物を食べる所である。その場所は神聖であるから、彼らはそこに最も聖なる物、すなわち穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえを置く。(13節)
 祭司たちは聖所にはいったなら、そこから外庭に出てはならない。彼らが奉仕に用いる服は神聖だから、それを脱いで他の服に着替えてから民の所に近づかなければならない。」(14節)
 彼は、神殿の内側を測り終えると、東向きの門に私を連れ出し、神殿の周囲を測った。(15節)
 彼が測りざおで東側を測ると、測りざおで五百さおであった。(16節)
 北側を測ると、測りざおで五百さおであった。(17節)
 南側を測ると、測りざおで五百さおであった。(18節)
 彼が西側に回って測りざおで測ると、五百さおであった。(19節)
 彼が外壁の回りを巡って四方を測ると、その長さは五百さお、幅も五百さおで、聖なるものと俗なるものとを区別していた。(20節)

 本殿の壁に沿って、宝物を入れる部屋が並んでいましたが、ここで紹介されているのは、その外側にあります。祭司の部屋だとされています。

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 さとうが、よく理解できないのは、未来の神殿がこのような厳密で正確なサイズとともに提示されていることです。祭司のための部屋は、たんに着替え部屋や食事室ではありえません。祭司は聖なる方(神)に仕える者であり、それゆえ、聖なる内庭に入ることができる選ばれた人たちです。その祭司の聖性がこれほど厳格に示されていることの意味を考えなければならないと思っていますが、これは時間がかかります。

 たとえば、初めて会見の天幕の制作が命じられ、また、祭司制度が発足したとき、モーセは、アロンとその子らへの認証式を行なっています。(出エジプト記40章13節~16節) 奉仕を行なう祭司に対する務めは、ソロモンが神殿建造したときにも示されています。(T列王記8章4節~13)
 それが、未来の神の神殿にも示されているというのは、この神殿が、一般に考えられているような終末期の物ではないのでしょうか。
 キリストの贖いを受けた新約の民にとって、すでに犠牲を屠りささげる神殿は、必要でないように思えます。
 
 ある牧師にお伺いしたところ、この未来の神殿は、これ自体が永遠の御国を顕しているとのことです。とすると、祭司しか入ることができなかった神殿に、私たちも入ることができる世界――それが、完成された未来の神の国の姿だということなのでしょうか。
 本物の祝福は、このような場所で味わえると示唆されているのでしょうか。






posted by さとうまさこ at 11:17| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする